- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980600
感想・レビュー・書評
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gentleオーナーから借りた一冊
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■よく分からないという不気味さ
新興宗教(学術的には新宗教というそうだ)という言葉の響きは、負のイメージが強い。
活動自体には反社会的なイデオロギーが含まれていない教団が多いとはいえ、やはりポストオウム的なるものの出現には怯えざるを得ない。
新宗教=カルト、といった図式は安易ではあるが、「(あちらとこちらの差として)納得すること」を求める国民性からしたら仕方のない部分もある。
また、各々の活動内容が掴めないことが不安をあおり、否定的な意見へとつながる。
著者の立場は極めてニュートラルなものであり、それぞれの教団への評価や批判は努めて排されている。
それぞれの組織の概要を知ることにより、自分がそれをどう捉えるかの判断材料になる。
要点も分かり易くまとめられており、新宗教を紹介する案内書とも言える。
■スピリチュアルと宗教のあいだ
新宗教と聞いて真っ先に思い浮かぶ創価学会。
政冶的にも表舞台に立っており、その存在感は極めて大きい。
そんな創価学会の他にも本書では「天理教、大本、生長の家、天照皇大神宮教(璽宇)、立正佼成会(霊友会)、世界救世教(神慈秀明会、真光系教団)、PL教団、真如苑、GLA」がピックアップされている。
スピリチュアルブームや前世信仰の後押しもあり、活動の実態はそこまで特異なものとは言えないものもいくつかある。
現代という時代に適合するために宗教も形を変えていくものであり、そうして形を変えられる柔軟性こそ新宗教の特徴なのだと感じる。
私個人的には新宗教には人工的な、造られた匂いを嗅ぎとってしまう。
それぞれの教団の意義を完全に白黒ハッキリさせることは難しく、もはやその必要性もないのかもしれない。
霧散するような今を生きる身として、宗教という存在を改めて認識させられた。 -
筆者は東大の特任研究員で、代表的な新宗教に関してその発生から成長の経緯がよく分かった。個別の宗派への肩入れも感じられない。新宗教はとても身近にあり、時代の移り変わりを反映して姿を変え、分裂もしてゆく。献金の額の多さは信仰の証とされるので、教団は財を蓄え強大な建造物を創る。また、新宗教が勢力を拡大するのは社会が混乱しているときや過渡期にあるときで、貧困・不満からの脱却に応える教団が伸びる。新宗教は社会の表れであり、人間の性が生み出すものだと感じた。
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【目次】
目次 [003-010]
はじめに 011
話題になった新宗教
常識と対立する新宗教
活かされる創価学会のノウ八ウ
公明党の政権参加とその余波
宗教政党への批判
新宗教と新興宗教
新宗教としての出発
無宗教という自覚の上に
その古さと新しさ
分派と対立
本書の内容と目的
1 天理教 029
宗教都市・天理
巨大な礼拝場
新宗教はいつ生まれたか
天理教の誕生
既成宗教の影響
天理教迫害の原因
奇っ怪な老婆と愚民
教祖の死の意味づけ
搾取の宗教として
戦後における布教の失敗
2 大本 050
『邪宗門』の作り上げた大本イメージ
とんでもない小説
王仁三郎という怪人
王仁三郎の吸引力
金神の信仰から
大本の発展と最初の弾圧
アジアへ
第二次大本事件とその後
3 生長の家 068
激減した信者数
大本へ
大本からの脱退
生長の家の誕生
現世利益実現の宗教へ
かつてない誇大広告
天皇への帰一
時代の変化と運動の衰退
4 天照皇大神宮教と璽宇 086
踊る宗教出現
「どうだ、岸」
天皇に代わる現人神
知識人にも人気の生き神さま
双葉山の大立ち回り
腰巻きにまで菊の紋章
大本の流れ
八ワイでも歌説法
5 立正佼成会と霊友会 103
ピンク色の大聖堂
日蓮系、法華系新宗教の台頭
庶民の信仰から
立正佼成会への信仰の系譜
霊友会とその分派
新たな都市民のための先祖供養
法座
読売菩薩
インナートリップの霊友会
6 創価学会 121
折伏による拡大
同じ日蓮系だけれど
牧口の関心
排他性の社会的背景
戸田というカリスマ
政界へ進出した理由
提造された戸田の遺訓
勝ち負けという原理
信仰の継承
神格化とポスト池田
7 世界救世教、神慈秀明会と真光系教団 144
天国の美術館
分派と分裂のくり返し
お光さま
世界救世教の誕生
神慈秀明会の歴史と活動
元軍人の開祖
若者が関心をもった新宗教
8 PL教団 159
甲子園と新宗教
名門PL学園
日本一の花火
徳光教という母体
ひとのみち事件
PL教団としての再生
社会との調和
9 真如苑 172
何かと話題の教団
新宗教のNo.3
まるで病院のよう
日常的な宗教
修験としての出発
子どもの死を乗り越えて
真言宗からの独立
仏師への道
世直しなき新宗教
10 GLA(ジー・エル・エー総合本部) 190
現在進行形への関心
ファンの多い教祖
経営者としての側面
GLAを生んだ宗教的な環境
霊と奇跡
GLAの発足
「ビバ・ミカエル」
脱新宗教
おわりに 203
言及できなかった新宗教
新宗教の系統
創価学会の特殊性
新宗教とカルト問題
新宗教の成熟
オウム事件以降
新宗教のこれから
主な参考文献 [214-215] -
みんな!どの宗教に入ってんの!?
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著名な宗教学者が十の新宗教を語ることで新宗とは何かを記していく。
そうか、新宗教と言っても、仏教や神道など従来の宗教から発生しているのか。分派的に新宗教から生まれる新宗教も数多くあって興味深い。
創価学会や立正佼成会などの有名な宗教の成り立ちなどがすぐ調べられるのはお手軽。
しかし、なんとも日本は新しい宗教が強い国であることか。
宗教は不況の時でなく、好景気の時に流行ると著者は言う。高度経済成長が新宗教乱立の日本を生んだと思うと面白い。 -
日本の明治時代からの新興宗教の流れが分かります。
かなり詳しく書かれています。
同時に、それぞれの宗教の系譜、よりどころ、影響を与え合っているところも分かります。
名前しか知らなかった宗教の教義、教祖、実態が概観できます。
とても興味深く読みました。 -
新宗教は既存の宗教的伝統の上に登場するものであり。
高度成長期人口移動に合わせて創価学会等都会で信者を増やして
天理教 新宗教は基本的に都市部産物で急激な都市化という背景がないと勢力は拡大しない。中山みきが天理大命と同一視されている。みきの長男秀司が吉田神道を学び天理教の祭神に影響を与えた。医者薬を否定し、迫害を受け、高野山真言宗光台院の末寺として迫害を避けようとした。教祖の予期せぬ死を新たな信仰を生むことで乗り越えた。
大本 新宗教で大本程高い評価を受けた教団はない。出口王仁三郎という人物が常識をはるかに超えた存在である。大本には、宗教団体にとどまらず、精神革命、社会革命の運動としての正確がある。その後の宗教界のリーダーが多く輩出された。神霊科学研究会(浅野和三郎)・生長の家(谷口雅春)・世界救世教(岡田茂吉)インテリが多く入信した。「大地の母」激しい対立の様子。
生長の家 元々大本に入信し、一燈園への関心が高まった。「実相のみがある」『心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行う』哲学を説く思想団体から現世利益を強調する宗教に変質していく。新宗教の教団が教祖の著作を大々的に宣伝し、多く部数を発行する先駆けは生長の家である。天皇信仰・反左翼の生長の家は反共産主義の政治運動が衰退すれば、改革をせまられ、太平洋戦争の侵略を認め旧来のイメージを脱皮しようとしたが、新たななイメージを強く打ち出すことに成功しなかった。
天照皇大神宮教 北村サヨ 信者達の踊りは「無我の舞」と呼ばれ宗教活動全体が演劇的な性格を持っていた。-
新宗教は既存の宗教的伝統の上に登場するものであり。
高度成長期人口移動に合わせて創価学会等都会で信者を増やして
天理教 新宗教は基本...新宗教は既存の宗教的伝統の上に登場するものであり。
高度成長期人口移動に合わせて創価学会等都会で信者を増やして
天理教 新宗教は基本的に都市部産物で急激な都市化という背景がないと勢力は拡大しない。中山みきが天理大命と同一視されている。みきの長男秀司が吉田神道を学び天理教の祭神に影響を与えた。医者薬を否定し、迫害を受け、高野山真言宗光台院の末寺として迫害を避けようとした。教祖の予期せぬ死を新たな信仰を生むことで乗り越えた。
大本 新宗教で大本程高い評価を受けた教団はない。出口王仁三郎という人物が常識をはるかに超えた存在である。大本には、宗教団体にとどまらず、精神革命、社会革命の運動としての正確がある。その後の宗教界のリーダーが多く輩出された。神霊科学研究会(浅野和三郎)・生長の家(谷口雅春)・世界救世教(岡田茂吉)インテリが多く入信した。「大地の母」激しい対立の様子。
生長の家 元々大本に入信し、一燈園への関心が高まった。「実相のみがある」『心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行う』哲学を説く思想団体から現世利益を強調する宗教に変質していく。新宗教の教団が教祖の著作を大々的に宣伝し、多く部数を発行する先駆けは生長の家である。天皇信仰・反左翼の生長の家は反共産主義の政治運動が衰退すれば、改革をせまられ、太平洋戦争の侵略を認め旧来のイメージを脱皮しようとしたが、新たななイメージを強く打ち出すことに成功しなかった。
天照皇大神宮教 北村サヨ 信者達の踊りは「無我の舞」と呼ばれ宗教活動全体が演劇的な性格を持っていた。
2015/05/14
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天理教とか、生長の家とか、創価学会とか、PL(パーフェクトリバティ)教団とか、いったいそれらがどういう教えで、どんな活動をしているのか。また、誰がどんな経緯で新たな宗教を起こしてきたのか。そんなことが本書には書かれています。いわゆる教祖と呼ばれる人たちには相当なカリスマ性があるのだろうということは想像できます。でも、実は始めはただの「おばさん」だったのが、身内に病人をかかえ、何とか救いたいという一心で宗教にのめりこむ。その中でお告げを聞くなどして、自分が主体となって宗教を起こしていったというようなケースが多いということを知りました。また、PLとか創価は宗教団体が母体になった学校だということは分かっていましたが、他にも結構新宗教が母体の私立学校があることを知りました。さらに、数年前に訪れた信楽にあるミホミュージアムもやはり新宗教と関係しているということでした。とっても落ち着いた美しい美術館で、宗教色はまったくなかったので驚きです。私たちの知らないところにもいろいろな宗教が根付いているのだということがわかりました。私自身は特にいずれかの宗教にくみするわけではないのですが、本書を読んで、少し新宗教に対する見方が変わったように思います。
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比較的公平に書かれていると言うことだが、やはり著者の宗教観色濃く出ていて、本人は自覚していないかもしれないが教団の方向性に応じて記述内容に偏向を感じる。
新聞雑誌にも書かれているような、各教団の特異性でなく、普段の宗教活動の実態にもっと迫って欲しいのである。宗教学者らしいもっと突っ込んだ視点が欲しいところである。