カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
- 光文社 (2007年7月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751333
感想・レビュー・書評
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やっとら読み終えた。
後日談でエピローグ主人公たちのその後。
いままであった剥き出しのはげしさはない。
何回よんでも新しい発見があるそうだけど、またいつかよめるかな?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
やっと読み終えた。
達成感はあるが、時間がかかり過ぎた。
何年後かにもう一度読みたい。 -
5月22日に1巻を読み始めて以来、6ヵ月半をかけて、ようやく5巻全巻を読み終えた。今まで挫折がちだった古典を読破したい、というレベルの低い目的から始めたが、何とか2019年内に読み終えたことは、自分を褒めたいと思う。
何故、今回はこれだけの大作を読み終えられたか、自分でもよく分からない。というのも、国や時代背景、宗教等の違いにより、情景を理解することも困難だったからだ。
にもかかわらず読めたというのは、やはり作品に力があったからなのか?いずれにせよ1度で理解できる代物では全くない。
話は、キリスト教、ロシア正教会、男女かかわらずロシア人の議論好き等を理解することから始めないと無理だった。
これをきっかけに宗教を知らなければ世界は理解出来ないことを痛感したため、宗教につき勉強を始めたことは自分にとってプラスだ。
また、ちょうど12月にNHKで100分で名著が、訳者の亀山さんの解説で始まったことに、タイミングの良さを感じている。
これを1ヵ月見て、また理解を深めたい。
また、読むことがあるのか、今はまだ分からない。
それだけ疲れ果てる作品だった。 -
今までの人生で沢山の本に出会ってきたが、カラマーゾフの兄弟ほど強烈な印象を私に与えた本はない。登場人物の誰もが凄まじい個性をもっていることが、その所以だろう。そして、彼らの多くは、宗教、父殺し等の重い内容をまくし立てるかのこどく、ハイテンションで話す。時には数十ページにも彼らの会話は及ぶため、終始、彼らの熱量に圧倒されっぱなしである。エピローグの後に訳者の仔細な解説が載っているので、キリスト教や当時のロシア情勢に疎い私のような人でも、より深く小説を理解できるようになっている。また数年後に読み返したい。
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あとがきとドストエフスキーの生涯は読んだが、解題はささっとザックリで対応した
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文学
古典 -
4
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⑪エピローグ
公判が終わって5日目。アリョーシャはカテリーナの家にいた。隣の部屋にはイワンが意識不明のまま横になっている。カテリーナは法廷での自分の「裏切り」を後悔していた。良心の呵責にさいなまれていた。そして、アリョーシャの前で泣き叫んだ。カテリーナは事前にイワンから「脱走」の計画を聞かされていた。そしてイワンが動けなくなった今、自分がそれを実行に移さなければなるまいと考えていた。それが罪滅ぼしになると思ったのだろう。そこで、「脱走」について、アリョーシャにミーチャ(ドミートリー)を説得して欲しいと言う。アリョーシャ自身もその「脱走」計画を否定してはいない。おそらく、この計画、うまく行くのだろう。その後の展開については、結局最後まで何もふれられていない。さて、この日、長い間病床にあったイリューシャ(アリョーシャに石を投げ、指をかんだ、あの少年)の葬儀がとり行われる。少年はミーチャの判決が言い渡された二日後にこの世を去っていた。イリューシャはスメルジャコフにそそのかされて、犬に針を飲ませたことをずっと後悔していた。その思いを何とかしてやろうと、コーリャ(電車が通り過ぎるまでレールの間で横になっていた恐るべき14歳の社会主義者?)は犬を見つけ出し、しつけをしっかりした上でイリューシャの前に連れてきた。それでも、少年の病は良くならなかったのだ。コーリャは葬儀にやってきたアリョーシャの姿を見て非常に喜ぶ。そしてたずねる。「父親殺し」の犯人は本当にアリョーシャの兄なのか。アリョーシャはもちろん無実であると伝える。コーリャは言う「お兄さんは真実のために、無実の犠牲者として死ぬ。それでもお兄さんは幸せです。自分もいつか、真実のために命をささげることができたらと願っている。」葬儀が始まった。イリューシャの棺が教会へ運ばれ土に埋められた。その上にはパンくずがまかれる。雀たちがやってきてそれをついばむ。イリューシャが生前、父親に頼んでいたのだそうだ。雀たちの鳴き声がすれば、自分一人ではないと思えるからと。家にもどるとクレープが振舞われる。いろいろなしきたりがあるのだ。アリョーシャとコーリャ、それからイリューシャの友だちの少年たちは、家の近くの大きな石の前で立ち止まった。イリューシャが死んだら自分をその下に埋めてほしいと言っていた大きな石だ。アリョーシャは少年たちにここで話しておきたいことがあると言って、ぐるりと皆の顔を見渡した。「僕らは間もなく別れ別れになります。でも忘れないでいましょう。イリューシャのことを、そしてお互いのことを。イリューシャは立派な少年でした。正直で勇敢な少年でした。父親の名誉と、父親に対するひどい仕打ちを感じて憤然と立ち上がったのです。だから、僕らは死ぬまで彼のことを忘れないようにしましょう。何か良い思い出、特に子ども時代の思い出ほど、その後の人生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。自分たちが生きていく中で、そうした思い出をたくさん集めれば、人は一生救われるのです。もしも自分たちの心に、たとえ一つでも良い思い出が残っていれば、いつかはそれが僕らを救ってくれるのです。もしかしたら僕らはこれから悪い人間になるかもしれません。悪い行いを前にして踏みとどまることができなくなるときが来るかもしれません。他人の涙を笑ったりするかもしれません。でも、ここでこうしてイリューシャを葬ったこと、最後の日々にあの子を愛したこと、今こうして石のそばで仲良く話し合ったこと、今この瞬間、僕らがこれほど善良な人間であったことを、心の中であざけることなんてできないでしょう。それどころか、もしかするとこの一つの思い出が、僕たちを大きな悪から守ってくれて、思い直してこう言うかもしれません。『ええ、僕もあのときは善良だったんです。大胆で正直な人間でした』と。」「必ずそうなります。カラマーゾフさん、僕たち、あなたのおっしゃることよくわかります。」コーリャは目を輝かせてそう叫んだ。「僕がこんなことを言うのは、僕らが悪い人間になることを恐れるからです。でも、どうして僕らが悪い人間になることがあるでしょう。まず、第一に、善良であること。次に、正直であること。それから、決してお互いを忘れないこと。もう一度これを繰り返しておきますね。皆さん、僕は君たちに約束します。皆さんの誰一人忘れることはありません。30年たっても思い出します。それにしても、この素直なすばらしい気持ちで僕らを結び付けてくれた人は誰でしょう。それは他でもありません、イリューシャです。善良な少年、かわいらしい少年、僕らにとって永久に尊い、あの少年なんです! 永遠に彼のことを忘れないようにしましょう! あの子の消えることのないすばらしい記憶が、これから後、永遠に僕らの心の中に生き続けますように!」「そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで! 何か良いことや、正しいことをしたとき、人生って本当にすばらしいって思えるんです!」「そうです、そうです」少年たちは感動して繰り返す。「カラマーゾフさん、僕たち、あなたが大好きです!」「カラマーゾフ万歳!」コーリャが喚起の声を上げる。「永遠に、死ぬまで、こうして手を取り合って生きていきましょう! カラマーゾフ万歳!」
⑫カラマーゾフとはいったいなんだったのか?
読了しました! 3ヶ月ほどだったでしょうか。何という感動。すばらしい時間でした。私は、だいたい常に並行して3、4冊の本を同時進行で読みます。この「カラマーゾフの兄弟」は、ほとんど通勤途中(1日往復30分ほど)で読みました。そして、最後のエピローグ。アリョーシャの石の前での語り。先月号に、少しずつはしょりながらですが、書き写していて、感極まりました。言っていることの一つ一つ全てに賛同できるのかどうか、それは、一つ一つしっかり吟味しないと分かりません。でも、その勢い、ことばの持つ力強さに圧倒されます。実は、第5巻にはエピローグが60ページほど、その後、ドストエフスキーの生涯、そして、本書の解題があります。その中で、本書は未完であると書かれています。確かに、本書の始めに、伝記作家であるところの著者のことばとして、これは13年前の出来事で一つ目の物語である。二つ目の物語の方がより重要である。といったことが書かれていました。解題を読んだ後で、もう一度エピローグを読み返してみると、第二の作品を意識して書かれている部分がたくさんあるようです。実は、本書の主人公はアリョーシャ(アレクセイ・カラマーゾフ)となっているのだけれど、あらすじを説明しているときには、あまり重要な役割を果たしていないのです。もちろん、エピローグの語りはすごいのだけれど、常に脇役を演じているのです。第二の小説で、33歳になったアリョーシャがどんな活躍をするのか。本当に悪い人間になってしまうのか。そして、イリューシャの思い出が立ち直らせてくれるのか。さらに、一番気になる登場人物、それはコーリャ・クラソートキン。この少年が27歳になって、一体全体、テロリストにでもなっているというのでしょうか。エピローグの中で言っています。「真実のために命をささげたい」と。そして、リーズ(足の不自由な少女。アリョーシャにラブレターを送っていた女の子。)解題を読んで初めて知ったのですが、途中からリーザと呼び名が変わっていたそうです。リーズの方がより親しみを込めた呼び方なのだそうです。それが、なぜリーザに変わったのか。そのきつい性格、そして、アリョーシャからイワンへ移ろう思い。著者はどうしてもリーザと書かざるを得なかった。大人の女性になったリーザは、第二の小説ではどんな役を演じるのでしょう。結局、作家カラマーゾフの早すぎる死によって、二つ目の作品は世の人々の前に姿を表すことはありませんでした。そこは、想像するより他ありません。さて、最後にずっと気になっていること、それは「カラマーゾフ的」とか「カラマーゾフの力」などと書かれていること。何の代名詞としてカラマーゾフという名が与えられているのか。そして、著者自身の名前が本書の父親と同じくフョードルであったこと。それが何を意味していたのか。ドストエフスキーの父親もまた殺されているのだそうです。そして彼は、自分がそう願っていた、「父親殺し」の罪が自分にはある、そんなふうに感じていたらしいのです。癲癇の発作も起こしたことがあるとのこと。金遣いの荒さ、博打、女性への接し方。社会主義者としてシベリアの流刑地へ送られることも。どうやら、「カラマーゾフの兄弟」という作品の中に、自分の自伝的な部分をいろいろな個所にもぐりこませていたようなのです。特にイワン、そしてスメルジャコフ、このあたりに自分を投影していたのかもしれません。「カラマーゾフ」なんともおどろおどろしい名前です。しかし、アリョーシャにはその「カラマーゾフ的」な部分が一向に見えてこないのです。これが、第二の作品の中では姿を現してくるはずだったのでしょうか。ゆっくりじっくりともう一度読み直してみたいのだけれど、他の作品も読んでみたいし、村上春樹の新作長編も出るというし・・・(2009年5月時点)。とりあえず、これで筆をおくことにしましょう。長らくお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。この連載を始めていくつかの反響がありました。「私も読んでみようと思って図書館に借りに行ったら予約待ちがいっぱいいた。でも、待って借りて読む。」中1の女子です。また、「若いころに自分も読んだ。」と言ってきてくださったお父様もいらっしゃいました。うれしい限りです。ほとんどただ単にあらすじを書いてきただけで、自分の思いとか感想とか何も書いてこなかったのだけれど、少しでも本書のおもしろさが伝わって、読んでみようと思ってくれた方がいれば幸いです。