- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784476032192
感想・レビュー・書評
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タイトルの「アウシュヴィッツ」はユダヤ人大量虐殺とたくさんあった強制収容所の代名詞として用いられており、アウシュヴィッツ収容所の話ばかりが出てくるわけではない。
この前読んだ『フリードル先生とテレジンの子どもたち』は、本書の「続編」にあたる。あわせて読んだ『15000人のアンネ・フランク』も含め、著者が深くかかわってきたテレジン収容所の子どもたちの話を中心にしたものである。
同じ著者が同じテーマで書いているのだから当然だが、3冊の本には多少エピソードの重複もある。それでも、文章の使い回しなどの手抜きは一切なく、それぞれの本に「角度」もつけてあるので、別個の本として読むことができる。
というより、重複しているエピソードは、著者が何度でもくり返し書き、1人でも多くの人に伝えるべきだと決意しているものなのだと思う。
たとえば、こんなエピソード――。
アウシュヴィッツで、毎日山のように生まれる死体の口をこじあけ、金歯を抜き取る係を命じられた15歳の少年がいた。少年はある日、死体の山の中に父を見つけてしまう。それでも、すでに感情が死に絶えたようになっていた彼は、涙すら流さずに父の死体から金歯を抜き取る。
少年はアウシュヴィッツから生還するが、心は凍てつき、何があっても泣けない人間になっていた。
そんな日々のなか、彼は1人の素晴らしい教師に出会う。教師は彼の画才を見抜き、美術学校への進学を勧める。その教師とのふれあいの中で、彼は少しずつ人間らしさを取り戻し、画家になるという夢を抱く。
だが、その矢先、恩師は突然この世を去ってしまう。
《「先生が死んだ、自分に生きる力を与えてくれた先生が、死んでしまった……。そのとき、思いがけず涙が出たのですよ。私は泣きましたよ……。おいおい声をあげて泣きました。最初の涙は、先生の死が悲しかったからです。でも、そのあとの涙は、私も泣けるとわかっての嬉し涙でした。私も泣ける! 〈普通の〉人間と同じように泣けるのですって、先生に語りかけながら、いつまでも泣きつづけましたよ」》
そして、その少年――イェフダ・バコンはのちに高名な画家になった。
このような、強烈な印象を残すエピソードがちりばめられた本である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アウシュビッツを見学するといっても、もはや現代人にその追悼はできるのだろうか。結局我々はどこに行っても、夕方には温かいホテルに帰るし、ベッドで寝るし、殺されることもない。ユダヤ人と本当にその恐怖を共有することなんて出来ないだろう。
生き残ることだけでも奇跡だったんだから。そこで絵を描いてたことも奇跡だし、それが残存しているのも奇跡だろう。
赤十字が来た時には演技が行われたそうだ。演技したことが後からばれても困るから多くは殺されたんだろう。 -
アウシュヴィッツ…地名さえも代わり昔を思い出さないようになっている、日本人が掘り起こさなくてもいいと思うんだけど、多くのユダヤ人に取材を敢行してまとめ上げた本だが、どこか物足りない…これを読んでいまの若者がどう思うのだろうか?戦争描写というよりも伝わってこない。
どれだけ売れたかは知らないが、傷をほじくっただけのようにも感じてしまう。自己満足的な作品に仕上がっている。活動していることは素晴らしいのだが、その活動や言葉・描写の全てが伝わってこない。
収容所にいて命をなくした子供達が描いた絵の個展を開催していることなのだが、正直読んだ後に調べて知ったことだ。平和ボケしている国で素晴らしい活動をしても心に響かなければ難しいですね…題材はいいのだけれどスポットを絞りすぎていて伝わりづらいですね。 -
涙が止まらなくなる話ばかりでした
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冬のアウシュビッツは凍えるように寒く
そこに閉じ込められていた人たちの息づかいが
今も聞こえるようだ、といった著者の感覚に
わたしまで胸が苦しくなった。