手塚治虫大全〈2〉 (光文社知恵の森文庫)

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著者 : 手塚治虫
  • 光文社 (2008年10月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334785178

手塚治虫大全〈2〉 (光文社知恵の森文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 21/56
    ’16/10/26 了

    1980年にサンディエゴ・コミコンについて書かれた文があるが、そこには「一万人前後のファンやプロの参加する大いなるお祭り」(P60)と書かれている。
    来場者数13万人と報じられる現在とは規模が全く異なることに驚く。

    SF作家の団体に所属していたこともあったためマンガ家のみならずSF作家との交流も盛んだったようで、小松左京、星新一、筒井康隆の名前が頻繁に出てくる。

    手塚治虫と言う人が古代のロマンに思いをはせる人物だったと言うことがイースター島のモアイやマチュピチュへの言及で分かる。
    もっとも、彼の書き残した数々の漫画作品を読めば、彼がそう言ったところから着想を得ていたのだろうという事は容易に想像できる部分でもある。

    モアイ像を作るという行為が、実は「無意味だと知りつつもつづけなければならなかった作業ではあるまいか?」(P234)とする仮説は凄く面白いと思った。
    「この島はほとんど荒れ地でろくに木も生えず、産業など、およそ発達しそうにない。しかし、島はどんどん人口が増えていく。人間はなにかしら働かなければ、その生き甲斐を見失い、自暴自棄に走る。この島の支配者は、わずかな漁業と農耕に従事する者以外を、やむなく石切りという労働においやるほかなかったのではないか。「軍隊」という若者の処理に最適の職業さえなかったこの島では、石を切らせ
    同じような石像をどんどん作らせ、それを海岸に並べることで、若者のエネルギーの消耗にあてていったのではないだろうか?そうだとすると、なんと虚無的な事業であったか。
    ある日、若者たちは突如労働の無意味さをさとり、作業を放棄する。おそらく指導者への怒りが暴動となり略奪や殺りくが続いたことであろう。運搬の途中、ぶざまに放り出された“モアイ”や、作りかけの“モアイ”がそれを物語っているようだ。」

    それにしてもこの話、氏の短編でいかにも好まれそうな設定だなと思った。
    殺戮のあと、最後の一人とった女性が残された島なり惑星なりに外界から男性が訪れて、二人は恋に落ちる。
    で、「彼女」だけが生き残った理由が、実は戦闘で死亡した人の死肉を漁っていたからだとひょんな事から知ってしまう。
    秘密を知った来訪者の「彼」は「彼女」に殺され、彼女は自分の犯した過ちに気づく……

    いかにも彼の作品でありそうではないか。

    そんな想像は別にして、潮流の関係で外界から途絶された孤島であるイースター島と、宇宙に孤立した天体である地球をダブらせて考える彼の発想は、21世紀を生きる我々も改めて考える必要のあることではないか。
    この本に収録されている数々のエッセイには、「間もなく人口は60万人に達する」と書かれている。
    70万を越す人間がこの惑星にしがみついている現在、資源の枯渇は手塚先生がエッセイを書いた頃よりも深刻だ。
    イースター島の黄昏(と我々が予測する話)と同じ過ちを繰り返してはならない。

    彼には先見の明があったようで、1977年に書いたエッセイにこんなものがある。
    「二人でひとつの作品をものするという(それも原作と絵とか、そういう分担ではなくて合筆なのだ!)前代未聞の執筆方法、それもじつに息のあったコンビネーションにぼくはびっくりしてしまったものだ。
    それから数年して、両氏は上京して藤子不二雄としてのスタートを切る。ぼくはプロマンガ家としての両氏に、東京でお目にかかることになる。(略)たいへんコワいライバルが現れたとひそかに思った。しかし、早晩コンビは解消し、繊細な線の藤本氏と、豪快な線の安孫子氏とは、それぞれ独自の途を歩み出されるだろうと予測した。しかしこの予測は見事にくつがえされ、仕事机はつねに隣あわせだし、自宅も隣どうし、収入も折半だときいている。」(P304)
    マンガ家・藤子不二雄がコンビを解消するのはエッセイを書いた十年後、1987年のことだ。

    もっとも、この一文は「未収録エッセイ」のコーナーにあったものなので、手塚先生の「藤子不二雄分裂説」があります他の媒体を通して世間に知られていた説だったのかどうかは分からない。

    一巻では戦中の文章が載っていて、そこにはヒットラーの死去に対して同盟国の英雄を失ったと「閣下」という尊称を用いて書いていたのに、本書では軍国主義に邁進した独裁者という現代と同じような価値観で彼の人物を評している。
    戦中戦後の考え方の違いが見て取れて面白い。

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    気に入った表現、気になった単語

    「マンガの場合、勿論小説や戯曲でもそうですが、テーマになんらかの怒りが含まれなければならないと思うんです。どんな情報にも必ず不合理性があるものですから、その不合理について憤りを感じなければおかしい。八方めでたしの理想的な情報ではマンガにならないのです。社会不安、法律の欠陥、生活の矛盾、人間関係の蹉跌(さてつ)、それらへの疑問や怒りが主題とならなければ読み手は不満を覚えるでしょう。なぜなら読み手も作者も同じレベルの民衆で、怒りの質も同じだからです。(略)功なり名とげたマンガ家の作品がえてして骨抜きになってしまうのは、怒りを忘れてしまうからではないか。」(P17)

    「マンガにも、そういった教則本があっていいと思う。あるとすればぼくのマンガである。」(P48)

    「日本は、いまや、世界一のマンガ生産国であり、マンガファンの多い国である。年間実に三億冊近いマンガの本が出版され、毎号百万部以上のマンガ雑誌が三十以上もあり、その中でもっとも読まれているものは一週間に実に四百万部を刷る。」(P51)

    「アメリカのコミック・ストリップ界では、このところ巨大なブームを捲き起こす様なヒーローは出ていない。むしろ他の大衆文化の傾向と似て、一九五〇年代のコミックの再評価にとらわれているようで、全体からみてマンガ界は沈滞気味である。」(P56)1980年の文

    「「鉄腕アトム」の中には知能ロボットやニューメディア、宇宙工学などが出てくるが、同時に、例えばヒゲオヤジがゲタをはき、畳の上に寝ているといった世界も同居している。
    私は、このように既成文化と先端技術とが調和よく併存する社会こそ、めざす未来社会でなければならないと思う。調和無しに暴走する科学技術は、いずれジレンマに陥るだろう。」(P100)

    「これほどアニミズムに大きなかかわりをもちながら文明の進んだ国はない。信心や宗教意識をほとんど持たない若い人たちでも、無生物や自然の中に“霊”を感じている人が多いのだ、愛車に話しかけたり、機械に愛称をつけて可愛がったりといった習慣は、その奥にアニミズムとのつよいきずなが存在しているからこそだと思う。」(P126)

    「この島の一番高い丘に立って、周囲の果てしない海や海風にゆらめく葦や、もくもくと立っている石像をながめていると、あたかもわが人類の歴史のミニチュアを見ているようで寂寞とした気持ちになった。宇宙という絶海の中の孤島、地球にひしめいている人間は、いずれイースター島のような運命をたどって消滅し、生存の跡のみが残るのではあるまいか。この島はそういった教訓を百千の書物より明確に示しているようだ。」(P232)

    「永久におとなにならぬ少年、ピーター・パンは、結局、おとなたちの少年の日への郷愁なのである。今江氏はある日、絶対に子どもへ戻れぬ自分を発見し、子どもと一緒に遊んでいた童話と訣別したのではないのか。それが作者の変貌だったのだ。」(P280)

  • ・怒り。フラストレーション。メッセージ。野次馬精神。創作に必要なものと仰る。決して失いたくないテーマとして反戦、平和。戦争を経験した者としてのその自覚。
    ・祖父・手塚良仙の話。福沢諭吉と「同期の桜」だったなんて。
    緑の果て・熟れた星 どちらもすごいメッセージ性。このアンテナはもはや怖いな。
    旅行記が面白い。ていうかどの書き物も面白いけど

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手塚治虫大全〈2〉 (光文社知恵の森文庫)の作品紹介

大切なのは、怒りの精神と、子どものように「なぜ?」「それから?」と問いかける姿勢-自らの創作方法を語り、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラック・ジャック」など作品の秘話を明かす。ガラス玉のようにもろい「小さな地球」への思い、イースター島、マチュ・ピチュなどへの憧憬を描いた「ぼくの旅日記」ほか、SFマンガ傑作選、未収録エッセイも掲載。

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