- Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
- / ISBN・EAN: 9784473018069
感想・レビュー・書評
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アメリアが書くミステリー小説を読んでいる様な気分になりました。
美術館鑑賞とは?
という問い、謎が読み進めていくと少しずつ解かれていき、しかも、本を読みながら様々な作品の解説も読めるから、とってもお得な本。
対話型鑑賞に興味がある方にはオススメです。対話しながらの鑑賞をファシリデートすることの意味合いや難しさも理解できるし、鑑賞する作品への理解度を深めることの重要性もわかります。図書館で借りましたが手元に置きたい一冊です。 -
40歳の自分が20代の頃に直島へ行った時に、地底美術館で購入した本。
何故か手放せずにずっと手元に置いていたけど、友人と美術作品をテーマに話をした時に、また読んでみようかなと再読。
20代の頃は美術作品をどう楽しめばいいのか分からず、40歳になった今は力が抜けて、
楽しめなければ楽しまなくても良いという思考に変わって来た。
本書にも今の自分に美術鑑賞に対するヒントが散りばめられ、若い頃読んだ時よりも楽しく読む事が出来た。
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美術はどうも大衆のものというよりは専門家のものというイメージが一般にははびこっている。日本でもそうだが,美術は時の権力者のものだった。それが現代には,美術の専門家や美術館のスタッフが新たな「貴族階級」として,大衆に対する知的優位性だけは確かなものにしようと躍起になっている。
あるべき美術教育は何だろうか? 専門家にならない人への美術教育…。美術(特に視覚美術)が心の現象だとすると,見ることそのものにまずは特化すべきだということに通じるのではないか。美術史,キャプションなどオカマイナシに見る。それが大事そうだ。著者は「初心者に美術史の知識は無用」と断言している。子どもは特に歴史的思考はできないと考えた方がよい。
ただ,この著者はどうもフロイトを援用する姿勢が垣間見られて説得力を欠くところがある。
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…目にしたものを,創造力を働かせて思い浮かべたものに置き換えていく納涼こそ,人間に「美術」の名で呼ばれる社会的な活動をさせる根本的な動機なのではないか。(p.23)
…自然界との偶然の出会いがもたらす感動を,映像をつくることで人工的に引き起こせると人間が気づいて以降の部分が,いわゆる美術史の領分と言えるだろう。(p.23)
手短に言うなら,猿人の視力の進化のおかげで,私たちは実際にはみえないものまで,たとえば食べたくてしょうがない獲物であれ,どこかに置き忘れた鍵であれ,「観念」として,目の前に存在する物に負けないくらい本物らしい「心のなかの物」として,思考することができる。(p.31)
じっくり集中して,目を凝らし,心の赴くままに物をみる,きわめて私的な体験がもてる視覚のオアシスは,美術館をおいてほかにない。しかしほんとうに美術館は,目に映るものを意義のある象徴に読みかえようとする,人類が長年培った意欲を育めるのだろうか。美術館の壁に掲げられた解説文やパンフレットを読んだり,壁の作品ラベルをおとなしく書き写している子どもたちの様子をみて,進化の過程が視覚に与えてくれたすばらしい知的感覚に,美術館はこたえているといえるだろうか。(pp.34-35)
美術は美術品のなかに初めから存在しているわけではなく,ある種の物と人間の間に起こる,奇妙な心理現象といってよい。詳しく言うなら,美術とは,私たちにある特殊な扱い方[注意や知性,好みや能力,経験,文化的な異議,作家の技量や才能が向けられる]をされた物が獲得する性質である。(p.40)
美術界には階層があって,「教育」というなにやらあやふやな部門を担当する人間は,スラムに追いやられているような感もある。大衆と触れ合う仕事は,美術館にとっても細心の注意を払うべき任務であるはずなのに,じつはこれが報酬ゼロで働くボランティアの手に委ねられている。かれらはひとの役に立ちたいという心がけは立派でも,専門の訓練とはまず縁がなく,鑑賞者の気持ちなどまったく考慮していないカタログのエッセイを無理やり暗記させられるか,さもなければ学芸部の助手やら,新卒の見習いが開催間際にでっちあげた台本にそって話を進めるのがせいいっぱいだ。ときとして「大衆の教育」は臨時雇いの大学院生に任される場合もある。しかし大学院生にとっては,美術館での「教育」の仕事は,学芸員か教授のどちらかになって,「本来の」美術関係の仕事に就けるまで,ほそぼそと暮らしをたてる方便にすぎない。(pp.116-117)
ニューヨーク,バルセロナ,東京のどこの美術館でも,小さな子どもたちが壁に貼られたラベルを,なんのことだかよくわかりもせずに一所懸命書き写す悲しい情景に出会う。(p.118)
美術作品をつくることと美術作品について学ぶことには,本来密接なつながりがあるという仮定がひろくいきわたっていて,またそれにたいしてあまり疑問を差しはさむひともいないようだ。ところがこのつながりは教育者の心にはあっても,子どもの心にはないことを言いそえておきたい。作品をつくることと,それについて考えることは別個の作業であり,それぞれに独特な技量を必要とする。…偉大な美術史家や評論家にも,木炭や彫刻刀を手にするとひどく不器用なひとがいたし,画家としては有名でも,世間の絵の好みにはまるで疎く,そのため時流から完全にとり残された画家も少なくない。(p.129)
美術に触れ,美術を頭で理解できるようになるのに,美術館はかなり理想的な条件がそろっていると思うかもしれない。もっとも学校の教師が生徒を引率して美術館を訪ねるのはたいがい年に一度だから,これでは充分とはいえない。しかも,このめったにない機会を実り多いものにしようという熱心さのあまり,美術館の教育係はあまりに短い時間に,あまりに大量の情報を子どもに与えすぎる。その情報も技法や歴史に偏ったものが多く,子どもたちにしてみれば理解しづらいし,その情報を暮らしのさまざまな場面で応用できる知識に高めるとなると至難の技だ。美術教育が成功した例もよく聞かされるけれども,それはつねに「特権」と結びついているように思える。「特別なプログラム」,「従来とは異なる新しい教育を試みる」学校,潤沢な資金,例外的に才能豊かな生徒,例外的に創造力豊かな教師などの,特殊な状況下でのみ起こることであって,そのすべてが美術を限られた少数,特別な感受性に恵まれたエリートのためのものとする,古くからある考えを裏づけることになってしまう。(pp.129-130)
子をもつ親ならだれでも知っていることだが,幼い子どもは,学校に上がって読み書きを習う前に,自分流の文字らしきものを書き散らしたり,絵本や看板を読めるふりをするものだ。そればかりではなく,読んだり書いたりしているふりをしているだけだと思っていると,そうともいえないとわかって驚かされることもある。ところが,絵をみて,描いた画家の名前や制作年代,色相環,遠近法などについて思いをめぐらす子どもには一度も会ったことがない。それなのに,学校や美術館は子どもたちにしきりにこうしたことを教えたがる。(p.149)
また美術教育がうまくいくかどうかは,教師の技量や才能,魅力あるいは想像力ではなく,子どもならだれでも物をみるときに働かせる,感覚と知性の豊かな体験の宝庫を,私たちがどう掘りおこせるかにかかってくる。(p.149)
まず美術鑑賞は観察力を高め,つぎにそうした観察を系統立てて思考にまとめる能力を,そして思考を言葉で表現する力を育てる。美術をみるという簡単な作業から,どうしてこれほどのことが可能になるのだろうか。(p.151) -
VTSの教科書的な本かな…と美術館から借りて来た。
結構面白い事を、解り易い視点で書いてると思うんだけど、訳が堅いのかな…なんだか勿体ない感じがした。 -
美術史を勉強しているものにとって、役立つ知識がふんだんにあった。学校を受験する時に美術作品を観察し書き出すという課題が課されたが、それには答えがあるため、緊張せざるをえなかった事を思い出す。(まあ試験であるからに仕方が無い)
それにしても、十年以上前に刊行された本であり、現状で多くの小学校や美術館などで導入されているのかという疑問も湧いた。
メモ
美術作品をたくさん見ること
それについてディスカッションすること
(自分の意見を裏付けるものを探す、
他人の意見を受け入れる)
↓
美術作品の鑑賞がおもしろくなる
考える力がつく -
美術を通したこどもたちの教育についての本。
なるほどなるほど。
学芸員が知識を振りかざして観客に美術の歴史やその絵の由来を説明しても、美術教育としての効果はあまり期待できない。
作品をじっくり鑑賞して、その図から読み取れる情報のみを頼りにして観客同士で議論を交わす方が有用であるという考え方。
実際私も美術館に行くとついつい先にキャプションを目で追ってしまう癖があるのだが、大事なのはそこじゃあないよね。
いっそキャプションをなくしたらもっとみんな作品をじっくり鑑賞するようになるんじゃないだろうか。だめ? -
美術・芸術鑑賞の「原点」に触れる本。美術史家が、一般人が漠然と受け入れてる「前提」を再確認している感じかな。僕も建築のデザイン教育だけはイッチョマエに受けているのでわかるけど、読み解き方を知らないと、なかなかデザインって語れないもの。デザインボキャブラリーを理解して、歴史とか経緯、その業界の評価軸みたいなものを踏まえて、初めて議論になる、みたいなところがある。芸術・美術の議論や解説もそういうところが濃いわけだけど…大人や研究機関の間ではまあそれでもいいんだよね。それを「子供たちの教育」でどう扱えばいいのか、という点で再指摘している。例やエピソードもそこそこ面白かったし、まとめ方も理解できる。けど新機軸を指摘たれたり、斬新な提示があったかというとそんな気もしなかった。「自由に、前提知識なしで、無垢の心で他人とディスカッションする、それが理路整然とした言葉や思考につながる」…美術鑑賞・教育の有意性って、ほんとにそんなまとめでいいの?もっと価値のある提示ができるんでしゃないの?と、デザインから離れて、普通にラリーマンやってる僕ごときは思ったわけです。
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最初に美術史を勉強することは有益ではない。
まず絵をみて,それが何を表現しているかを考えること。
それ人と議論してみること。
その後,絵が作成された背景を学ぶこと。