- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983458
感想・レビュー・書評
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社会的弱者救済を実現しようとしてきた戦後日本が、世界的潮流およびグローバル化の流れの中で、弱者切り捨て、弱者の自己責任へと、舵を切ろうとしている、と著者は指摘する。
そして、内外の著作を取り上げ、弱者救済の理屈付け、理論づけを探求するが、いずれも正解といえる答えは見いだせない。
最後は、理由なんてない、と爽やかに言い切る覚悟を持てるかどうかだ、と結論付ける。
常に、社会的に弱い立場の人、努力しても報われることの叶えられない人、の心情を忖度して発言する著者の姿勢に、敬意を表したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
はじまりは前橋市に届いた伊達直人のランドセル。最終的には、全国で何千人もの伊達直人が現れ、恵まれない子供たちのため善行に走った。最初にランドセルを贈った伊達直人は決してお金に余裕があったわけでもない。不幸な境遇にある子供たちの力になりたいとの一心に突き動かされての行為であったという。東北大震災では車椅子の女性を助け、自身は津波に流された女学生もいた。本書では精神分析、思想、経済、様々な視点からわが身をさしおいても弱者を救済する行動について論考する。あとがきには社会的公正や恵まれない子供たちのため世界を飛び回るドゥダメル氏の言葉が引用されている。「弱い人や困っている人を救うのは自然で当然のこと。理由などない」。けだし胸いっぱいに広がる清しい名言である。
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古今の思想・宗教に弱者救済の根拠を多方面から探り、
リベラルな立場から、個人の自由と 市場経済と多数決を乗り越える新しい倫理を模索するわけであるが、結局明解な結論は示せていない。
それほど難しい問題でもあるということだろう。
中でも個人的にはローズルの「格差原理」や「集団的資産」の紹介は参考になった。