日本史集中講義: 点と点が線になる (祥伝社黄金文庫 い 2-10)

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  • / ISBN・EAN: 9784396314323

感想・レビュー・書評

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  • 皆さん、尊敬する方から『歴史から学ぶ事が重要』って言われた事はありませんか???
    歴史って暗記物だし年号、人物名や事項を覚えても現代で役立つはずが無いなんて思いますよね?
    そんな皆さんに歴史は面白いと教えてくれる井沢元彦さんの作品、『点と点が線になる日本史集中講義』をご紹介します。

    皆さんは歴史の事象原因について明確に答えられますか?

    例えば織田信長による『楽市楽座』ですが『既存の独占販売権、非課税権、不入権などの特権を持つ商工業者(市座、
    問屋など)を排除して自由取引市場をつくり、座を解散させるものである』(WIKI抜粋)とありますが何故、織田信長は
    自由市場を設置しなくてはならなかったのでしょうか?

    「税負担を軽減し誰でも商売が出来るようにしたかった」と思われるでしょうが、それでは信長には何の利点も必然性も無く、
    論理的に考えたら理由がはっきりしませんよね?

    実は教科書には理由が明記されていない為、暗記だけとなり皆さんの興味を奪ってしまうのです。

    本書はそういう抜け落ちた必然性と時代背景、そして古代から続く日本人特有の風習を絡め、簡潔に論理的に誰でも
    理解しやすい文章で説明している点が最大の特徴となっているのです。

    では信長の楽市楽座の話をしましょう。
    元々は室町幕府の失政からでした。

    将軍の足利尊氏は天皇の部下という立場上、他の同じ武士である平家や源氏の服従を得られませんでした。
    その為、武士達は勢力を伸ばす為に暴走し、1467年には応仁の乱が勃発し、室町時代は終焉を向かえ戦国時代となるのです。

    警察である武士達が任務を放棄すると国は混乱し、民衆は命の危険にさらされるようになります。
    その為、防衛の為武装するようになるのですが、なかでも比叡山延暦寺や日吉神社などの寺社は圧倒的な財力によって
    僧兵と呼ばれる武装集団を抱えるようになり源義経の従者、武蔵坊弁慶も比叡山の僧兵だった事でもその戦力は一般武将を
    凌ぐほどだったそうです。

    寺社は自己防衛の為に多数の僧兵を抱えましたが、彼らを養うためのお金が寄進だけでは足りなくなります。
    当時、寺社は特性上海外の最先端技術をいち早く入手する事ができました。

    彼らはそれら技術を商人に教え、代わりに多大なリベートを要求するようになります。
    しかしそれでは高額なリベートを支払いたくない他の商人に真似されて終わりです。
    考えた寺社は僧兵をリベートを支払わない業者に差し向け、何度も虐殺し、焼き討ちを行なうようになります。
    そうして寺社傘下の『座』ができ、市場を独占するようになります。

    しかし他の武将達や寺社が縄張りを奪おうと虎視眈々と狙っています。
    対抗するためにはもっと僧兵を雇い雇用し続ける為の財力が必要です。
    ですが重いリベートの為、高額となった商品は簡単には売れません。

    すると寺社は民衆達が日常的に往来する街道や河川、海域に勝手に関所を設け始めました。
    民衆が関所を通れば楽してお金が寺社に入ります。

    主要街道は勿論、大阪の淀川には三百箇所もの寺社関所が幕府に無断で設置され、やがて寺社はその強大な戦闘力を
    背景に領主達の命令を無視するようになりました。

    領主である織田信長も武士達を養わなければならないが、寺社が市場を独占し、利益を貪ってる状況では税の徴収もままなりません。
    このままでは軍事力を維持する事ができず、国を守れなくなります。
    その為、信長は楽市楽座を導入したのです。

    これは寺社の利権を奪う行為ですから当然反発が起こります。
    それを見越して信長は天下布武を制定します。
    これは信長が守るから武器を捨てよという命令であり、本当の目的は寺社の武装解除だったのです。

    しかし市場の利権と武力を奪われ、関所の撤廃までされたら寺社は地位を保てなくなります。
    しかも寺社同士の利権を巡る対立は激化しており、1536年天分法華の乱という延暦寺による法華宗の虐殺にまで発展しています。
    このように現代では考えられないほど寺社は危険な存在だったのです。

    1571年、信長は命令を無視し蜂起した延暦寺を武力で制圧します。
    その後も何度も講和を結んだが一方的に反乱を起こす本願寺などの勢力に対しても武力制圧を行なうのですが、鎮圧後、信長は
    服従する姿勢を見せた本願寺に『総赦免状』を送っています。
    これはそれまでの罪を許すとの意味で『往来自由=布教活動を行なって良い』とまで書かれています。

    これが信長の『楽市楽座』を発端にした『宗教弾圧』までの話です。

    全ての事象は過去から繋がっているのです。
    皆さんが習われた点という年号や事象を連綿とつづる日本人の営みとして線にし歴史にする。
    これが本作品の意図であり目的だと思います。

    織田信長は格好いいって思ってる・・・むう達でした(笑)

  • 歴史は一つの流れである、その一つひとつは『点』ではなく『線』でとらえる、点て点が線になり、線と線が面を形作るのです。

  • 今までに読んだ日本史の本の中で一番わかりやすく面白かった!

  • ものごとを解釈するには。
    ①前提条件を考える

    ②ものごとの再認識
    ③新たな発見

    ④判断基準に取り入れる(次回から前提条件に加わる)
    の繰り返し。

    現在はこう→過去はこうっだた→だから未来はこうなる。
    それには歴史の勉強が必要。
    「楽市、楽座」「刀狩」の章は参考になる。

  • 井沢さんの歴史に関する本

    点になりがちな歴史事項を線とし、全体のつながりに焦点を当てた本です。

    無機質な受験では無意味な暗記に走りがちですが、本当はこんなに面白いんだってことが実感できます。

    壮大なヒューマン・ドラマです。

    武士政権が生まれたわけ
    楽市・楽座、刀狩の意味。
    徳川政権が平和だったわけ
    朱子学の推奨が尊皇攘夷運動を生んだ?
    など、大雑把ですがなかなか引き込まれます。

    やっぱり彼の『逆説の日本史』は読むべきだと思いました。

    最後に、最近、研究室の同僚と話したことについて

    『賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ』

    これは真理だと思います。

  • ‘’点と点が線になる‘’
    歴史とは、暗記科目ではない。
    過去に生きていた人間の生活の苦労から生み出された、新しいシステムの記録なのだ。
    歴史で登場する偉人は、知恵を絞り、そのシステムを生み出した人物という事だ。
    システムの変革が起これば、そこに人と人との亀裂が生じる。それがひいては戦争となる。
    秀吉が日本統一しても、今度は存在意義を失った武士の生きる道をあてがわねざならない。それが朝鮮出世の目的だった。
    人間が生きていく限り、システムは変革し続ける。歴史はもちろんだが、全ての現象が、この仕組みで説明出来るとまで、思わされた。
    古代国譲りの話から、現代に至るまでの、点と点が、正に一本の線となって腑に落ちる、大変わかりやすい歴史解説書である。

  • 日本史を「点」で教えようとする教科書(過度な史料重視)。これを「線」で結び、歴史の流れを理解させてくれる。
    例えば、「武士」を通り巻く流れを、土地政策、武装勢力としての社寺、「穢れ」思想から簡単に纏めてみると次のとおり。

    ●土地政策と武士の起こり:
    646年公地公民制➜743年『墾田永年私財法』➜荘園(藤原氏などが土地の私有地化を認めさせる(12世紀頃に確立した「不輸・不入の権」で有力貴族や大規模社寺に対する免税制度化)で公地公民の崩壊(国家財政の困窮・治安の悪化)➜土地・生産物を自分達で守る、自衛としての武士(侍)の興り➜武士は正式な土地の所有者として認められなかった➜独立運動(935-40年平将門の乱、939年藤原純友の乱)の失敗➜公家の内部抗争の解決に武士の力(1156年保元の乱)。武士の存在感が増す➜1159年平治の乱・1180-85年治承・寿永の乱を経て、1185年源頼朝は「守護・地頭」を置く(武士が「穢れ」部門(警察部門)を担当(守護)する一方、正式な土地所有者(地頭)となる。武士の世へ➜室町幕府の足利氏は数ある源氏の一門。他の守護大名の臣従意識が低い。足利将軍が統制に失敗し「戦国時代」へ。➜織田信長による職業軍人化(農閑期に限定せず年中戦える、京都に駐留できる)。➜戦力は強化されたが大きな戦いが終わると武士の失業問題が発生(cf. 文禄・慶長の役)➜江戸時代には、武士の官僚への職種転換で解決。➜しかし、戊辰戦争後の西南戦争、征韓論、台湾出兵の背景に同様の問題も燻る?

    ●武装勢力社寺の武装解除と政教分離:
    留学僧は、仏教の教え以外に様々を技術を学ぶ(当時の寺は先端技術輸入センター)➜寺社の利権による物価高--①商人に対してライセンス料を要求(従わないと、寺社という武装集団(僧兵)に排除される。②商品を運搬する際に「関銭」を巻き上げられる。③市場ではテナント料を取られる。➜信長が領主になると寺社勢力の利権撤廃(関所の撤廃、楽市楽座の開設)と武装解除➜庶民は信長を支持➜信長は寺社を介しない経済活性化のため、「城下町」を築く。

    ●「穢れ」思想から生じた朝幕併存:
    日本人特有の「穢れ」思想(例、京都の死体置き場:鳥辺野、化野(あだしの))➜桓武天皇、死の穢れに触れる部門(兵部省・刑部)を事実上放棄➜治安の悪化➜令外官として軍事・警察の組織「検非違使」の配置➜平安時代末期になると北面武士に取って代わられ、更に鎌倉幕府が六波羅探題を設置すると次第に弱体化。室町時代には幕府が京都に置かれ、「侍所」に権限を掌握されることに。➜全国的には前述の「守護」が警察機能➜室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなる。➜江戸時代の朱子学の導入により、天皇から征夷大将軍に任命され政治の全権を委ねられている徳川家の地位を確固たるものにした。➜朱子学の思想が、幕末の尊王攘夷の思想に繋がり江戸幕府の崩壊を招く。

    最後に印象に残ったのは、日本という「話し合い至上主義」のなかでの織田信長のリーダシップの取り方である。「あることをしようと思った場合、それを自分の決断として一方的に押し付けるのではなく、まず主だったものを集め意見を聞く。全ての人に意見を言わせた後、その中から、自分の意見に最も近いものを『お前の意見を採用する』という形で選び実行する」というやり方だ。なるほど、家臣のやる気を高めつつ、リーダーシップを明確にし、迅速な決定に繋がる方法だと感心。

  • もう一度、学校で先生から日本史を習ってた頃に戻りたい。

  • 日本人は和をもって考え、話し合いで考え(<b>話し合い絶対主義</b>)個人で責任を持たない。責任の所在がはっきりしないというのはその通り。
    <i>もともと「やまと」という名の一地方政権があり、それが日本を統一した。
    大和(やまと)とは 「大きな和」、話し合いによって成立した国家であるから「大和」という字を「やまと」という呼称にあてたのではないか。</i>

    ケガレ思想が日本の武士が出来る元になったという説にも多いに納得

  • 点と点が線になった時、昔から今現在まで、日本人が他の国の人と違う価値観で生きている、と実感できる。和の世界だけでは、外国に立ち向かえない。メンタリティの内と外への使い分けが重要、と筆者は説いている。なるほど、と共感出来ることも多い。特に、稟議書については1人が反対したら何も決まらない、日本社会を顕著に言い当てている、と思う。

著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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