- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480062390
作品紹介・あらすじ
「教養とは何か」「教養にはどんな効用があるのか」-。大正教養主義から、八〇年代のニューアカ、そして、現在の「教養崩壊」まで、えんえんと生産・批判・消費され続ける教養言説の底に潜む悲喜劇的な欲望を、出版社との共犯関係・女性や階級とのかかわりなど、さまざまな側面から映しだす。知的マゾヒズムを刺激しつつ、一風変わった教養主義の復権を目指す、ちょっと意地悪で少しさわやかな教養論論。
感想・レビュー・書評
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旧制高校時代から戦争をはさみ、ニューアカまで……「教養」や「教養主義」についての言説をちょっと意地悪な視線で俯瞰するのが本書。筆者のときに照れたようなときにひねたような、愛憎半ばするその文体が魅力的だ。今、「教養について語ること」そのものがグロテスクなのを重々承知しながら、愛ゆえに語らざるをえない……というのが萌え。
「教養」が常に人を磨くとは限らない。それどころか今「教養主義」と言えば、素直に悪口ととったほうがいい。人より多少本を読んだからといって何がエラいの? それより求められているのは「コミュニケーション能力」なんだよ! (というのが現代なんだろうが……、その「コミュニケーション能力」ちうのもそうとういやったらしい言葉だとオレは思う)
エリートが、「いかに生きるべきか」(=これこそ“教養”の正体)を独占してきた時代は終わり、誰も彼もが……いやむしろニートであるからこそ「自分探し」に狂奔するようになった。その「教養」と「自分探し」の間に横たわるものについて、すこし考えてみたくなる本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
思索
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これまで読んできた教養主義本の最高傑作。著者曰く「展覧会」であり、教養主義を歴史的かつ多面的に考察している。これまで男性目線で語られてきた教養主義を女性ならではの視点で論じているのも興味深い。
本著を受けて、『君たちはどう生きるか』が大ブームになっている現代を、あらたな教養主義の復権として問うべき課題になりえるのか否か。 -
いろいろ非難、批判したいらしいが、
おばさんの愚痴レベル。 -
読了。図書館で借りた本。学歴コンプレックスからつい借りてしまった。面白かった。引用されてる本も難しそうだが読んでみたくなったが、やめておこう。積ん読を少し減らしたい。ブクログのレビューも結構あった。
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自分自身の教養コンプレックスを自覚することができた。
教養コンプレックスとブルジョアコンプレックスの違いも確認できた。
ひとびとが教養と呼ぶものの正体も掴むことができた。
これでもう怖いものはない。 -
おもしろいけどまどろっこしい。勇ましいようで、実は現有の強い人(あるいは集団)への批判を綺麗に避けている。社会学でいう「役割距離」の無難な援用。
ただ、アマゾンのレビューにはこんな意見もあった。要約すると、「筆者の甘さは選択された戦略。批判や勇ましさを媒体とした自己言及のいやらしさを指摘するのが目的である以上、筆者の無難さを批難するのは場違いなのでは」。 -
教養に対する様々な言説を紹介・分析している。ただ他の読者も指摘しているように読みづらい部分があるのも事実。一度読む価値は十分にあると思う。
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日本のアカデミズムの「教養」とか「教養主義」といった価値観を切り裂くぶっちゃけ話。
読み始めは、引用だらけで読みにくいし、何だか掴みどころの無い感じだが、だんだん著者の言わんとしている事が少しずつわかってくる。それでも、特異な新書であろう事は間違いない。
「教養」の中身が云々という話ではなく、「教養」を重視するか否かという姿勢に対するメタな見方をいろいろ引き出して、シニカルかつ意地悪に意見している。多くの学者が引き合いに出されるが、ほとんどが知らない人。実感に欠けるが、「こんな世界もあるのかぁ」的な読み方ができた。
(ニューアカを含めた)アカデミズムの権威とか、学歴とか、知識とか、エリートとか、人格とかいうものを、粘着性の笑いと嫌味に転化しているので、かなり意地の悪い文章になっている(本人も認める確信犯的な著述)。タイトルの「グロテスク~」は、読んで気分が悪くなるという意図らしいが、今回、それほど気分が悪くならなかったのは、読み手に教養が無かったからだと思われ。。。。