東京23区 境界の謎

著者 :
  • 自由国民社
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本棚登録 : 82
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784426125868

作品紹介・あらすじ

「境界」の秘密を知ると、TOKYOはもっと面白くなる!
「そうだったの?!知らなかった!!」満載の、首都の知られざる地理と歴史の話。

感想・レビュー・書評

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  • 生まれも育ちも東京の区ですが、普段気にしていなかった23区の境について楽しく勉強できた一冊。
    江戸時代の線引きが色濃く影響することになる東京の境界、歴史の中で目まぐるしく変化してきました。
    近隣県との兼ね合いや都内の抗争にドラマがあり、時代が移り変わっても残る本来の地名に浪漫を感じます。
    郷土については知れば知るほど興味が湧き、益々好きになりますね。

  • 地図研究家による、マニアックな東京区境界の蘊蓄集です。23区の成り立ちや、東京湾上の領土争いや品川駅が港区、目黒駅が品川区にあるとか、読んで覚えればウンチクおじさんになれます。

  •  23区がどういう経緯で今ある形になっているのか、行政区分の歴史を江戸時代から辿っていき、今に残る特殊な区界や住所を紹介する本。
     ちょっと前から「区界を歩く」というのが個人的なブームになっていて、これまで歩いたのは新宿区、豊島区、荒川区、品川区、渋谷区、中野区。歩いていると、いかにも昔の川の跡みたいな、人が1人通れるくらいの細さの長い路地があったり(長崎と旭丘の間、上落合と上高田の間とか)、道沿いに区界になっているのに、数軒だけ別になっているところ(例えば西大井と山王の間とか)、変に出っ張ってるところ(品川区の林試の森公園の先とか)、いちいち面白い。なので、こういう本を読んでみたくなった。
     しょっぱなの、区の行政区分の変遷については、割と記述も普通で、あんまり興味が持てなかった。ただ戦後のGHQによる行政区分の再編の話で、「戦争で大きな被害を受けた区とさほど被害を受けなかった区があり」(p.44)、人口や財政のバランスを考えて再編された、というのは納得した。
     全体的な話はともかく、個々の話は楽しめた。まず明暦の大火で「迫りくる炎から逃れてきた人々は、隅田川で行く手を阻まれた。なぜなら、隅田川には橋が架けられていなかったからである。」(p.65)という話。区界を歩く企画ではないけれど、割と歩いてどっかまで行くのが好きで、色々なルートが楽しめるというのもあるけど、川を渡るところで橋の数が限られているので、だいたい同じルートになってしまう、というのがあった。「江戸城を防備する必要性から、隅田川には千住大橋しか橋が架かっていなかった」(同)ということらしい。
     それから、区界ウォーキングをやっていて一番驚いたのは、荒川区に荒川が流れていないということ。区界の川にたどり着くまで、その川は荒川だと思ってたけど、隅田川だった。地図を見てもそのままついに荒川に接することなく、ひたすら隅田川沿いを歩いて終わり、ということで、意外だったが、その辺の事情がpp.75-8に書いてある。あんな広い川が「放水路」で、細い方が自然の川、というのが意外。あとはお台場の話が面白い。埋立地は開発すればものすごい資産価値が生まれる、というのは今の発想で、当時は「各区の財政を浪費するだけで、何も価値もない不要な土地という認識が強かった」(p.110)ということで、不要な土地の押し付け合いをやっていた、というのもこの本で初めて知った発想だった。で、品川区一周した時に気付かなかったのだけれど、お台場の一部は品川区なのだそうだ(pp.111-2)。あとは同じ埋立地の話では「中央防波堤埋立地」なんて、住所が決まっていないらしい。「江東区青海二丁目地先」らしい。「先」なんて表記があるんだ、と思った。そしたら銀座にも「中央区銀座8-7先」(p.143)らしい。あとは今暗渠になっている川みたいなところのいくつかは、「街にうず高く積まれていた瓦礫や残土などを遠くへ運搬するのは容易なことではない。手っ取り早く済ませるために、それらを近くの水路や壕などに投げ捨てた」(p.142)らしい。単なる開発のためだけでもなかったそうだ。それから、区界話としては、区界にある建物がどうなるのか、という話。実はおれが住んでいるところも同じ事情があるので、これは興味深かった。この本では世田谷区と狛江市の間にあるマンションの話で、結果として世田谷区になったらしいが、「『世田谷区成城』と『狛江市東野川』とでは、ブランド力には圧倒的な差がからだ。当然のことながら、資産価値にも大きな違いがてくる。」(p.151)ということで、それはそうだろうと思った。結果的に「マンション8棟のうち2棟の住人は、狛江市の土地に住む世田谷区民ということになる」(p.152)らしい。最後に、品川区境を歩いていて気付いたのは、品川区に品川駅がないということ。品川宿に品川駅を作ろうとして反対に遭い、「やむを得ず宿場から遠く離れた『高輪』という寒村に建設することにした。」(p.236)ということで、今の状況からすると、高輪が寒村、というのも信じられない。目黒駅が目黒区にないのも同じような事情があるらしく、都心では駅に近いところがものすごい資産価値を産む今の状況からすると、全然事情が違うんだなあということが分かった。
     ということで、東京の意外な面を知るには面白い本だと思うが、類書を読んだことがないので、これがベストなのかどうかはよく分からない。23区全体を分かりやすく示して欲しいとか、もっとポイントを分かりやすく示して欲しい、という地図の示し方には改善の余地もあると思う。けど、散歩好きには、これから行ってみようと思うスポットがちりばめられていて面白かった。忘れないようにメモしておくと、「隅田川」が始まる「岩淵水門」(p.78)、新宿区と千代田区の境を示すプレートが埋め込まれている「区界ホール」(pp.104-6)、江戸川放水路と元の江戸川の分岐点「江戸川水門」と「河原番外地」(pp.124-7)、荒川と中川の間の「背割堤」(pp.136-7)。(20/05/03)

  • 2年前に妻に誘われてアプリを使って街歩きをすることにしました。色んな遊び方があるのですが、その一つにオリエンテーリングのように設定された道を歩く遊び方があります。地方でイベントがあり旅行気分で楽しむこともできますが、同様のコース設定が東京にも数多く設定されています。

    昨年辺りから一人でも遊べるようにレベルが上がったので、偶に一人で東京都内を街歩きすることがあります。そこで気づいたことですが、同じ東京なのに、ある場所から雰囲気がガラリと変わることがあります。綺麗な住宅街からビックリするような街並みになることが。。この時にこの本のタイトルにもなっている「区境」を意識しました。

    私が感じたのは、大きな公園を横切る前と後で雰囲気が変わったこともありました。そんな経験をした私にとって、この本は十分に私の興味を惹きました。歴史が好きな私ですが、東京の23区に至るまでの変遷、ちょっとした「いざこざ」が説明されているこの本はとても楽しく読むことができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・1867年11月の大政奉還、翌年5月に江戸城が明治新政府に明け渡され、7月に江戸府が開設された、そして9月に東京府となった。当初の東京府の管轄区域は、町奉行が支配していた範囲(墨引)の内側であった(p24)

    ・明治2年、明治新政府は武蔵国にある旧幕府領を管轄するため、東京府の外側に、小菅県・大宮県(のちに浦和県)・品川県を設置し、境界線を新たに引き直して「50区制」を採用した、明治4年4月の戸籍法により、身分制度が廃止、町人地・武家地・寺社地の区別がなくなった、7月には廃藩置県があり全国が3府302県に区分され、11月には3府72県となった(p24)

    ・東京が市制になったのは、関東地方では、水戸市・横浜市についで3番目、全国では32番目、東京府は東京市15区6郡から構成されるようになった(p32)

    ・明治29年に東多摩郡と南豊島郡が統合されて「豊多摩郡」となり、東多摩郡は消滅し、北・南・西多摩の三多摩となった(p36)

    ・太平洋戦争真っ最中の昭和18年7月、閣議決定により都制が施行されることになった、東京府と東京市が廃止され、東京都が設置された。正確には、東京市が東京府に併合されて、それが東京都となった(p42)

    ・日本橋から各街道の最初の宿場、すなわち、品川・千住・板橋・内藤新宿を「江戸四宿」といって、江戸の出入り口の重要な役割を担っていた(p70)

    ・昭和39年の河川法改正により、本流が一級河川ならその支流も、そのまた支流も一級河川であるという考え方になった、これより荒川放水路が荒川の本流となり、正式な河川名が「荒川」となった。一方、岩淵水門から下流はこれまでは「荒川」と呼ばれていたが、この法律により「隅田川」となった(p78)

    ・板橋区と戸田市の境界変更は円満解決だったこともあり、荒川河川敷で「戸田橋花火大会」が開催された、いまでは「いたばし花火大会」「戸田橋花火大会」という別々の大会だが開催日は同じ日である(p89)

    ・昭和33年に、新宿・渋谷・池袋が副都心、57年には、上野浅草、錦糸町亀戸、大崎が追加、平成7年には臨海副都心が誕生した(p109)

    ・江戸川放水路は、河川法改正により昭和40年からは「江戸川」、放水路開削まで本流だった江戸川は「旧江戸川」と呼ばれるようになった(p124)

    ・東京は戦争で壊滅的な被害を受けたため、昭和22年に東京35区は23区に統合された、単独で行政を運営していくことが困難となり合併せざるを得なかった(p149)

    ・平成12年(2000)に行われた地方分権改革により、23特別区は都の内部団体としての地位から脱却し、一般の市町村と同じ基礎的自治体として規定された(p156)

    ・大塚駅は今でこそ池袋駅の10分の1程度の乗降客数だが、戦前は池袋よりはるかに賑わう街だった、大塚駅こそが豊島区の中心駅であった(p172)

    ・明治36年、常磐炭田で採掘された石炭を横浜港へ輸送するために、田端と品川線を結ぶ路線が建設され、これが山手線の一部区間となった。このときはじめて池袋に駅が開設された、品川線から田端へ通じるための分岐駅として。当初目白駅を分岐駅とする予定が住民の反対があった(p175)

    ・目黒川という河川、江戸時代にはこの河口に「品川湊」という港があった、また目黒川の古名を「品川」といった(p236)

    2020年4月11日作成

  • 銀座の高速高架下の区が決まっていないのが一番衝撃

  • 言われてみれば確かに気になる区境の謎。
    河川の氾濫対策のために川の流れを変えたり、色々な知らなかった土地の歴史を知ると、区境や地名の謎も腹落ちする。
    ブラタモリ的な知識欲を満たしてくれる一冊。

  • 区の変遷も詳しく書かれていて大変興味深かった。区境をめぐる水面下の争いもどちらの言い分もなるほどと思い平行線たどっているのもうなずける。川場村が世田谷区になるかもしれなかったという幻の合併案にロマンを感じました。
    県境の飛地で有名な練馬区西大泉町や区境の際に住んでいる狛江or世田谷区の住所表記、住民の23区にこだわる徹底抗戦がアツい!

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著者プロフィール

地理・地図研究家。日本地図学会会員。青年時代に自転車で全国を旅行して以来、地図、地名、鉄道など「地理」を題材にした著作活動を続ける。著書に『駅名・地名 不一致の事典』『難読・誤読駅名の事典』『平成の大合併 県別市町村名事典』(以上、東京堂出版)、『ほんとうは怖い 京都の地名散歩』(PHP研究所)、『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎」(実業之日本社)、『日本の道路がわかる事典』(日本実業出版社)、『日本全国「駅名」地図帳』『50歳からの「青春18きっぷ」の旅』(以上、成美堂出版)など多数。


「2023年 『日本全国 奇妙な県境・市町村境の事典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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