- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480059352
作品紹介・あらすじ
世界史の例外のようにふるまう巨大国家を、思想はどう語ってきたか。新しいアメリカ原論。
感想・レビュー・書評
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以下、メモのみ。
・持論と引用が交錯して読みにくい
・日本論にすり替わる矛盾
・適応(適者生存)と平等詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ニーチェ、オルテガ、ハイデガーやグラムシなどのアメリカ論をざっと紹介。特筆はアドルノが、アメリカ資本主義を批判していたはずのヴェブレンこそが最もアメリカ的な思想家だという指摘。アドルノは、ヴェブレンの志向にアメリカ的プラグマティズムとダーヴィニズムを嗅ぎ取っている。「適応」とは与えられた欠乏条件にふさわしい行動をとる事であり、それを志向しつづけることは思想的偏狭に陥るという指摘は鋭い。言わば「適応の原理化」であり、よく考えなくとも戦後日本、今日の安倍政権にまでつながっている焦燥に満ちた進歩の道を想起させる。さらに本著でエリクソンの『幼児期と社会2」からの引用「この国では『不平不満をもつこと』が歴史的にきわめて重要なことであり、強く激しく変化していく世の中で自分の足で立つためには自分自身の苛立ちで自分を支えていかなければならないからである」は、非常に示唆を受けた。本著者はエリクソンから江藤淳の考察に入るが、そこで、矢張りと言うかなんと言うか「対話の世界を取り戻そうという、世界史上初めての決意が、日本国憲法第9条の規定なのでした」という唐突な文章に出会う。さらにアジアへの謝罪や何やら、後半に至って論旨が不明瞭になってしまった。残念な著となった。
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アメリカという国家がどのように理解されてきたのかを、精神史・思想史的な観点から振り返った本です。
まずは、マックス・ウェーバーやトクヴィル、アドルノ、アレントといった思想家たちが、アメリカに未来への希望と大衆社会的な病理を読み取っていたことが、簡潔に紹介されています。
さらに、日本がとくに戦後になってアメリカに対してどのように向き合ってきたのかが紹介されています。小田実や江藤淳、小島信夫など、すでに何度も論じられてきた作家たちが取り上げられており、あまり目新しい議論はなかったように思います。
最終章では、近年マンガやアニメを中心とする日本発のサブカルチャーが世界を席巻していることに触れて、加藤周一が指摘した「雑種文化」という特性を生かしつつ、アメリカへのコンプレックスを克服する道を見ようとしています。
「アメリカはなぜ嫌われるのか」というタイトルを掲げるのであれば、西洋とイスラムとの文明の衝突など、もっと詳しく論じなければならない主題があったのではないでしょうか。そうした点で、やや不満が残りました。 -
第3章がやたらと面白かった。
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[ 内容 ]
世界史の例外のようにふるまう巨大国家を、思想はどう語ってきたか。
新しいアメリカ原論。
[ 目次 ]
序章 グローバリゼーションとアメリカ
第1章 アメリカは、どのように論じられてきたのか―思想家たちのアメリカ
第2章 アメリカとのつきあい方―亡命者たちのアメリカ
第3章 アメリカがやってきた―占領と日本人
第4章 アメリカと出会う―『何でも見てやろう』と『アメリカと私』
第5章 グローバリズムのゆくえ
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