- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344019775
感想・レビュー・書評
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エッセイと括ったけれど、果たして本当に?
鬼束ちひろという人の歌が、私ははじめあまり好きではなかった。月光が合わなかった。たくさんあった音楽番組で毎回のように聞くそれがあまりに人形のようだと思ったからだ。
それが一変したのは眩暈をきいてからだ。友達が先にはまって両曲が入ったアルバムを貸してくれた。callがそして一番好きになった。それからは曲がでたらすぐ買って聞くくらいに好きになった。
この本を読んで、またはテレビで剥き出しに出ているのを見て、彼女の見方が変わったかと考えると、たいして変わっていない。彼女は歌うことが好きで、そして歌詞も曲も命を削って作っている。彼女が好きな人が最初から感じ続けてきたその事実は補強されていっても、変質することがなかったからだ。今も昔も、私は彼女の歌が好きだ。
言葉の意味をあまり考えないで(いい意味での適当だと思う)歌詞を書く、だからこの言い回しにはどんな意味があるのか、どうしてこの言葉でなければいけなかったのか、聞かれてもどうにも答えられない。そうだろうな、と思った。魂の奥底の形になる前の何かを、辞書ひきながらでは間に合わないだろうと思う。
彼女がものすごく家族に愛されている、愛しているというのが知れたこともよかった。
彼女が、彼女の望む形で進んでいってくれることを、ファンの一人として願っている。
それにしても、発売して9年経ってやっと読めた。
剣と楓は、今聞いてやっと心底いいアルバムだなと思うようになった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私はやっぱり彼女が好きだなぁ。
世間から「狂ってる」「イっちゃってる」「奇行を繰り返す」と色々言われてもやっぱり彼女の根本は何も変わってないんじゃないかって思う。勝手にだけど。
ずっと好きなアーティストだろうなぁ。
今後も彼女の音楽を聴き続けるだろうなぁ。
そんな確信が持てた本でした。 -
鬼束ちひろのベールに包まれた人生が、素直な表現で書かれていて、メディアで紹介されなかった本当の彼女が垣間見れた。家族愛、音楽への姿勢、自殺、睡眠障害、タトゥー。ファンキーな内容でした。同世代として、これからも応援していこうと思います。
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今さら読了。
いまでこそドギツイキャラが定着しつつあるけれど、見せ方がドギツイだけで中身はあっけらかんとした天真爛漫な人だと思う。感情のコントロール力がタトゥー以前と以後で変わってきた、というのは本人の談。家族の結びつきが強くて安心した。
ミュージシャンの自伝として読んだ印象としては、とくに読んでも読まなくても彼女の価値は変わらないかな。はい、見事に鬼束教の信者ですから。 -
この世界観、すきだなあ。
かなりファンキーだけど。
gagaさまといいこの方といい、
わたしは自分の感情に忠実に生きている人が
好きなようだ。
できれば見習いたいと思う。
好きなことをして生きていくには、それに
見合った努力が必要なのだろうけれど。 -
私の中の鬼束嬢ががらりと変わった。
とはいえ、彼女の何を知っているというわけでもなかったので
この本を読めてよかったと思っている。
どのような鬼束嬢でも、私は好きだなと思った。
それくらい個性的で、刺激のある文章だと思う。 -
イメチェンは衝撃的だと思ったが、これを読んで「そうかハデな方が本来の姿だったのかフーン」と思った。
まぁイメチェンどうこうより本名だったことの方がびっくりした。 -
鬼束ちひろさんの自伝です。ご本人や作品を理解するのに凄く大きな一冊でした。こういうご本を出して頂いて嬉しかったです。「友達」の項は偶然私も同じ考え方でしたので凄く共感出来ました。
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淡々と語ってゆく鬼束ワールド。
芸能人の本ってこれが初めてだった。
休止状態の時にどう過ごしていたか
ニュースにもなったあの事件。
タトゥーについて
淡々と書き込まれています。
まさにそこに言葉があったかのように。
鬼束さんは感受性が人より敏感なのかもね。 -
鬼束さんは本をあまり読まないとのことだけれど、
歌い手、鬼束ちひろを知らなかったとして、この本を読んでも
面白かったー!って人に薦められると思う。
暴れん坊でユーモアがあって、こんなに豊かな人っていないかもって
思うくらいに、なんか色々とごちゃごちゃしてて、オモチロい人だ。
「サモトラケのニケ」がほしいって一文を読んだら
ぽんっと膝を打つくらい、鬼束さんにぴったりだって思った。
玄関のドアを開けてそれがドーンと立っていたら、
私はその場で立ち尽くして見惚れるね。
玄関でお茶が飲めるよ。
彼女がいうところの「ショー」にあと少しで立ち会える。 -
2011.10.23.
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最初の数ページで何とも言えない抵抗感。読むのをやめようかとも思った。
でもそれが今まで私が勝手に築いてきた、“鬼束ちひろ像”と相容れないからだということがわかってしまえば、あとは意外とすんなりと読めてしまった。
彼女は変わってしまったのではない、今までの彼女が演じられたものだったのか。それを知ることができただけでもよかった。 -
最近好きになった鬼束ちひろさんのエッセイ。
彼女の「本当」が見れた気がして、読めば読むほど鬼束ちひろが好きになっていくのが分かった。
一見人間味がない彼女も、「人間」なんだということを思い知った。
話しかけるようなくだけた文体もまるで語りかけられるようでよかった。
うん、ただ「読んでよかった」。
彼女が「私のファンは信者みたい」と言っているが、ファンが鬼束教を信仰する理由がよく分かった一冊。
本当に満足したけれど、感動はしなかったので★★★★。
…エッセイに感動する方がむずかしいのかな。 -
これはいいなぁ!
生い立ちとか性格とか、好きなもののことを語りつつこっちを笑わせてくれるサービス精神みたいなものが行間からあふれてて、とても好き。
好きです暴れん坊鬼束さん。
「鬼に金棒。鬼束ちひろにクレジットカード。」っていうフレーズがすごく好きでふふふってなった。言葉遊びたのしいねー!
理想の男は流川楓な鬼束かわいい。
「剣と楓」の、ファンの反応についてのコメントもおもしろい。
「どの曲が好きとかおおいに争ってちょうだい!」みたいな、さばさばした態度いいなぁ。
読んでて楽しい時間でした。次の曲も待ってます -
スピリチュアルな感じ
破天荒
夜
不眠
パニックディスオーダー
感情的
彼女の流儀がたくさん詰まった本
自分には理解できない スピリチュアルな部分多し
244 -
2011.07.13
この本を評価するのって難しいな。
所謂エッセイだから、評価も何もないと思うけれど、なんというのか、これまで鬼束ちひろという人がどういう人かわからなかったのが、少しでもわかったという意味で、読めて良かったと思う。
いやぁ、しかし、自分に正直というか、すごい人だな。
私が鬼束ちひろを好きになったのが『インソムニア』が出て少しした頃だから、2001年の春ぐらいだったかな。
まず私と同じ年だったのに驚いた。この年でこんなことが出来るの?!と。
ものすごくハマって、当時はMDをずっとリピートして聴いていた。
その後『This Armor』も聴いていたけれど、仕事が忙しくなってきたからあまり聴けていなかった。
それから少しして、思わぬ時に自分の時間がたくさん出来て、その頃からライブ映像などを買ったりして遡って聴いてきたっけな。
今年はライブがあるみたいだから楽しみだけど、今までも思ってきたことだけど、この本を読んだらからあまり無理はしないで欲しいと強く思う。
しかし、彼女のショーは楽しみだ。 -
「月の破片」。その言葉にファンであればそこから繋がってゆく別の言葉や出来事への入り口を見出してしまうだろうけれど、そういう意味なんだろうか、と問われることをその言葉を吐いた人間は嫌う。「意味などない」と言い切る。意味がないわけはなく、何かが「降りてきた」ことにはそれを引き寄せた側の思いがあった筈なのだけれど、それを細々と自己分析することや探られることを拒絶して「意味はない」と断ち切る。産み落とされたものの輝きとそれに執着しない姿から、そこに孤高の姿を見出して「コンフューズ」させる信者を産み出してしまうのは、切ないけれども仕方のない流れではあると、そう思ってみる。
そんな切り離された自分の一部を与える一方の人間が、自分自身や堕ろされたものものを語るという行為は、色々な立場によって様々に受け取り方も異なるだろうけれど、コンフューズさせるどころかコンフューズさせられている者たちには、自分の信じていたものがそこに本当に存在するのかどうかを確かめるためにどうしても手放しで一端は受け止めなければならない行為として存在してしまう。
丁寧に、きわめて丁寧に言葉が重ねられている。それによって事実関係がはっきりしてゆくこともある。もっともそういうことは、信じていたもの、とは関係がありそうで実は、ない。知りたいこと。それは、何かがその肉体の中に取り込まれて変容して吐き出されているのか。それは単に入力に対する少々変わった変換が施された出力と呼ぶだけのものなのか。それともほぼ無の状態の中から立ち上がってくる何かなのか。そうだとするとそこにある啓示のようなものの意味はなんなのか。それを相変わらず本人は降りてくるとしか言わない。丁寧に自分自身の中で起こっていることを覗きこんで見えたものを伝えているのだと思うけれど、そしていつになくその背景にあるものなども見えるように説明しているとも思うけれど、一方で、本人の言うように本人にも見えていないものがあるのだろうことも同時に理解される。
それは信じているものの不在も存在も、当たり前だけれど、証明しない。そんな風に確認されたことに安堵もし落胆もする。そして、そうなんだと解っていたじゃないか、と思い直す。
やはり彼女は稀有な存在だ。
初めて聞いた言葉たちの中に、吐き出された言葉とその言葉が生み出された者へ戻ってゆく際の余りに近すぎる距離を感じて、このままではどこにも行きつけなくなってしまうのではないか、言葉が批難している側に自分自身が回った時にこの人間はどこへ行ってしまうのだろうか、と余計な心配をしたけれど、産み落としたものに拘泥せずに次の自分を見つめられる姿には、現実の生活での危うさとは裏腹に、何かを産み出すものとしての逞しさすらあると思う。だから、何かが生み出されるメカニズムなど知ろうとせずに、その言葉の持つ意味を自分自身で受け止め、意味が見出される限り受け止めればよいのだと思う。