柳田國男全集 24 (ちくま文庫 や 6-24)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (671ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480024244

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  • 柳田国男全集を読んでいると考えさせられる。

    柳田から何を学んだかと言えば反省と現実批判である。反省を至上とすることによって自己と世界、それらに関する学問、そして世間というもの、それらをひっくるめて現実というものへの改善の配慮がなされる。改善の配慮の先にあるユートピアはけっして実現はされないだろう。永遠のユートピアであり続ける。それは精神的姿勢や生き方のようなものである。そういった現実への改善の配慮は、現実を比較し吟味する批判的姿勢、帰納的姿勢であり現実批判と呼ばれる。

    安倍という人は現実主義(リアリズム)という。しかし政治の人は現実批判でなければならない。どうしようもない現実の中で反省を至上とすることにより現実批判に転嫁しそれにより現実の改善への配慮へ向かう。政治の人はそうある。だから安倍という人の言う現実主義(リアリズム)は全く違うものである。現実主義(リアリズム)と現実批判は反省を至上とするかしないかで全くの別物となる。彼には反省を至上として政治の人になってほしい。

    佐藤優という人は現実主義(リアリズム)ではない。かれは反省を至上としてしかありえない現実批判の人であろう。彼は現実主義(リアリズム)が支配しているように見える世界で反省を至上とした。それにより現実批判へ転嫁させたのだろう。

    村上春樹の小説は現実主義(リアリズム)や超現実主義(シュールレアリズム)と違う何かにみえる。かれは反省を至上とする思考実験をしている。それによって現実改善への配慮の姿勢を回復させる。それは反省を至上としてしかありえない現実批判という哲学であり小説である。哲学と小説を分ける必要はないだろう。

    柳田国男に反省を至上とすることによってしかありえない現実批判のお手本をみた。これほど見事なお手本はないだろう。彼に学ぶものは大きい。

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著者プロフィール

1875年生。民俗学者。『遠野物語』『海上の道』などの著作により民俗学の確立に尽力した。1962年没。

「2022年 『沖縄文化論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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