スマイルズという会社を人類学する-「全体的な個人」がつなぐ組織のあり方

制作 : (株)スマイルズ 
  • 弘文堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784335450631

作品紹介・あらすじ

「マーケティングはしない」「数字は目的にならない」…行き詰まりの資本主義を自由に生きる会社、スマイルズに見る未来の働き方。

 Soup Stock Tokyo、PASS THE BATON、100本のスプーンなど、注目業態を生み出し続けながらも従来の経営学やマーケティングの言葉ではとらえきれないスマイルズという会社。本書はそんなスマイルズで4人の人類学者が一緒に時間を過ごし、一緒に会議に参加し、時には一緒に働きながら調査したフィールドワークの報告書。これからの働き方が人類学の目を通して描かれる。

感想・レビュー・書評

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  • 社会人類学者たちがスマイルズにフィールドワークして書いた本。っていうだけで面白い。


    「いい人であるという印象は、スマイルズで出会う人たちの気安さというか、壁のなさというか、そんなところから来ているのかもしれない。そこには多分、東京とアムステルダムで性風俗・売春の調査をしてきたという調査者の経歴も関わっている。」

  • 以下引用


    システムにおいては、序列が固定し、単一の意味や機能を与えられている。ネットワークにおいては、他のどの項とでも結ばれうるし、意味や機能も、その時々に応じて変わる

    ポストモダンにおいては、流動性は堅いモダンの縦割りの組織や分業体制からの解放を意味していた

    システムにおいては、それぞれの項は序列の中で固定された位置をもち、単一の意味や機能を与えられているのに対して、ネットワークにおいては、一つの項は他のどの項とでも結ばれうるし、意味や機能もその時々に応じて変わっていくことが可能だ。

    システムがモダンで、ネットワークがポストモダンとされた。

    1980年代のアカデミズムにおて、流動性は固いモダンの縦割りの組織や分業体制による固定された単調な役割からの解放を意味していた。けれどもグローバル化と新自由主義政策によって社会のいたるところで流動化が起こると組織の流動性はむしろ社会の不安定さを意味するようになった。

    ターナー:分節化された構造と階級組織の構造からなる【社会構造】と「コミュニタス」が同時に併存していることを示唆している。つまり、地位や役割という区分をなくした水平的で一体的なコミュニタスの力は、規範的なものに変換されることなしには、社会生活の組織化された細部に適用できず、他方、構造的な活動は、定期的にコミュニタスの再生力によって活性化されることなしには、たちまち無味乾燥となり機械的になってしまう

    要するに人類の社会は、少なくとも定住後は、システムとネットワークの両方を重ね合わせて社会を形成してきたのである。そして、ターナーのいうコミュニタスが過渡的に出現するように、転換期には柔軟で水平的なネットワークが重要となるために全面に目立つ形で現れる。

    ネットワークはシステムのようにはあらかじめ設計できない。

    分業がない、役割分担がはっきりしていない

    デザイン事務所では、既にクライアントの要求がかちっとしていて、そのうえで限られた仕事だけやってくれというところが多い。

    ★分業や役割分担のなさ、曖昧さは人それぞれの生い立ちや経験や感情や思考など、その人のすべてと言える。全体的な個人がそこに携わることを促す。つまり、人が役割や属性に分割・縮減される分業によるツリー状のシステムとは違って、ネットワークは「全体的な個人」がつながることによってつくられるのである。全体的な個人はそのネットワークにおいて現れて来るのである

    集合体としてのスマイルズのおもしろいところは、会社全体の中での一人一人の役割を自分でつくろうというところ


    ここでの共感という言葉は同じ思いを共有するという意味での同感ではなく、全体的な個人としての自分を起点としながら、周りを説得し、巻き込んでネットワークをつくっていくことを意味している。

    スープストックトーキョーの食器をつくるのに、九州に五ヶ月通ってようやく頷いてもらった。共感をつくるのに、そのくらいかかることもある

    ビジネスは、こどものまなざしと大人の都合というどっちもあって成り立つ。ピュアなこどもの理由から始まる。

    ロジカルに考えていると、同じ結論にたどりつくことになるが、それですべての商品がヒットしたり、成功しているわけではない、MBA式のマーケティング、左脳型のビジネスだけでうまくいかないこともあると思う。そういったときにはやっぱり右脳と左脳の往復がいいものをつくると思う。

    右脳と左脳のバランス

    発想チーム(右脳派)と、ビジネスチーム(左脳派)の両方

    つくったときの作品性はすごく高かった。けど、人が関わり運用していく中で常にバージョンアップが必要だった。売り上げが上がっているのに利益が上がらない。つまりこちらの思い入れに合わせてコストを無制限にかけてしまうところがあり、お客さんは喜んでくれるけれど、働き手が疲弊してしまうというそういう矛盾があった

    まずは価値づくりをしっかりやって、もうけは後からついてくるみたいな考え

    レヴィストロース:直接的なつながりからなる小さな社会をほんものの社会と呼び、それよりも後になって現れた貨幣や法や書類や行政機関などの総体によって間接的に結ばれたつながりによる大きな社会をまがいものの社会と呼んだ。

    知り合い同士の直接的なつながりからなる小さな地域社会の小市場では、マーケティングは必要とされない。近代以前の地域社会では、自分たちの食料も衣服も履物も生産していたが、それらは自分自身や自分がよく知っている人たちのために向けてつくっていた。

    自分で品物を考え、値段を決め、お客さんに出会い、提供し、対価を得る、その過程で人間的な対等なやりとりが成立する。そのプロセスを全部体験できる。

    何か仕事を起こそうというときに、まず部外者の友人知人に聞かれがちなのは、ターゲットは?ニーズは?本当に大丈夫?などなど。ちゃんとリサーチしなきゃいけませんよね、大人なら、という無言の圧力で行動を起こせず、消えていくアイデアは無数にある。

    会社を具体的な人として人格化するとき、社員一人ひとりがその人格の中に含まれるという点で、自分事と会社との距離が異なってくる。

    ★スマイルズさんという人格化の場合、自分事が直接に仕事に結びついていくのに対して、スマイルズなら、という場合には、会社やそのイメージがあくまでも個々人の外側にあり、会社のコンセプトイメージを自分事として内側から形成していくというよりも、外在的な会社のイメージに自分を合わせていくということになりやすい。
    →全体が、個人の行動を規定してしまう場合、全体は、個人を統制しているし、個人は全体のイメージの構成員でしかない。他方、個人と全体が未分化の場合、個人と全体は相互的なものになっている

    以前は、遠山さんが中心にいて、彼がやりたいことを社員が遂行するという会社だった→遠山さんを離れて、社員一人ひとりが全体的な個人を保持する


    社員ひとりひとりの主体性がスマイルズらしさを作り変えていくためには、個人がユニークで、すなわち全体的な個人のままでつながって、共同体をつくりだすことが重要となってくる

    スマイルズらしさが、個人としての社員の外側にある限りは、それは個人の発想を規制する枠として機能するだけになってしまうだろうということである。そうならないためにも、個人がスマイルズらしさに同化するのではなく、個人ひとりひとりの中で勝手に活き活きと一人歩くするような「スマイルズさん」という人物を造形することが必要

    →「全体」→個人を統制。「スマイルズさん」→架空。これはおそらく「全体」と「個」の勘主観性というか、交点のようなもの

    スマイルズさんが、実在する具体的な人の様に感じられ、しかも自分の中にスマイルズさんがいて、自分がスマイルズさんの中にいると感じられるような人格となるには、個々人がばらばらのままでは難しい。そのような人格化のためには、社員ひとりひとりが、全体的な個人として、これまた全体的な個人同士の共感的関係性をつくることが重要

    →ここらへんが、例えば長時間労働が「搾取」になっているか、「専心」になっているかの分かれ目な気がする。こだわりのあるものを、他者と作る場合は、絶対的に労働時間に対する金銭的な対価は少なくなる。しかし、両者の中で、それが「正統的な」ものだと感覚される場合があるとも思う。それがその関係性において「個」としていられているかどうかというところかなと。そこにはおそらく「専心」がある。つまり、そこでの長時間労働(に見えるもの)が、その人の個人としての特性や資質を伸ばす契機となっていたら、たぶん、そこには搾取はない。(もちろんだからといって、お金を支払わなくてもいいというわけではない。)

    ポストモダン思想は、貧困に対する抗議というよりも、豊かさをもたらすことに成功したかにみえた産業資本主義の非人間性に申し立てをするものだった。つまり、それまで社会全体の形を決めていた大量生産、大量消費の産業資本主義にふさわしいツリー状のヒエラルキー・システムや分業を効率化する管理が、人々を拘束する鉄の檻のように感じられ始めた。そこで発揮された精神が、物質的な富より非物質的な豊かさでありツリー状のヒエラルキーより水平的で柔軟なネットワークであり、組織より個人で有り、個体より液体という思想だった


    ポストモダン思想が保守政治家による資本主義の延命のために利用されたともいえる。

    水平的で柔軟なネットワークは自生的に時間をかけてはじめてつくられるものだが、ポストモダン思想は、モダンの設計主義を引きずって、一気に設計しようとし、持続や反復の時間を軽視してしまった。ネオリベラリズムとは、グローバル化した資本の短期的な利益追求に応えるために、規制緩和や雇用形態のフレキシブル化といった政策によって人と資本の流動性を高め、その結果として生じる経済的格差をトリクルダウンと個人の自己実現の称揚と自己選択(自己責任)という個人化のイデオロギーにより正当化する体制

    ネオリベによる社会の流動化ということを現しているのは、非正規雇用の増大に見られるような規制緩和による労働力のフレキシブル化=流動化である。

    ネオリベラリズムの下で短期的につくられるフレキシブル(柔軟)でフラットなネットワークは、時間をかけて作られる代替不可能な全体的な個人同士のネットワークとは似て非なるものとなる。

    勝ち組の人生も不安定で不安に満ちたものになっている

    リコは、仕事の時間と家族の時間が両立しにくいことが最大の悩み。それは、友人関係やコミュニティがその場限りのものになっていることがあるという。仕事を家族への奉仕と考えている。自分の職業生活の中身が、子どもに倫理を示す規範足り得ないということ。仕事が良くできるということが、人間として良い人格ということにつながらなくなったのである。全体的な個人としての人格は、友人関係やコミュニティの持続的なコミュニティの中で、はじめて発揮される

    今日の企業は、短期的な契約労働や非正規雇用を増やし、組織をより水平的で柔軟なものに変えるために、ピラミッド型の組織をネットワーク型の組織へと組み替えようとしている。このことは、昇進や解雇がこの先まで明確に決められたルールに基づいて行われなくなり、業務内容も明確に規定されなくなることを意味する
    →本来、全体的な個人への回帰として目指されていたネットワーク型のフレキシビリティが、その「柔軟性」という表層だけ切り取られ、新自由主義、資本主義のさらな増殖というところ、短期的な利益追求、コストカットというところに結び付けられている。そこに自己実現や自由、自己選択という言葉が結び付けられる。そこでの成員はあくでも会社の目的遂行のための一時的な要員に過ぎない。だから決して「個人」として尊重されているわけではない。それを巧妙に覆い隠すロジックとしてのフレキシビリティや柔軟性、自己選択といった言葉があり、いかにも「尊重」されているという雰囲気だけを見せる。しかしあくまでそのロジックは会社視点での「コマ」としてのそれに過ぎない。おそらくそこではまた「自分は代替可能である」という恐怖心が植え付けられ、そこへの依存を強める。

    ノーロングタームという原則に集約される否応のない変化の連続が、人格の指針に機能不全を起こしている。インフォーマルな信頼や相互の献身などに裏付けされた社会的絆を腐食させてしまう

    短期的な契約労働や課題ごとにメンバーを入れ替わるプロジェクトチームワーク中心の現在の短期的な組織

    ★新自由主義またはネオリベラリズムのシステムにおて、設計されるフレキシブルでフラットなネットワークは「全体的な個人」同士のつながりによってつくられる柔軟で水平的なネットワークとは、似て非なるものだ。前者には後者を作るのに不可欠な、持続する時間経験がなく、そこから生まれる自己の代替不可能性、つまり自分はかけがえのない存在だという実感もない

    自分が交換可能な存在であるという感覚は、自尊心を傷つけ、「愛」の基盤を奪うものだ。とりわけ、ネオリベラリズム的政策によって社会的流動性が高まり、社会の液状化が進むと、同時に経済的格差が広がることで、自分が交換可能な存在であり、いつ入れ替えられるかわからないという感覚はますます強くなっていく

    人がどういうときに幸福を感じるかは、千差万別だが、少なくとも、自分が入れ替え可能な存在ではなく、代替不可能なかけがえのない存在だと感じられること、そして日常が変わりないという安定性、安心が感じられることがその条件となっている

    全体的な個人によるネットワークは、相手を全体的に把握するだけの時間をかけてつくられるものであり、そこでは個人は役割や属性を越えて代替不可能な存在となり、そのつながりが自分の居場所であり、安定した拠り所だと実感することができる

    入れ替え可能な役割や地位にしがみつくことは、その競争にますますからめとられることになり、居場所とはなりえない。

    ネオリベラリズムとは、資本主義の行き詰まりを打開し、グローバル化した資本の短期的な利益追求に応えるために、人と資本の流動性を高め、格差の拡大を個人の自己責任によって正当化する体制であった。そして、それがもたらすものは、個人が部品のように入れ替え可能な存在となるようなかけがえのなさの喪失であr、人格の腐食や幸福感の下落であった

    ツリー状のシステムを再構築したところで、幸福感を得るための前提条件がもはやなくなっており、拘束感が残るだけ。

    現代社会で個人同士のネットワークを作るために必要になるのは、「逃避」。システムとは別の原理の働く空間を作り出す実践のこと。

    コミューン-時間をかけてつくられるはずの共同体を理念的に計画してつくろうとしたその設計主義と、資本主義システムから自分たちを切り離そうとするあまり、閉鎖的で純粋な(煮詰まった)共同体にしてしまい、柔軟なネットワークからほど遠いものになってしまった

    ★システムから切り離されれば切り離されるほど居心地は良くなるが、システムの中の社会生活にはほとんど変化をもたらさない。

    システムの中にある職場から切り離された場所ではなく、ビジネスや労働環境そのものにシステムに対抗する別の価値を滑り込ませる

    労働それ自体の中に新しい資本主義では排除されている小商いや職人的な価値を持ち込んでいる。

    全体的な個人同士のつながりいとしてのコミュニタス

    ほんものの社会においてしか、代替可能な存在ではない全体的な個人同士の関係は生まれない

    資本主義は問題だらけだが、しかしその次の社会は提起されていない

    あたらしい価値を創造する半市場経済的な動きには、社会的使命感としての志が必要だが、持続するためには、市場経済的に成立していなければならない

    会社やブランドという隠れ蓑を剥がされ、本当の自分をさらされてしまうような緊張感

  • スマイルズという会社について文化人類学者が、インタビューをもとに特徴をまとめた本

    ■特徴
    ・売上よりも意義を重視
    ・コミュニティのように、自助、扶助、共助の仕組みが成り立っている
    ・サービスをn=1視点で考え、ぞれぞれの従業員にとってのそのブランドらしさを形にしていく
    ・意思決定は数字よりも感情や気持ちなどで話される
    ・仕事の専業化をせずに、全員全部の仕事ができるようにする

    など理想的おもしろい会社だけど、他社が真似しようとしても
    真似できないような絶妙なバランスがあるなーと思いました。分業にせずに、全範囲の仕事をカバーできるようにすることで当事者意識が上がるという話は納得なので、取り入れたいと思います。

  • 店舗の公共性に関する頭の整理に、と読んでみた。

    全体的な個人が集まって挑戦し続ける組織のあり方。
    利益と社会的な意義の間を常にもがきながら進んでいるスマイルズを人類学のアプローチで分析した本。

    意思決定のゆるさや雑さ、チャレンジに対する組織的な失敗体験などのインタビューをみると、そもそもの発端が個人的な想いを実現するプロセスに共感する人が集まる場所という創業者の想いをベースにそれぞれが自分ごとにしている様子がうかがえる。
    上手く自分の想いが伝わらずにプロジェクト化できずに辞めていく人もいる。継続している例は5つぐらいしかないという現実的な話もあり、今、現場はどうなっているのか気になった。

    読後に、スープストックトウキョウへ息子を連れてランチに行ってみた。
    6歳児に対してもちゃんとメニューを聞き出してくれる接客の姿勢や、おいしいを五感や物語や産地で編集した質の高いフライヤーが良い。

    糖質が多くなりがちな外食に対して、ひとりでも家族連れでも違和感なく野菜中心のスープを楽しめる、インフラのひとつになっている店舗だなと感じた。

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著者プロフィール

1954年、新潟県生まれ。成城大学文芸学部教授。専攻は文化人類学。著書に『レヴィ=ストロース入門』(筑摩書房)、『構造人類学のフィールド』(世界思想社)など。

「2005年 『プロレスファンという装置』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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