・困敦
・十母十二子
「人の賢不肖は、たとえば鼠の如し。自ら処る所に在るのみ。」
『「物」といえば「心」に対する総称でしょう。してみると、人間の知覚・精神を除いた宇宙の森羅万象、すなわち物が牛偏になっているのです。』
「マア犠牛をごらんなさい。立派な着物を着せられ、ごちそうを与えられていますが、当の牛になってみれば、むしろ豚同様の生活をしても、犠牲はいやだというでしょう。私も同じで、高禄は食んでも、役人生活は真っ平ごめんです。」
『むかしは諸侯が何か盟事をするときには、必ず耳を割いて、その血をすすりました。』…転じて牛耳る。
「ふたつ文字、牛のつの文字、すぐな文字、ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる」・・・こいしく。
「とらうるなり、人をとらゆる獣なり」
「三人市虎を成す」衆口の恐ろしさ。
「功遂げ退くは天の道なり」
・龍が4つでテツ・・・多言
「生は寄なり死は帰なり」
『蛇はもともと蛇なのか』・・・薬と蛇と玉女
「杯蛇の厄」・・・気から得た病
「富者も富に非ず、貧者も貧に非ず」
『「有」とは差別があることだから、その反対の「無」とは差別が無いことであり、したがってあらゆる差別を撤廃すれば、そこには無差別の世界が実現する、・・・「?猴は然らんや」・・・個々による?
『悪いと知ったら、今にも止めるのが道ではないか。』
「女日鶏鳴」
「人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う」・・・侮蔑と執着。
「打つな打つな、お前だって同じだろう、狗が出かけるとき白く、かえったら黒くなっていたら怪しまずに居れるか、外貌外容が人を誤らせることは、およそこのようなものだ、」
「犬馬は難く、鬼魅は易し」
『すべての人が常に見慣れているものは、描き易いようにみえて、実はむつかしい。これに反して、怪物のように、人が見たことのないものは、描くのがむつかしいように感じますが、実はその方は簡単に描けるのです。・・・平常の行動を平常に行っている平常人が、実は一番大切な非凡の偉人であるにもかかわらず・・・それもいいですけど、その風潮が高まると、ややもすれば異を立て奇を喜ぶ通弊を生じないとも限りません。世の識者、指導者はこの語などに鑑みて、大いに注意してもらいたいと思います。』
雑学として面白かったです。「女日鶏鳴」はかわいらしい・・・。個人的に干支の起源の古さに興味が少し沸きました。殷の時に定着してるなら、どれだけ古いんだろう、という感じで。そしてやっぱり老子さんは格別に好きです。