藤原氏物語: 積善籐家 栄華の謎を解く

著者 :
  • KADOKAWA(新人物往来社)
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感想 : 1
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  • Amazon.co.jp ・本 (372ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784404025746

感想・レビュー・書評

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  • 古代史好きな方のレビューを読んで、積読リストに入れてました。
    難しそうだったのでなかなか手が出せなかったのだけど・・・やっと読みました。

    藤原氏物語というその名の通り、初代鎌足から始まり、辛うじて道長あたりまでのことが研究されていました。
    不比等好きな私としては、前半を特に熱心に読みましたが、後半、百川の陰謀から桓武が天皇になるあたり、冬嗣や安殿なども登場し、懐かしい気持ちに。。
    以前はこのあたりの早良親王の祟りとか、薬子の変などにハマっていて、講演を聴きに行ったりもしてました。
    が、大分忘れてしまっていたので(涙)今度はこのあたりのことを再度掘り下げたいな、と思いました。もっと簡単な本からはじめよう・・・

    とりあえず備忘録。

    ☆鎌足が藤原姓を賜った当初はそれを他の中臣家も世襲してて、大嶋達も中臣姓をやめていたんだけど、持統天皇の意向で史から不比等へ改名させ、それを機に、不比等による藤原氏の一本化、藤原朝臣姓独占となり、他の者は中臣に戻らせたそうです。
    今更ですが不比等の名の由来は「比類なき、比べるもの全くなき人」
    持統は随分前から不比等の才能を買っていたけれど、中臣全体を盛り立てるつもりはなかったってことみたい。

    ☆この時代の律令は、積極的に天皇はいかなる権限を保有するかについて、殆ど何も定めていなかったんだそうです。
    とはいうものの、天皇には何の機能もない、というわけではなく、天皇の成すべきこと、成しうること、等の条文は存在するけれど絶対専制君主であるような規定はないし、かといって、飾り物のような扱いでもなくて、結局のところ、天皇は飾り物であることも出来たし、絶対専制君主として君臨することも可能で、そういう意味で天皇は超法規的、超律令的存在だったそうなのです。
    この時代の天皇の権力って天武あたりは絶大だったのでしょうけど、そのあと繋ぎの女帝が続くし、どんな感じだったのかなーって思ってたので、ちょっとイメージしやすくなりました。
    ちなみに明治に成立した大日本帝国憲法では、元首としての天皇を明確に定めていたし、現行の日本国憲法では統治権を保有しない象徴、と明記されていて、このようなフレキシブルに対応できる律令はなかなかないそうです。

    ☆良房が、今日のこのような自分が在るのは藤原氏始祖の鎌足や不比等、あるいは北家始祖房前などのおかげだと思っていたのかどうか検証している章があり、目の付け所が面白かったです。
    結局土地の所有権の移り変わり、墓の扱い、法事などの行事、藤原氏一門の多数の日記、などから検証した結果、始祖の功績を回想することなどほとんどなかった、ということになるみたい・・・
    古人は祟りを信じるからもっと祖先も大事にしていたのかと。。

    ☆積善藤家、という角印をどうやら光明子が使っていたらしい?これは善行を積み重ねる藤原家、という意味で、積善余慶(善行を積み重ねた家には必ず子孫にまで及ぶ幸福がその報いとしてやってくる)をもじったものなんですって。なんだか周りは鼻についただろうなーと思って笑いました。

    まあとにかく、藤原氏が権力獲得保持に成功したのは、天皇家と鎌足・不比等が築いた相互信頼といえる特殊な関係を代々続け、また婚姻関係を持続したことで特に外戚としての地位を占め、律令官人として権力の中枢に入り込み、太政官に時に複数で座り続けたことが、その秘訣だったのではないでしょうか。。

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