筑摩書房 日本詩人選
唐木順三 「 良寛 」
「生涯、身を立つるに懶(ものう)く」で始まり、漱石の「大愚到り難く」で終わる良寛論。良寛作品の背景として、寒山の漢詩、道元、万葉の歌の影響を上げている。
人生の晩年で良寛に惹かれる人が多いのは、漢詩の省略美 や 仏教や万葉の中にある日本人の心性を感じるからか?
自由に生きるためには、人との接触を避け、利益や名理利を求めず、是非善悪を判断するな、と言っているようにも読める。
旧漢字は読みにくいが、ルビがあるので 音感は理解できる。良寛の言葉のつなぎ目の上手さは感じる
良寛が好んで使う言葉
*任、隨
*騰騰
*悠々、優游〜何もせずにぶらりと遊ぶ
*聞く〜世俗の雑音を断ち、宇宙のリズムを聞く
生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰騰(とうとう)、天眞に任す
嚢中、三升の米
爐邊(ろへん)、一束の薪(たきぎ)
誰か問わん、迷悟の跡
何ぞ知らん、明利の塵
夜雨、草庵の裡(うち)
双脚、等閑(とうかん)に伸ばす
訳)世の中に身を立てて、何かをすることは嫌で、ぼんやりとして、あるがままの天然自然の真理に、自分を任せている
ずた袋には 托鉢で恵まれた三升の米があり、いろりには 山から集めたひとたばの薪がある。米と薪のほかに何が要るか
迷い悟りは自分にはどうでもいい世界であり、名誉利益は関わりあったことではない
夜の雨ふる静かな庵で、両足を気ままに伸ばしているだけ
やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかに我はすみわたるかも
*天然の呼吸に自分の呼吸を同一化(実相に観入して自然と自己の一元化した生を写す)
*苔水の=苔水に通う心
草の庵(いほ)に足さしのべて 小山田の山田のかはづ聞くがたのしさ
*足をさしのべて うきうきしている
*「双脚、等閑(とうかん)に伸ばす」は 静寂の中出思慮分別が止まって脚を投げ出す感じ
むらぎもの心楽しも春の日に 鳥のむらがり遊ぶを見れば
むらぎもの心は和ぎぬ永き日に これの み園の林をみれば
*むらぎも=心にかかる枕詞〜心の痛み、嘆き
*「鳥のむらがり遊ぶを見れば」「これのみ園の林をみれば」音調、単純の中に含まれる豊かさ
*「心、楽しも」の背後に 雪国の孤独と寂寥がある。だから鳥で群れて遊ぶさまが楽しい
世の中に まじらぬとにはあらねど ひとり遊びぞ我はまされる
*世の中に交じるより、ひとり遊び(詩歌を作り、読み、筆をとる)を好む
*世の中=明利、自負、嫉妬のある社会