- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784335501272
作品紹介・あらすじ
人と出会い、語りに耳を傾ける。そのフィールドワークという経験に、リアリティは感じられるか?認識論からインタビュー、作品化などの研究実践に至るまでを論じ、さまざまな論点を鋭く提起する。「個人の人生に向き合う社会学」の決定版。
感想・レビュー・書評
-
対象者の生活の場で、調査者が対象者とじかに触れ合い、たとえ生活上の一局面でも共存する時間と空間をもつことなしには、本当に人間の社会生活という現実についての史料を得、それを分析し理解することなどできるものではない
オーラルヒストリーは、とくにライフヒストリーにおける個人と歴史が交錯する経験の語りに大きな意義を見いだしている
ライフストーリーの語り手と聞き手は、ともに歴史を作りだす能動的な主体詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「すなわち、サバルタンに語ってもらうには、自分が学び知ったことをとりもなおさず自分にとっての損失でもあると認識することである」
学ぶということは失うということ。
文字化してしまえばあまりに陳腐なこの方程式だが、そのことは自分が少し立ち止まったとき、特によくわかる。
あるいは、ものすごい勢いで立ち止まっているときにいたっては、もはやその比ではないが。
学ぶということはやはり狭めていくということであり、子供の頃に抱く無限の可能性を殺すのは、この学びというプロセスにほかならない。
故に人間は喜んで無限の可能性を捨てているのだし、そもそも無限の可能性なんてカオスを体内に収蔵しておくことほど不安定なこともないのだ。だから多分子供はよく泣く。
まあそれはともかくとして、自分が今まで見知ったこと、知識から構成された妄想に対して、リアルな体験をとおして紡がれる言葉というのはなかなかに害悪だ。
基本的に妄想を大事にしたいと思うのが人間であり、他者のリアリティこそがそれを打ち砕く最も有効なものの一つであるはずなのだから。
そういう意味で、実際に人の人生を深く聴くというプロセスは、それをやってみればそこから新しい妄想がスタートしてしまうという確信があるために、自己保存の法則でなかなかやりにくい。
僕は常々、何故人間はどんどん行動力を失っていくのかと考えていて、そして最近自分の行動力が低下していることも含めて、アホ面抱えて思いを張り巡らせているわけなのだけど、どうやらそのへんに原因があるように思える。
まあライフストーリーに関しては実際のところ、そこまで影響を受けるというよりも、一種の享楽として消費してしまうという智慧が人間にはあるので、そこまで深く考える暇人はよほどセンシティブな人か、それを職業にしている人くらいなものだろうけども。 -
。さふ。中