- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393364062
感想・レビュー・書評
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村木弘昌氏の「釈尊の呼吸法ー大安般守意経に学ぶ」と同様の呼吸法が書いて在ると思っていたが、本書は呼吸を媒体にして「気づき」へ導くことを主眼としている。「アーナーパーナーサティ・スートラ」は「出息入息に関する気付きの経」と題され、16の考察を行う。最初に息の長短を知り、全身を感じながら呼吸し、次に感受に意識を集中しながら呼吸を行い、さらに心を感じながら呼吸を行い、最後に智恵に関する考察として、無常や手放すことに意識を集中させながら呼吸するに至る。この16の段階を著者は丁寧に説明していて分かり易い。
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脱同一化。
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本書は、私の瞑想の教科書です。
著者のラリー ローゼンバーグ氏は、アメリカ人ですが、いわゆる西洋の人は、東洋の人と比べて仏教や瞑想といったことに先入観がなく、客観的に研究に取り組む傾向があります。東洋の人にとっては当たり前と思い込んでいる基本的なことから真摯に勉強したり、考察しているため、より深い知識をわかりやすく説明してくれます。
本書は、「アーナーパーナサティ・スートラ」というブッダの経典を元に説明されており、ブッダを尊敬している私にとって理想的な書籍です。
訳者の井上ウィマラ氏も、日本におけるこの道の第一人者であり、英語も堪能で内容を深く理解した上で訳しているので、非常に読みやすい内容となっています。
本感想は、私のブログ http://kiwain.com/ からの転載です。 -
臨床心理学界隈でも話題になっている「観察」タイプの瞑想法、ヴィパッサナー瞑想についてのよくまとまった本。
基本的には内側の人(≠研究者)の本なので、この本だけでヴィパッサナー瞑想を全面的に信用するようになるのは危険だけれども、ヴィパッサナー瞑想及びそれがアイデンティティの基にしている「原始仏教」が、現代の世俗社会に対してどのようなカウンターを行おうとしているのかを知るのにはとても良い。
特に、「言語依存」の世俗に対するカウンターというのは、行為によるものであり言語主義の論文などには出てこないものである。日頃言語に浸かりまくっているような職業をしている人こそ、この手のものの存在を認識して時たま触れるくらいのバランス感覚を持っているべきなのだろう。 -
呼吸と瞑想 タイ人のを英訳の隣書
by小池龍之介一連111029 -
ヴィパッサナー瞑想の手引き書としてだけでなく、いわゆる霊性の道について丁寧に教えてくれる良書。
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歩きながらのやつをとりいれよう
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著者はハーバード大学などで社会心理学などを教えた博士で、クリシュナムルティ、ヴェーダンタ、禅、そしてヴィパッサナー瞑想を30年修行をしたという。
この本は「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナサティ・スートラ)に基づいて教えるという形をとっている。
あれこれ迷いなが瞑想している今の私にとっては、とてもとても参考になる本だ。本当にことこまかに親切に手取り足取り瞑想を教えてくれている。しかも、たんなるノウハウの本ではない。瞑想を説くことがそのまま深い深い求道の精神と説くことにつながっている。あるいは、瞑想の在り方を説くことが、そのまま生き方へ洞察に繋がっている。
その珠玉の言葉をいくつか拾ってみよう。
「私たちは記憶やさまざまな理想から自分自身についての概念を創造し、そのイメージを保持しようとして疲れ果ててしまいます。最後にその理想のイメージを手放すことができたとき、それは大変な救いとなります。そして私たちはこれまでとは別なことをする豊かなエネルギーを得ます。」(P82)
「『……私以外の全員が集中できている。この心さえさ迷い出さなければ、修行できるのになあ』と自分を責め始めます。でも、そのさ迷ってしまった心を見るのが修行なのです。(中略)ですから優雅に戻ってくることを学ぶのがとても大切になります。格闘するのではなくて、舞うように」(P52)
「恐怖、恐怖から自由になりたいという熱望、心と身体、それらを観察している気づき、その気づきを増進させる意識的な呼吸。私たちはそれらのすべてと共に座ります。 恐怖のような強い感情に関しては、まず最初は自分がどうやって逃げ出そうしているかを観察するのがせいぜいでしょう。それも価値あることです。否認したり、抑圧したり、説明したり、逃げ出したり、空想している自分を観察するのです。これらのことを巻き込まれることなく繰り返し見つめているうちに、心の方が疲れてしまいます。やがてある日――無理にそうすることはできませんが――恐怖が生じても、注意がそれをサッと出迎えて、ひとつになり、恐怖がその花を開くに任せられるようになります。それこそが恐怖が長い間ずっと待ち望んでいたことだったのです。」(P106)
瞑想に迷う時、何回か読むことになるだろう、いや読みたいと思えるような本だ。