戦後日本の宗教史: 天皇制・祖先崇拝・新宗教 (筑摩選書 116)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480016232

感想・レビュー・書評

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  • 分かりやすくて面白かった。

    トピックで言えば、戦後の天皇制と創価学会の発展などです。

    宗教に詳しくなくもある程度よめます。

  • 柳田説の概要と批判がコンパクトに整理されている。
    家制度の崩壊と天皇制の行き詰まりの関係についても、本書の議論は説得力がある。
    戦後史を宗教を切り口にして振り返りたい場合、本書は最も有用な書籍であろう。

  • 振り返りには丁度良いけど、入門用

  • 天皇制と創価学会を主体に戦後の宗教界の動きをとらえた好著だ.創価学会については断片的な知識は持っていたが,本書では詳しく述べられている.参考になった.戦後の宗教に関して,キリスト教ブームを実感しているが,それについての記述がなかったのは残念だった.仏教界の動きも総括的にとらえており,読んでいて面白かった.

  • 力作。島田裕巳さんの本は最低これくらいの分量で読みたい。

  • 日本でよく聞く宗教、創価学会、立正佼成会、オウム真理教などの成り立ちや活動等が説明されている。宗教なんてうさんくさいし誰が信じるんだよと思う人は多いかもしれないが、供給があるということは需要もある。宗教は必要としている人がいるからうまれてくる。
    戦後の日本で新興宗教が急速に発達したのも、都会が作り出した孤独と生活不安に苛まれた人々を救うためだった。

    戦後に出てきた新興宗教や国家神道と天皇制の関係について基本的なことを知るには十分な一冊だと思う。

  • 戦後の日本の宗教の変遷を、時系列でまとめた本。戦後の新宗教、靖国問題、祖先崇拝の衰退と、創価学会、そしてオウム。靖国には、政教分離の難しさがあり、引揚援護局は国の機関であり、国から給料が支払われている。1966年の市立体育館の起工祭に県議員が招待されて、政教分離に侵食するのではないか、との裁判が起きた。この裁判の結果、「布教が目的でなければいい」という採決がなされ、それがその後の基準「目的効果基準」になっている。靖国の合祀については、昭和天皇も不快感を持っていたことなど、知らないことが多かった。創価学会の成り立ちが、地方から年にでてきた人たちが崇拝するものがなくそこで広まった「都市型」の宗教であることとか。オウムの「マハームドラー」(大きな印)。教祖の思いを察すること。それは戦時中天皇の「大御心」を察することがよしとされたことと重なる。興味深い推察がいくつもあった。

  • 戦後日本車杯の精神の大変容、

    天王星、祖先崇拝、新宗教と言う3つの柱

    戦後日本の宗教史を概観するには大変わかりやすい

    璽宇、踊る宗教、ひとのみち教団、PL教団、天理教、創価学会、立正佼成会、霊友会、オウム真理教、

    柳田國男、先祖の話、

    村全体の結束を強化するために、祭りなど様々な行事、氏神と菩提寺、追善供養、

    家族制度が廃止、皇太子の結婚、新しい皇室のイメージほ

  • 朝日の柄谷行人さん書評から読んでみました。

    宗教。僕は最近、柳田国男を読んで文化科学ということを考えるようになった。そういった文化科学と宗教というのがごちゃ混ぜになってしまうことは人間の覚醒にとって不幸なことであろうと思う。

    人間が帰納としてあるのが科学の姿勢であると思う。だから決して科学ということが学問の専門性としての学ではないと考える。だから柳田の民俗学がアカデミックとしてないのは当然である。

    宗教が帰納としてあることはどういうことか?それこそが人間の覚醒と、そこからの理性、そして永遠平和を目指すものであり、柳田の民俗学と経世済民を宗教として捉えるには帰納としての科学を考えなければ不毛であり、人間の覚醒にとって不幸なことである。

    人間の帰納としての宗教とはどうあるかを簡単に言えば、僕は反省(自己省察)からの悟性による秩序(理性)に従うことであり、そういった帰納の姿勢による知性の形成、それこそが学問であると思う。そういった悟性と理性、知性の形成を僕は帰納としての宗教と言いたい。

    簡単に言って柳田の帰納としての知性とアカデミックは全く別物である。カントは柳田に非常に似ている。カントに言わせると大学のアカデミックな連中は悟性の欠片のない学者や大量の空のアタマであると批判している。カントの学問は柳田の民俗学と同じである。

    そういった悟性を可能にすることは、反省によってしかなく宗教とは自己省察を持ってしかないというのが僕の考えである。

    科学的なものが逆に帰納の否定としてあるという例は多い。なんだ結局反省(自己省察)を避けるための方便ではないかとがっかりする宗教ばかりが多いのが現実である。それに精神医学も露骨なロボトミーこそ無くなったが向精神薬という信仰は決して人間を帰納(自己省察)へ導くものではない。そういった反省(悟性)の欠落は知性の否定でもある。科学ではないのだ。僕の論理でいえば科学は宗教としてある。

    この本は実際の宗教がどうあるのかを知るには非常に良かった。そこから非常に有益な思索が可能になり、読んで良かったと感じた。

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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