戦争報道 メディアの大罪―ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか

  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (518ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478007785

作品紹介・あらすじ

露骨な偏向報道が世界を駆けめぐっている。和平交渉が始まろうとすると、タイミングを計っていたかのように戦争当事者の一方だけを陥れる情報が、事実関係を確認しないまま大量に欧米メディアから流される。いずれの勢力も同様の残虐行為を行っていながら、戦争犯罪人として告訴されるのは一勢力だけだ。ジャーナリズムの原点に屹立する記者が、偏向報道の罪を改めて問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • 社会
    思索

  • 「ヨーロッパの火薬庫」という言葉を若い世代が知らなかったことに愕然
    としたのは数年前。もう学校では習わないのかしらね。

    閑話休題。

    ユーゴスラビアである。第二次世界大戦ではパルチザンがイタリアと
    ナチスに抵抗し、独立を勝ち取り、戦後は圧倒的なカリスマ性を持つ
    チトー終身大統領によって率いられた国。

    冷戦時代、東側陣営でありながら東欧諸国のようにソ連の衛星国には
    ならず独自の社会主義国家を作り上げ、融和政策によって統一された
    多民族国家だった。

    だが、それはチトーの死によって崩壊する。スロベニア独立に伴うスロ
    べニア共和国軍と連邦軍の衝突から始まり、セイルビア人勢力とクロ
    アチア共和国軍との間で起きたクロアチア内戦。そしてクロアチア人、
    ムスリム人、セイルビア人の対立が激化したボスニア内戦。

    ユーゴ内戦を扱った作品は何冊か読んだけれど、いつもつまずく。これが
    民族紛争の複雑さなのかと思う。

    非常に理解しづらいのだ。だから、理解しやすくする為には善玉vs悪玉
    の構図を作り上げるのが手っ取り早い。ユーゴ内戦で悪玉とされたのは
    セイルビア人だ。

    この「セルビア人悪玉説」がどのように生まれたのかのは高木徹『戦争
    広告代理店』(講談社文庫)に詳しい。本書は欧米の報道機関がばら
    撒いたセイルビア人を一方的に避難する報道の検証である。

    途轍もない作業だ。大量の配信記事を分析し、記事が書かれた背景を
    探り、書いた記者たちに取材する。記事は事実を歪曲したばかりか、
    捏造されていた。

    ユーゴスラビア内で使用される言語を理解せず、英語を話す人々だけ
    に取材をし、民族浄化や大量虐殺の班員だとしてセイルビア人のみを
    非難する記事の数々。既に覚えてはないのだが、日本の報道も欧米
    の報道をなぞっていたのではないのか。

    セルビア人に殺害されたという天文学的な犠牲者の数。しかし、それに
    見合う遺体や遺骨はどこにある?セルビア人だけが虐殺の犯人か?
    クロアチア人やムスリム人は加害者ではなかったと?

    そんなことはない。クロアチア人もムスリム人も、昨日までの隣人を手に
    かけているではないか。

    『戦争広告代理店』が取り上げたアメリカのPR会社の戦略に、メディア
    が乗っかったのではないのかな。

    「メディアは中立であれ」。多分、それは幻想なのだと思う。人間が取材し、
    報道するのだから必ず主観が入り込む。但し、そこにどれだけ客観的な
    視点を維持できるかが問題なんだと思う。

    事実はひとつ。でも、真実は人の数だけあるんだから。

  • 20世紀終わりから21世紀にかけての、ユーゴスラビアの内戦報道について扱った一冊。
    セルビア悪玉論を安易に信じ込み、双方を取材して不偏不党の精神を貫くべきジャーナリズムが大いにゆがんでしまったことを、一つ一つの証拠を積み重ねて徹底的に批判する。
    よみはじめたうちは、記者たちの怠慢、無知について怒り・失望を感じずにはいられなかったけれど、途中から戦争報道ということがいかに難しいか、ということを強く感じてしまった。自分の身に及ぶ大きな危険、そして特に欧米については自国政府が必ずどちらかの立場に寄り添うので、その大本営発表による大きな情報格差とプロパガンダ。そして、弱者に寄り添おうとする正義感のあまり、一方の非が見えなくなってしまうということ。こういったことを乗り越えるのは本当に難しいと思う。
    とはいえ、非常に難しいことだとは思うけれど、このような困難を乗り越えて、ぜひ双方の立場をできるだけ公平に報道してほしいと思う。こういった事態は世界で今も起こっている戦争報道に脈々と受け継がれていると思うし、そうであったら、私たち一般の人々が世界では本当は何が起こっているのか、ということを知る術がなくなってしまう。一方で私たち側もメディアを批判的に見る目を養う必要があるなと強く感じました。

    とくに現代の戦争において、どちらか一方だけが完全に悪ということはなかなかない気がする。
    ユーゴスラビアにおいてもセルビア人という民族総体が悪かったわけでも、スロベニア、ムスリム、クロアチア人が悪かったわけでもないと思う。
    自分の私利私欲や名誉のために、憎悪をかきたてた一握りの政治指導者(ユーゴスラビア内だけでなく、欧米も)、と真実を知りながら意図的に自分の見せたいものだけを見せようとした一部のメディア関係者。その責任があまりにも大きいことを感じずにはいられませんでした。

    本書は良書ですが、一つ一つの論証が断片的で時期や地域を行ったり来たりするので、なかなか内容の整理がつかないのが少し良くない点だなと感じました。

  • 本書には私怨っぽいところもあるがそこは置いておいて。一部分を引用しておきます

    ≪ユーゴスラビアのもたらす教訓とは何か。最もはっきりした答えはこれだろう。
    すなわちユーゴスラビアの建国に尽力した人々は、現実離れした期待を抱いていたということだ。ユーゴスラビアは実現するはずのない夢、あるいはせいぜい部分的にしか実現できない夢だったのかもしれない。
    しかし一部の歴史家の指摘とは異なり、それは単なるたわいない夢だったのではない。ユーゴスラビアは不自然な人工物だったわけでもない。それは十九世紀後半から二十世紀の最初の二十年にかけて、南スラブの多くの著述家や政治家が冷静に考え、力強く行動した結果なのである。≫

    ≪ユーゴ問題を扱うにあたって西欧の政治家や時事解説者が直面した最大の困難は、最初にこの国の危機の検証にあたったとき、彼らの大部分がこの国についてほとんど知らなかったということである。
    すべてが明らかになった今、彼らは混乱と、一夜にして状況を変られ得ない無力感に嫌悪を抱いている。さらに悪いのは、嫌悪のあまり、一部の人々がいわゆる根本的な解決策を提案していることだ。(略)
    ユーゴスラビアは民族、言語、文化、伝統、野心、抑圧、神話、ユートピア、幻想のカオスなのだ。≫

  • メディア論を客観視する好著。

    欧米のセルビア悪玉論を告発する著作。本題は、「メディア・クレンジング」。1990年代に旧ユーゴスラビアで起こった内戦は、民族浄化(エスニック・クレンジング)という言葉を流布させた。他民族が混在している旧ユーゴで、地域を支配する民族が力で他の民族を支配するという意味である。

    本地所では、内戦の当事者に対する一方的な報道が、民族浄化に匹敵する罪をメディアが犯したと告発。旧ユーゴ内戦報道で圧倒的だったのは、欧米メディアを中心とした「セルビア悪玉論」だった。著者は、米国人ジャーナリストでありながら、同業者の記事のなかにある、多くの偏光やウソ、ねつ造を検証していく。中でも、ピューリッツアー賞を受賞した二人の記者に対する追及は執拗を極めている。

    今では、反セルビアをあおる周到なメディア戦略を広告会社が請け負っていたことも明らかになった。「民族浄化」という言葉自体、そうした戦略の一環として広まったのである。

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