方丈記私記 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.84
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本棚登録 : 475
感想 : 38
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480022639

作品紹介・あらすじ

1945年3月、東京大空襲のただなかにあって、著者は「方丈記」を痛切に再発見した。無常感という舌に甘い言葉とともに想起されがちな鴨長明像はくずれ去り、言語に絶する大乱世を、酷薄なまでにリアリスティックに見すえて生きぬいた一人の男が見えてくる。著者自身の戦中体験を長明のそれに重ね、「方丈記」の世界をあざやかに浮彫りにするとともに、今日なお私たちをその深部で把えて放さぬ伝統主義的日本文化を鋭く批判する名著。毎日出版文化賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 小説家である著者が、鴨長明の『方丈記』の内容をみずからの戦争体験とかさねつつ語った本です。

    火災に見舞われた京都のようすをしるした『方丈記』の叙述を、著者は東京大空襲後のみずからの体験とかさねながら紹介します。著者が驚いたのは、多くの人びとを死に追いやった戦争のあとにも、そのような帰結をもたらした日本の歴史を根底から変えるような動きが現われず、そればかりか著者自身もそうした運命を受け入れてふたたびこの国の歴史の変わることのない流れを支えようとする人びとの優しさに、みずからも共感をすらおぼえたということでした。「ああいう大災殃についての自分の考え、うけとり方のようなものが、感性の上のこととしてはついに長明流のそれを出ないことを悔しく思った」と著者は述べています。

    こうした著者の問題意識は、世の中の動きから弾き出され、恨みごとを語りつつも、仏道に邁進して俗世間を相対化するのではなく、その一端に自己をつなぎ止めていた長明という人物の態度へと向かっていきます。著者は、長明のシニカルなスタンスをつくり出すことになった彼の真理の襞にせまりながらも、たとえば西行や道元などと比較することによってそれを切り捨ててしまうことはありません。長明が捨てきれなかった「私」をえぐり出してそれを「おそろしく生ぐさい」と評しつつも、それが「長明の「私」であったとすれば文句を言う方が間違っているのである」と語る著者のスタンスも、長明の処世の態度に接近しているように見えます。あるいは、そうした態度をとることへと著者自身を引き込んでいく、長明のつくり出す磁場を、このようなしかたであぶり出すことが著者のねらいだったのでしょうか。

  • 〈付〉対談 方丈記再読
    五木寛之・堀田善衛

    この作品は一九七一年七月一〇日、筑摩書房より刊行された。

  • 宮崎駿の愛読書ということで購入。
    確かに面白い。言わずと知れた古典、方丈記を堀田善衛が執筆時の現在と重ねて読み解く。
    人間、鴨長明の一筋縄ではいかない人物像も浮かび上がる。
    現代にも続く国民性批判など、この本自体も読み継がれるべき古典だと思う。

  • 堀田善衛 「方丈記私記」

    方丈記を個人的に解釈した本。私記とは言え、かなり違和感がある

    著者は 鴨長明を ジャーナリストのように捉え、死の直前には 拠り所の仏教すら批判したとしている。著者が目付けしている文章をつなげると そう見えなくもないが、少し強引な論理構成に思う


    方丈記の「終わりが始まり」という無常思想を度外視しているように感じる。方丈記の結論が 仏教否定となると、方丈記に 思想的価値はないということになるのでは?発心集との関係性も説明できないし。

  • 非常に面白い、けれど理解し切れていないところがまだまだ多いと感じる。読む前と読んだ後で方丈記の印象ががらっと変わるのは確か。歴史書がこうも自分ごとのように面白く読めたらいいだろうなあと思う。歴史は繰り返すのか。
    これを読んで、鴨長明って実はすごくロックな人なのではと思った。

  • まだ最後まで読めていないので、来月に持ち越し。方丈記と合わせてまた4月に。

  • 鴨長明の方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず…」はあまりにも有名で、著者はこれが1945年3月10日の東京大空襲の後の阿鼻叫喚と重ねており、気が付かなかった事実に目が開かれた。方丈記に記録されている京の大火災が治承元年(1177年)4月28日、長明23歳とのこと。これはやはり戦乱の結果だからだろう。長明は鎌倉時代の人であり、飢饉、自然災害を頭に描いていたが、これは源平争乱の時代だったのだ!2つの災害には768年の隔たりがあるが、著者には長明が過去の人とは思えないような身近な存在と感じている模様。著者の直截的な表現が長明の人となりを彷彿とさせる。また和歌の偉人・定家、西行、後鳥羽上皇などにも詳しく触れており、方丈記そのものではなく、この時代を著者の経験と重ね合わせた評論というべき内容。

  • ちくま文庫グランドフェア2017より。

    初版は1988年。
    巻末に五木寛之との対談あり。

    東京大空襲を受けて、筆者は『方丈記』を繰り返し読むのだった。
    冒頭に描かれる、そのエピソードの中には、天皇が焼野原を直接訪いなさった際、筆者は(どう責任取るんだよ)と内心思っていたところ、そこにいた人々が土下座をして「私たちの努力が足りませんでしたので……」と話したことに仰天する。

    このことが後に、「本歌取り」をただ重んじる日本の根深さに繋がっていくのだろう。
    この場合の「本歌取り」とは、現実を見ずに日本の伝統を憧憬しろという脅迫的システムを指している。または古歌を知る人に力があるという権威主義とも言える。
    そしてそれは、分かち難く日本文化に根付いているものだからこそ、幻であっても目を眩ませる光をたたえる。
    長明は、「本歌」に憧れた身ではあったが、やがてそうした「本歌取り」たる御所の本質を見抜く側に回っていくのであった。

    地震の被害の多い昨今、筆者と同じく『方丈記』に私も辿り着いたわけだが、災いの向こう側にあるいわゆる殿上人達はどうしていたのか?
    変人と呼ばれながらも、世と関わり、世を疎んじた長明が書きたかったのは見えるものだけではなかったのかもしれない。

    また、定家との対比も面白い。
    長明が世から外れ、しかし散文において世を明らかにしようとしたのに対し、定家は世に在って、歌という抽象世界を理論で纏めあげようとした。
    定家についての著作も、機会があれば読みたい。

    巻末対談で五木寛之が述べているように、ピラミッドでさえ半分壊れかけているのに、紙に書いた何十枚のものが残る「国」である。
    共感する。
    そして、長明にしろ兼好にしろ、同じスタンスで人の集まりを見つめてきた作品が、折に触れて温度を持つことは、なぜか嬉しい。

  • 方丈記私記 堀田善衛 筑摩書房

    堀田善衛という作家の人生観と生き様を支えたであろう
    方丈記と鴨長明の人生が選択した前向きで凄まじい
    反逆児の道楽

    後ろ向きに生きる所有と利権に依存した貴族社会の欺瞞に
    溺れる虚栄心の中に収まり切れずにはみ出した
    鴨長明も美意識に挑発された堀田善衛
    又それを確認している私自身へと
    大自然に対する人間社会の逆行に逆らって
    大自然を視野に入れた前向きの本流に戻ろうとする
    マイノリティーが延々と何千年も続いてきたらしい
    末法三千年説とも重なる話でもある

    釈迦もイエスもマホメットも後ろ向きの物理的な力に利用されて
    今では陰ばかりの存在に成り果てているけれども
    その中で活き続けている調和によって自律を目指す
    個の集いへの求心力がいつ日の目を浴びれるものとも知らずに
    世界中にアウトサイダーとして脈々と息づいているのであろう

    まさに今何千年の時を通して
    方丈記に描かれた姿形が世界中に再現されている最中であることを
    この本が示している
    何かを学んできたとは思えないこの悪魔的社会という組織は
    個々の人間にとって大事な反面教師としての必要悪なのだろうか?

    文中で気付かされた所を抜書きしてみよう
    48ページ
    近衛文麿の書いた天皇に対する上奏文である
    これによると軍人の多数も右翼も左翼も官僚も皆共産主義者であり
    と言う
    資本家と貴族以外は共産主義者だと恐れている様子がうかがえる
    「遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候」とも言う
    近衛文麿は共産革命を防止し国体を守るためにのみ戦争終結を急いだ
    この国体とは天皇と貴族社会を指しているのであるり
    こうしたわけで
    責任の全てを転嫁することで逃げる依存心が支配階級に蔓延した

    223ページ
    藤原定家は実朝の求めに応じて曰く
    言葉は古きを慕い心は新しきを求めと言う
    この本歌取り文化は連綿として我々の文化と思想の歴史に生き続けた
    こうして知識だけで意識の欠けた社会が今に至るまで植え付けられてきた

  • 鴨長明はなかなか一筋縄ではいかない人であったようである。「どうにもトゲがのこる。いつまでたっても、出家をしても、世を捨てても、六十になってもトゲののこる人であった。」おのれの思想と感性を信じ、他に妥協しない強い意思をもつ人との印象を持つ、だからとても惹かれてしまう。堀田氏は、天皇制存続の根源を本歌取りの思想、すなわち、生者の現実を無視する政治のもたらす災難を無理やり呑み下されながら、人びとの伝統憧憬に吸い込まれたいという文化に根付いている、そこのところに置いている。ここにもトゲがある。

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