伊藤忠 財閥系を超えた最強商人

著者 :
  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478116814

作品紹介・あらすじ

★ダイヤモンド・オンラインの大人気連載を書籍化
☆伊藤忠商事の160年超の歴史が1冊でわかる
★岡藤正広会長が語る「経営の真髄」とは

【内容紹介】
今や就職人気トップの伊藤忠商事。
事業においては、ファミリーマート、エドウイン、ヤナセなど、多くの企業を傘下に収め、一昨年には最終利益、株価、時価総額でついに総合商社トップとなった。
かつて「万年4位」といわれた非財閥系の伊藤忠商事は、なぜ財閥系の雄である三菱商事、三井物産を凌駕する成長を遂げたのか。2年以上にわたる多くの関係者への取材で、伊藤忠商事の創業から160年超の歴史を振り返るとともに、その強さの理由に迫った。

【目次】
プロローグ 社員との約束
第一章 伊藤忠の原点
第二章 財閥系商社との違い
第三章 戦争と商社
第四章 総合商社への道
第五章 高度成長期における商社の役割
第六章 自動車ビジネスへの挑戦
第七章 オイルショックの衝撃
第八章 下積み時代の教訓
第九章 バブルの残照
第十章 商社の序列
第十一章 コンビニ事業への参入
第十二章 ITビジネスへの飛躍
第十三章 か・け・ふ
第十四章 あるべき姿とめざすべき姿
第十五章 日本と総合商社
第十六章 CEOの決断
エピローグ 花見と桜と

感想・レビュー・書評

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  • 伊藤忠の社史のような1冊。
    「近江商人」というルーツから、繊維商社、アイデアによる「発明ではなく発見」のイノベーション、トレーディングから事業投資へのシフトチェンジなどなど、伊藤忠が大きくなっていった歴史について書かれた本でした。
    財閥商社と違って資本力が決定的に足りていない分、仕入れやアイデアなどで発展を遂げた伊藤忠は、本当にビジネス力のある企業だと思う。
    元社長の丹羽宇一郎氏の書籍は何冊か読んだが、バイタリティ溢れる企業のイメージが強い。
    「か・け・ふ」の理論については、伊藤忠に限らずどの企業においても大切にすべきマインドだなと読んでて思いました。

    冒頭に書いたように、伊藤忠の社史というかどのように発展してきたかについて書かれた1冊なので、自身に応用できるような参考になる箇所は少ないように感じたが、1企業がどのように発展してきたかという読み物としては非常に面白かったです。


    【抜粋】
    1.ルーツは「近江から来た商人たち」
    近江商人とは、近江に本宅を置き、他国へ行生して歩いた商人の総称で、大阪商人、伊勢商人とならぶ日本3大商人の1つ。
    ただ、忠兵衛は小売ではなく、持ち下り(卸売り出張販売)で起業した。
    そうすることで、広い世界を見ることができる。

    2.商社の役割とは、時代を肌で感じて、伸びていく分野を見つけ、そこで商売を考えることだ。
    工場を作ったり、新製品を開発するような金がかかる事はメーカーに任せて、仕入れを手伝ったり、情報集めたり、資金の手当てをする。必要とあれば少しは投資もする。
    主体的にではなく、影のように寄り添って、一緒に成長していくことが商社のビジネススタイルだ。

    3.商社の発展の原動力はマーケットインとイニシアチブ
    承認はマーケットインが大切だ。要はご用聞きでなくてはいかん。プロダクトアウトの思想じゃダメ、自分の持っている商品を売るだけの商社は大きくならない。

    もう一つ大切なのが、イニシアチブを取ること。
    メーカーの販売代理店ではいけない。メーカーの言いなりではいけない。とにかく商流のイニシアチブを取る。
    要するに、商社が主導権を握ること。企画でも強力な製品でも良い。それを考えるのが商社の人間である。

    4.「か、け、ふ」について
    「稼ぐ」は営業して儲けること。
    「削る」は無駄を省くこと。経費削減だけでなく、時間と仕事の無駄をへらす。
    「防ぐ」は不測の事態になっても大丈夫なように日頃から仕事をチェックすること。
    細かく見ることで、事態が急変した時のダメージを減らす前準備を行い、常に最悪のケースを予想しながら準備を整えて毎日働く。
    伊藤忠は削ることより防ぐことに力を入れている。



    【引用】
    伊藤忠 財閥系を超えた最強商人


    業界における伊藤忠の評価
    「関西発の繊維商社」
    「万年業界4位」
    「元気のいいトップが出てくる会社だが、今ひとつ品がない

    p9
    ・「か・け・ふ」
    「利益を稼ぐ、無駄を削る、損を防ぐ」の頭文字を掲げている。
    彼が信奉する近江商人の商いの原則。


    p15
    資源を扱っていれば大きな金額の商売ができる。それに比べると、繊維・食料等で出る利益は、手間がかかる割には少ない。
    そのため財閥系商社は非資源に軸足を移さなくてはならないと思っていても、現実にはなかなか体が動かないのである。
    伊藤忠は非資源分野にいて小さな利益集めるための知恵を磨いてきた。それが環境の変化でトップに躍り出たのである。


    p17
    ・残業禁止とフレックスタイムの撤廃
    会社と言うのは人間の力を結集すること。
    モチベーションを上げるためにも残業を禁止し、会議の書類の煩雑さをなくし、フレックスタイムをなくした。
    フレックスタイムを続けると、出社と退勤が遅くなり、自宅に戻るのが夜遅くなるので、家庭不和のもとになるため。また健康にも良くない。


    p26
    ・プロダクトアウトではなくマーケットインで考えろ
    「持ち下だり」とは客の要望に答えなくてはならないマーケット意味の業態で、しかも時代の急変にも対応することが可能なそれだ。
    逆に、時代の変化を察知して、自ら変わることができなければ存続できない業態とも言える。


    p35
    ・近江から来た商人たち
    近江商人とは、近江に本宅を置き、他国へ行生して歩いた商人の総称で、大阪商人、伊勢商人とならぶ日本3大商人の1つ。
    ただ、忠兵衛は小売ではなく、持ち下り(卸売り出張販売)で起業した。
    そうすることで、広い世界を見ることができる。


    p71
    大戦景気は長くは続かなかった。
    戦争が終わり、ヨーロッパ諸国の生産力が回復してくると、日本の輸出は後退し、貿易収支は輸入超過に転じていく。
    忠兵衛は、「大正9年以降の苦しみは言語に絶する」と社史で述べている。その後も恐慌が続く。
    1923年の「震災恐慌」、27年の「金融恐慌」、そして30年の「昭和恐慌」である。
    第一次大戦中から終結の年までは景気が良かったが、その後、日本経済は相次ぐ恐慌に疲弊したのであった。


    p96
    伊藤忠の長い歴史の中で最も功績があるトップは誰かと問われたら、2代目の伊藤忠兵衛だ。
    初代は会社を作った。だが、それはまだ個人商店の規模だった。2代目個人商店を会社にして戦前、日本郵政の企業グループにしている。
    戦後の経営者たちも会社を伸ばしているけれど、それは高度成長という良き時代に会社を適応させたからこその功績だ。
    2代目忠兵衛は、戦前の4つの恐慌を乗り越え、さらに敗戦でも会社をつぶしていない。企業活動が困難だった時代を乗り越えて、しかも呉羽紡績と言うベンチャー企業を作った。


    p110
    商社の役割とは、時代を肌で感じて、伸びていく分野を見つけ、そこで商売を考えることだ。
    工場を作ったり、新製品を開発するような金がかかる事はメーカーに任せて、仕入れを手伝ったり、情報集めたり、資金の手当てをする。必要とあれば少しは投資もする。
    主体的にではなく、影のように寄り添って、一緒に成長していくことが商社のビジネススタイルだ。


    p115
    戦後、軍隊がなくなって、公的機関や民間企業に色を求めた人数は多い。
    敗戦時、陸軍と海軍にいた人の数は約7,19万人。こうした人々が国内で職を探して送って行かなくてはならなかった。
    戦前であれば、陸軍学校等を出たばかりのエリートが民間企業に入ることなどなかった。元軍人たちが戦後自分たちが学んだ技術やシステムを伸び盛りの民間企業に伝えた。
    だが元軍人と言う肩書きが彼らを運命の存在にした。賞賛されることなく、消えていったのだ。


    p122
    ・「不毛地帯」のモデル?瀬島龍三の役目


    p141
    三菱商事の先見性、営業力、実行力は同業他社よりも格段に抜きんでている。
    ある時期から化石燃料の未来図を考えて、LNGに重点を置いた。
    この場合のイニシアチブは先見性だ。ライバル商社よりも早く未来の商品を見つけて、それを空きたのである。
    イニシアチブを取るとは同業他社が踏み込んでこない領域に陣地を築くことだ。そして、いちど陣地を築いたとしても、商品には寿命がある。
    商社の人間はホイールを回し続けて、次の時代に通用するイニシアチブが取れる商品を見つけて来なくてはならない。


    p175
    不景気なのに物価は上昇するという「スタグフレーション」


    p207
    帰国した岡藤は次の仕事に着手した。他社が追随してくる事は分かっていた。生地にブランドネームをつければいいだけだから、真似しようと思えばどこの商社もやることができる。
    サンローランを当てたからといって、そこで踏みとどまっていてはイニシアチブを取ることができない。他社が参入してこないように障壁を設け、そして先手を打って多くのブランドを糾合した。

    次々とアイディアを生み出す発想力と、細かいところまで詰める慎重な性格が相まったからこそ、できたことだった。


    p209
    ・発明ではなく発見によるイノベーション
    岡藤が行ったイノベーションとは、新商品の開発ではなかった。
    彼は新しい市場を見つけて、他社の追随を許さない圧倒的なシェアを築いたのである。
    商人の仕事は何かを、誰に言われるまでもなく、知っていたのだろう。


    p209
    ・商社の発展の原動力はマーケットインとイニシアチブ
    承認はマーケットインが大切だ。要はご用聞きでなくてはいかん。プロダクトアウトの思想じゃダメ、自分の持っている商品を売るだけの商社は大きくならない。

    もう一つ大切なのが、イニシアチブを取ること。
    メーカーの販売代理店ではいけない。メーカーの言いなりではいけない。とにかく商流のイニシアチブを取る。
    要するに、商社が主導権を握ること。企画でも強力な製品でも良い。それを考えるのが商社の人間である。


    p223
    ・トレーディングから事業投資に
    かつて商社のファンクションは何かと言えば、物品を取り扱って仲介し、収益を上げると言うトレーディング(貿易)の事でした。
    ところが90年代の「勝者冬の時代」と言われ「商社不要論「が語られた中で、会社の全部または1部に投資して成長を助ける「事業投資」によって収益を得るようになっていった。


    p286
    ・「か、け、ふ」について
    「稼ぐ」は営業して儲けること。
    「削る」は無駄を省くこと。経費削減だけでなく、時間と仕事の無駄をへらす。
    「防ぐ」は不測の事態になっても大丈夫なように日頃から仕事をチェックすること。
    細かく見ることで、事態が急変した時のダメージを減らす前準備を行い、常に最悪のケースを予想しながら準備を整えて毎日働く。
    伊藤忠は削ることより防ぐことに力を入れている。

  • 伊藤忠の社史について書かれた本でした。
    伊藤忠がなぜ商社としてトップに躍り出たのか、そこには人を大切にしてきた歴史があります。
    私の上司が常々「商社(卸業)は情報力と開発力が勝負なんだ」と言ってることに通じます。
    自身で勉強することは当たり前でそこをカバー
    できない部分を会社がフォローしていくことが
    大切だと感じました。
    トップが会社を細かく様子見しているからこそ
    発言に説得力が出てくるので、社員はより一層
    やる気が出てきます。

  • 伊藤忠グループで働いているので、興味があり購入しました。
    伊藤忠の会長である岡藤正広さんは人情味があり、社員思いなのだと印象を受けました。
    伊藤忠商事の社員の方がご病気で入院している時も会社は支え続け、私にとって伊藤忠商事が1番いい会社ですという言葉を残し、他界。
    葬式では岡藤氏が号泣しており、亡くなった社員に対しこれからもっといい会社と言われるように決心される場面が特に印象に残りました。

  • かつての大阪の繊維商社からスタートした大手総合商社の一角である伊藤忠商事を、初代伊藤忠兵衛から歴代の社長達の施策を中心にその歴史を追う。

    自分がいる業界と近く、グループ企業との取引もあるため身近な話題として読んだ。かつては「商社不要論」が出た時代もあったが、世の中の仕組みが複雑に細かくなっていく中で川上から川下までの情報に精通してイニシアチブを取れる会社(者)の必要性はさらに増していくだろう。

  • 伊藤忠商事の歴史を振り返った本。
    良くも悪くも社史を読んでいるような印象。
    岡藤会長は個性的な方なので、もっと面白いものを期待したが、当然だがそれ以前の歴史も入っているので、さほど面白くなかった。

  • 購入した本。業界研究のため購入。

    岡藤新社長になって、初めて行った改革が地下鉄出口と会社入り口の間に屋根を設置することだった。細かいことの積み重ねが社員を前向きにし、業績を飛躍的に高めた。

    伊藤忠発祥の近江地方では識字率が高かった。結果として、偉大な商人を生んだ。


    伊藤忠兵衛の座右の銘は「商売は菩薩の業」
    倫理的かつ内省的に商売をすることを従業員員に求めた。

    戦後、公職追放で政治家や経営者から明治時代生まれがいなくなり、30代、40代が中心になった。それが戦後日本の躍進につながった。

    人生は運、根、鈍というが、「運と横着」が経営者にとっては必要。人格者では務まらない。

    伊藤忠パーソンに必要なのは、「イニシアチブを取れる商品を見つける能力」イニシアチブとは同業他社が踏み込んでこない領域に陣地を築くこと。

    経営とは「社員が自発的に考えること、自発的に動くこと。そのために環境を整えることが大事」

    戦地から戻って来た人の特徴として、ビジネスを通して日本を復興させ、世界一の国にするという気概があること。

    日本アクセスは伊藤忠の関連会社。

    商社の仕事は組み合わせでマーケットインが求められる。

  • ■井上準之助の二代忠兵衛への言葉 
    「君の人物評定は大体正しい。その半面、感情が非常にきつい。感激性が強いのと、正義を愛する精神から少しでも曲がったやつを排し、人格者を重用したがる性格がよく見える。しかし、それはどうかな。能力と人格が並行する人もあるが、そうでない場合もままある。ことに君のような古い家では老番頭のなかには『命をかけて』などという人もいるはずだ。それはまことに迷惑な話だ。一方的な見方で物事を処理してはいけない。俺が君に言いたいのは、人格者ばかり使ってはいけないということだ」
     
    ■三代社長越後の座右の銘
     面白いことに彼の座右の銘もまた、二代忠兵衛が感心した井上準之助の言葉だった。
    「翁には、若い頃からいろいろと教えられたが、事業経営の話の中に、経営にとって、人格者ほど危ないものはないというのがあった。これは翁がまだ若い時、のちに蔵相になって金解禁をやった井上準之助氏から、在米中に教えてもらった言葉だと聞いたが、聖人君子というだけでは経営は難しい。信用はできても、経営の才能は別だから、それを混同しないようにということだが、大変味のある教訓だと思う。事実私の知る限りでも、どうかと思う行き方で、うまく成功している人が多くある。それなりの手腕と努力はわかるが、そこに厚かましさというか、並々ならぬ神経の太さがある。人生は運、根、鈍というが、あるいは運と横着だといえるのではなかろうか」(前掲「私の履歴書」)


     すべての油田から石油が出るわけではないが、成功したら、石油を輸入するだけのトレーディングよも収入は増える。資源における事業投資が他のジャンルにも移っていったと考えるのが順当ではないか。


    ■CTC元社長佐武の言葉
    「秘訣はある。3つだ。わたしはビジネスにおいて、3つ順番通りに大切にしてきた。グッドカスタマー。グッドプロダクト。グッドセールス」


    ■岡藤の改革
     社長に就任した人物が新たな施策をぶち上げるとすれば、まずは営業計画だろう。そして業績を上げるための督励だ。開発中の商品を発表したり、新興国への進出をアナウンスしたりするのが通例だ。
     ところが、岡藤は「売り上げを倍にしよう」とか「新商品を探してこい」と言ったわけではなかった。「会議と資料を減らそう」「朝早く来よう」「遅くまで酒を飲むな」といった地味な社内改革からスタートした。社員のモチベーションを上げることを最優先にしたのである。
     続いて手掛けた施策も社員のモチベーションアップに関わることだった。給与制度を改革して、社員の給料を上げた。
     それまで伊藤忠の給与制度は「個人の成果」と所属する「組織の単年度の業績」に基づいていた。だが、岡藤が詳しく分析してみると、個人の成果よりも組織の業績に比重がかかっていたのである。
     たとえば資源エネルギー分野では、個人の努力ではなく、資源価格の変動によって給与が決定してし まうことになる。
     そして、資源エネルギーの場合、組織の業績は、必ずしも単年度の成果とはいえない。過去に先輩たちがガス田に投資していたのが、ある年になってから一気に業績に反映されるといったケースもあるからだ。
    「過度に組織の業績を重んじるのはフェアな考課ではない」
     岡藤はそう考えた。業績の良い部門の人間だけがモチベーションや愛社精神を持つのではなく、社員全員が機嫌よく毎日、働こうとする会社にしなければならない。人事制度、給与制度を変えるに当たっては綿密に調べて、新しく規定し直した。


     伊藤忠は「か・け・ふ」について、「稼ぐ」は商人の本能、「削る」は商人の基本、「防ぐ」は商人の肝と説明している。
    「稼ぐ」は誰でもわかる。営業してもうけるけることだ。
     では、「削る」「防ぐ」とは何だろうか。そして、「削る」と「防ぐ」の違いはどこにあるのだろうか。
     前出の鉢村は二つの違いをこう説明する。
    「『削る』は無駄を省くこと、『防ぐ』は不測の事態になっても大丈夫なように日頃から仕事をチェックすること。当社は削るよりも防ぐことに力を入れています」

  • 近江商人の強みや岡藤会長の「か・け・ふ」稼ぐ、削る、防ぐ、慣例を破る労働環境の改善、商社の在り方など
    伊藤忠商事の創業から現在までの歩みをまとめた一冊。
    商いをやる人これから何か始める人に読んで貰いたいです。

  • 稼ぐ 削る 防ぐ

  • 伊藤忠の業界での立ち位置、財閥系との違い、近江商人の血など知ることが多くあった。かけふは自分でも使いたい。

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著者プロフィール

野地秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経て現職。人物ルポルタージュ、ビジネス、食、芸能、海外文化など幅広い分野で執筆。著書は『サービスの達人たち』『イベリコ豚を買いに』『トヨタ物語』『スバル―ヒコーキ野郎が作ったクルマ』『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』『京味物語』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

「2022年 『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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