まあだかい―内田百けん集成〈10〉 ちくま文庫 (ちくま文庫 う 12-11)
- 筑摩書房 (2003年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480037701
感想・レビュー・書評
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還暦を過ぎてもお迎えは「まあだかい」と開かれたから「摩阿陀会」。なんと失礼な、と思いますが、逆にいえばそれだけ百閒先生が弟子たちから慕われていたということでしょう。百閒先生もユーモアに溢れた人で、
「その内にきっともういいよと申し上げる所存で御座いますが、その節は御香典の用意を成る可く沢山と云う事にお願い申します。」と。p29
六十歳というと今でこそ若いイメージもありますが、昔は還暦=老人のイメージでしたから時代は変わるものです。
p333「花のない祝宴」は泣けました。
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愛すべき偏屈屁理屈爺さん
摩阿陀会とは、知らない人は勿論知らない。知る必要なぞ少しもないむいみなかいであってか、私がみんなから還暦を祝って貰ったのに、いまだに達者である。遠慮なく云えばいつ迄も死なない。まだか、まだかと云うのが摩阿陀会である。(無伴奏) -
軽妙洒脱とはまさにこの方のためにある言葉のような気がする。年々老いてゆく中で色々なことがままならなくなってしまうことすら、諧謔たっぷりに描いている。けして自虐的ではない。しょうがないというか、そういうものだとわりきっているかのようである。
だからこそ、「イヤダカラ、イヤダ」という拒絶も受け入れられるのでしょう。
「まあだだよ」は幾分創作もはいっていたのだなと再確認。それでも、世界観は全く損なわれておらず、改めて黒澤監督の力に脱帽。 -
ヘンテコだが、心温まる交流。
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2014年3月23日読了。
いいなあ。こういう会があれば、長生きしてもいいなあと思うねえ。 -
老いてなお軽快。周囲への優しさやサービス精神が感じられて、読んでいて暖かな気持ちになった気がする。
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先生と生徒という関係でも、友情のようなものが生まれて、でもやっぱり先生はいつまでも先生というところが面白い。
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確か「贋作吾輩は猫である」の次、2冊目の百けんがこの本だったと思う。
話があっちにとび、こっちに戻りするんだけど、するする読める。
還暦のお祝いをしたのにまだ生きている、お迎えは「まあだかい」の摩阿陀会。
いい年して社会的地位もある人たちが学生に戻ってしまうのが面白い。
三畳御殿に人がみっしりで帰った後は食べ物もお酒も空っぽ、財布がないと思ったらいたずらで額縁の裏に隠してあったというところは
卒塔婆を引っこ抜いて来てしまった頃のノリと同じw
宴会中の描写はあまりない。
お正月の御慶の会の、「花のない祝宴」でちらっと出てくるんだけど
「ちらっと」でもわかるくらいしっちゃかめっちゃかwww
百けんと、百けんを取り巻く人たちの温かさが伝わってくる。
(10.07.04)
読み始めた。
(10.07.01)
解説だけ読んだ。
(10.06.26) -
毎年、決められた期日に、気のおけない仲間がうち集って小宴を開く。それが筆者も含めて、参会者たちにとっていかに楽しい時間なのかということが行間から伝わってくる。そんな仲間がいるというのは、まことに幸せなことなのである。
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ブックフェアで購入(7掛!)
2009/04/13-
出雲・岡山旅行のお供に。やはり楽しい