高橋是清の日本改造論: デフレ大恐慌のいま、死中に活路を見い出す

著者 :
制作 : 山崎 源太郎  矢島 裕紀彦 
  • 青春出版社
3.75
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784413031240

作品紹介・あらすじ

日本発の世界恐慌の悪夢は現実となり得るのか…。戸惑うばかりで何も打ち出せない政治化たちに盲従する私たちへ、この本は活路を示し、そして喝を入れる。かつて、あまたの民を苦しめた昭和恐慌に酷似した事態が、その世紀末に再びやってくると、誰が予想したであろう。その意味で当時国民を救った不橈の蔵相、高橋是清の熱と血の言葉は、あまりにも尊い。日本経済再生のための「唯一無二の哲学」が、まさに今、蘇る。

感想・レビュー・書評

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  • 世界恐慌により混乱する日本経済を、リフレーション政策によって、デフレから世界最速で脱出させた。

    高橋是清は、どのようにして、デフレーションからの脱出を実現したのか????

    Wikipediaより
    1927年に昭和金融恐慌が発生、瓦解した第1次若槻内閣に代わって組閣した田中に請われ自身3度目の蔵相に就任。
    高橋は日銀総裁となった井上準之助と協力し、支払猶予措置(モラトリアム)を行うと共に、片面だけ印刷した急造の200円札を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させた。
    1931年、政友会総裁・犬養毅が組閣した際も、犬養に請われ4度目の蔵相に就任し、金輸出再禁止(12月13日)・日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額等で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させた(リフレーション政策)。

    五・一五事件で犬養が暗殺された際に総理大臣を臨時兼任している。続いて親友である斎藤実が組閣した際も留任(5度目)。
    また1934年に、共立学校での教え子にあたる岡田啓介首班の内閣にて6度目の大蔵大臣に就任。

    当時、リフレーション政策はほぼ所期の目的を達していたが、これに伴い高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく(出口戦略参照)軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。
    享年82(満81歳没)。

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著者プロフィール

嘉永七(一八五四)年、幕府御用絵師の子として江戸に生まれ、仙台藩足軽高橋家の養子となる。藩の留学生として渡米して苦学。文部省、農商務省を経て、日本銀行に入り、横浜正金銀行を経て、日銀副総裁に就任。日露戦争外債募集に成功した。日銀総裁に昇任後、山本権兵衛内閣の蔵相となり立憲政友会に入党した。大正一〇(一九二一)年、首相・政友会総裁に就任。都合七度蔵相を務める。金融恐慌ではモラトリアムを実施、恐慌を沈静させた。また世界大恐慌では、金輸出再禁止、国債の大量発行など積極財政による景気刺激策を推進した。昭和一一(一九三六)年の二・二六事件で暗殺された。

「2018年 『随想録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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