ドラッカー名著集8 ポスト資本主義社会 (ドラッカー名著集 8)
- ダイヤモンド社 (2007年8月31日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478002100
感想・レビュー・書評
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1993年作と著者の著作の中では比較的最近のものになります。その頃はといえば、自分はまだ学生時代でバブルの時代を経て、バブルの崩壊もぴんとこないまま、ぼんやりと無自覚に楽しく生きていた時代です。世界では、共産圏が崩壊して少し後ですね。
そこで『ポスト資本主義社会 (Post-capitalist Society)』です。
この前後数十年を歴史の転換期と位置づけ、様々な視点で時代を論述しています。構成は大きく、I部:社会、II部:政治、III部:知識、と整理しています。その中で、年金や社会格差など最近でも大きな話題になっている問題も取り上げられています。かなり以前から強調していた、新しい形の"コミュニティ"の重要性や、"知識社会"の到来とその意義を論じられています。相変わらず面白いですね。
日本についても多くの言葉を裂き、バブル崩壊後にも関わらず基本的には日本に対して高い評価を与えています。それに応えるだけのものを実現しているか、失望させてはいないか、気にかかるところです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2017年に本書を初めて読みましたが、とても感銘を受けました。1993年に発刊された本とは思えませんでした。ドラッカーは本書の中でポスト資本主義の世界は知識人と組織人の時代だと述べていますが、本書で度々登場する「組織」を「ネットワーク」に置き換えて広義に解釈すると、2017年でも十分に説得力があると思います。ドラッカー自身が「日本語版への序文」で述べているように、本書を通じで日本びいきの表現がかなり多いのは気になりましたが、まだバブル崩壊直後で、日本がそれなりに評価されていた時期だったということでしょう。
逆に言えば、2017年の日本の状況をもとに本書を読むと、日本がドラッカー氏の主張する知識社会に移行しているのかは大きな疑問を感じました。つまりドラッカー氏の期待に日本は応えられていないということです。そしてその大きな理由は社会人教育がうまくいっていないことだと思うのですが、これは教える方(教育機関)が悪いわけではなく、むしろ我々日本人(社会人)がスマホゲームやSNSなど教養を蓄積するのとは程遠い生活を日々送っていること、読書などよりよっぽど楽しいアクティビティに満ち溢れているということで、しかしドラッカー氏の言うようにそんな誘惑に囲まれていても教養を蓄積し、現実社会に生かす人物がこれからの知識社会での中心人物になるのだとは思います。本書とても興味深く読みました。 -
『LIFESHIFT』に書かれてたことも、『ホモデウス』に書かれていたことも『ティール組織』に書かれていたことも『学習する組織』に書かれていたことも既に、この一冊に書かれていた。圧倒的先見性。必読です。
一方で
ポスト、といえるのだろうか。資本主義社会の資本の中身が変わってきたよね、レベルの話?? 広井良典さんの定常型社会、緑の福祉国家や『資本主義の終焉』のほうがよっぽどしっかり論じられているような、、、
とも感じました。
また、『マネジメント』、『非営利組織の経営』、『プロフェッショナルの原点』を読んでいたら、新しく得られるものが少ないかもしれません。 -
ドラッカー名著集〈8〉
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またしても自分には難しすぎたわけだが。
90年代までが労働者と資本家に分かれた資本主義で、現代がポスト資本主義で知識社会、って感じの話だった。
今が資本主義で、その後何が起こるかの話だと思ってたけど違った。
知識あるいは知力それ自体が労働力そのものとなることは今日極めて常識的だが、90年代でさえ一般的ではなかったとのこと。 -
数世紀続いた資本主義が終わりつつあるのではないか、という気分の今日この頃、冷戦終結後、つまり「共産主義」後の93年に書かれたドラッカーの「資本主義」後の社会論を読んでみる。
が、驚くべきことが書いてある訳ではなく、これからの社会では、「資本」ではなく「知識」が中心となる、という、今となっては、常識に属する事かな?
といっても、93年にこれが常識であったかというと、そうではないわけで、ドラッカーの慧眼に改めて感服する、ということなのだろう。
だけど、今読んでも面白いなと思ったポイントは、
・ブローデルの見解などを踏まえつつ、数世紀にわたる資本主義の歴史的なパースペクティブのなかで議論されていること
・資本主義だけでなく、国民国家という政治体制についても、議論がおよび、ポスト国民国家というパースペクティブがあること
・そのなかで、マルクスやケインズ、そしてテイラー(ドラッカーによれば近代を作った人間の一人)などの思想家の位置づけがなされていること
・そして、社会論だけでなく、個人としてのあり方、教養のあり方について論じてあること
などである。
知識社会においては、当然、知識が中心なので、知識人、教養が大切。今日における教養とは、古典に関する知識ではない。専門的知識を除外しての教養とはありえない。なぜなら、社会において価値ある知識とは専門知識だから。
が、専門知識それ自体は、教養ではない。教養とは、自分の専門知識以外の専門知識を理解する能力のことである。
そして、そうした能力なしには、自分の専門知識それ自体もほとんど意味がなくなる。なぜなら、他の分野での新しい知識によって、自分の分野で革命的な変化が起こるということが、今日では、常態であるからだ。
これまた、当たり前のことだが、そのとおりだと思う。 -
ポスト資本主義
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1993年初版のポスト資本主義を考察した著作。
前書きに著者は「本著はいかなる国の読者よりも日本人にとって大きな意味がある」とし、バブル絶頂から転落しつつある日本に未来を示唆したい思いがあったようだ。
著者最晩年に書かれた本のひとつであり、それまでの著者の総決算的な内容である。ドラッカーを読み込んでいる読者には今までの振り返りにちょどよい本で、初見の人にはドラッカーの考え方がよく分かるのではないか。
ただ、本著を「預言書」だと勘違いしては肩透かしをくい、本質を見失う。
この本は近代から現代史をその意味するところを解き明かし、足元を見据えることに主眼を置いている。そこから見えるポスト資本主義の社会や政治体制、知識そのものに関わる新しい課題を扱っている。
著者は国民国家が揺らぎケインズ理論が破綻すると慧眼にも見据えていた。そしてグローバリズムが政治社会の趨勢になる一方で同進行的にリージョナリズムやトライバリズムが国民国家の基盤を揺るがしているとしている。
時代をよく示唆した名著である。
以下印象に残った文章。
・今日では、土地、労働、資本は主に制約条件として重要である。それらのものがなければ、知識といえども何も生み出せないし、経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識への応用がなされれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。
・社会やコミュニティや家族は「存在」する。組織は「行動」する。
・成功する組織は、自らの内に、自らが行っていることすべてについて体系的廃棄を組み込んでいる。数年ごとに、あらゆる工程、製品、手続き、方針について検討することをみにつけている。
・先進国は、知識労働者とサービス労働者の生産性を向上させない限り、しかも急速に向上させない限り、経済の賃貸と社会の緊張に直面する。
・今日のトップマネジメントは、テニスのダブルス型チームである。これは情報化時代において必要となり、あるいは少なくとも可能になった試みである。
・生産性向上のための最善の方法は、人に教えさせることである。知識社会のいて生産性の工場を図るには、組織そのものが学ぶ組織、かつ教える組織とならなければならない。
・組織の中のあらゆるものが、「組織と組織の目的に対して、自らにできる最大の貢献は何か」を問い続けなければならないことを意味する。換言するならば、全員が責任ある意思決定者として行動しなければならない。全員が自らをエグゼクティブと見なければならない。 -
ドラッカー名著作集8巻
資本主義社会と言われている世の中から、社会がどのように変わっていくかを、明確に提示している本著作。それだけでなく、働く上のでの取り組みから、教育機関が今後どうあるべきか提唱している。
言うまでもなく名作です。