「分かりやすさ」の罠: アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書 596)
- 筑摩書房 (2006年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480063021
作品紹介・あらすじ
「分かりやすさ」という名の思考停止が蔓延している。知識人ですら、敵か味方かで「世界」を線引きする二項対立図式にハマり込んでいる。悪くすると、お互い対立する中で「敵」の思考法が分かるようになり、「敵」に似てきてしまう。こうした硬直した状況を捉え直す上で、アイロニカルな思考は役に立つ。アイロニーは、敵/味方で対峙する。"前線"から距離を置き、そこに潜む非合理な思い込みを明らかにする。本書はソクラテスやドイツ・ロマン派、デリダなどアイロニカルな思考の系譜を取り出し、「批評」の可能性を探る刺激的な一書である。
感想・レビュー・書評
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[ 内容 ]
「分かりやすさ」という名の思考停止が蔓延している。
知識人ですら、敵か味方かで「世界」を線引きする二項対立図式にハマり込んでいる。
悪くすると、お互い対立する中で「敵」の思考法が分かるようになり、「敵」に似てきてしまう。
こうした硬直した状況を捉え直す上で、アイロニカルな思考は役に立つ。
アイロニーは、敵/味方で対峙する。
“前線”から距離を置き、そこに潜む非合理な思い込みを明らかにする。
本書はソクラテスやドイツ・ロマン派、デリダなどアイロニカルな思考の系譜を取り出し、「批評」の可能性を探る刺激的な一書である。
[ 目次 ]
序 カンタン系化するニッポンの思想
第1章 「二項対立」とは何か?
第2章 哲学に潜む「二項対立」の罠
第3章 ドイツ・ロマン派の批評理論
第4章 「アイロニー」をめぐるアイロニー
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意識しててもついつい二項対立的思考に落ち込んでしまう機制について、プラトンからときおこしながら説明していく第一章。体系的な思考の陥穽をヘーゲルやマルクスを代表格として解説した後、デリダなんかのポストモダン的な戦略を解説するあたりは王道の流れ。ベンヤミンの微分的な思考に軽く触れ、エクリチュールを悪者扱いするプラトンの勘違いを指摘し、アドルノの否定弁証法で一応、二項対立にハマる構造や、逆に二項対立的な近代に対抗する形でナチのような全体主義が形成され、対抗するものの似絵として二項対立をなぞっていくことなど、いささか図式的ながらも見通しよく整理してゆく。キモはその後のシュレーゲルやノバーリスら初期ロマン派のアイロニーの現代的意味を論じた部分。
柄谷や浅田や大澤の「転向」や、不動の動者的振る舞いを指摘しつつ、アイロニー、とりわけ皮肉としての修辞的なそれではなく、アホを演じて斜に構えた反転の力点を引き入れる哲学的アイロニーについて解説。
とはいえ、つまりは、それをシラけつつノル、ノリつつシラけると、かつてどこかで聞いたフレーズと説明するあたりは、なーんだ。。と言う感じではある。
具体的な状況下では、第三者的審級もなけれは、シラけはそれ自体でどちらかへの結果的な加担になると言うマッチョな決断主義については、ただ、アイロニーというだけでは大したて意味を生み出せないのも、かつて浪漫派が通った道なのではないかしらとおもうのだが。
インパクトを生み出すものってやはりおおよそクソ真面目なんだよなー。 -
アイロニー
やさしさは求められていない -
「アイロニカルな批評」ということで、アイロニーそのものについて、最初から最後までじっくり書かれているのかと思ったらだいぶ違った。
この辺りはこの著者のいつも通りという感じで、安心してページをめくることができる。
しばらく二項対立の話が続き、二項対立というのはわかりやすさMAXなのだけど裏表の関係になる問題がある、というあたりでアイロニー臭が少し漂う程度。
この二項対立や弁証法について、「この先に正しいものが存在する」という自身の正義を思い込みと指摘したり、「誰もが二項対立のどちらかの側に存在するはず」という根拠のない安心感を得たいとする衝動について、哲学/哲学史の視点から書かれていて、哲学が正直よくわかっていない自分が読んでもおもしろかった。心理学だとこのあたりは白黒思考とか防衛機制とかの(なんとなく科学的に思える)説明で終わってしまうので、ちょい物足りないと感じていたので満足できた。
あと「過ぎ去りゆく自然の後を追いかけるものとしての芸術」というのはニールヤングを思い出したわ。 -
「右」対「左」のような分かりやすい「二項対立」の図式に陥ってしまうのはどうしてなのか、そして、「批評」ないし「評論」と呼ばれる営みの役割はいったい何なのかという問題を考察している本です。
もともと現代思想は、こうした二項対立の図式をズラす戦略を編み出してきました。二項対立の発祥は、プラトンがイデアの永遠性に基づいて提出した霊/肉二元論にまで遡ります。またヘーゲルは、「霊」すなわち主体と「肉」すなわち客体との対立が、弁証法的なプロセスを経て統合されると考えました。ところで、ヘーゲルの哲学においては、自己自身の哲学的理論体系と、当の体系が過去の諸体系とどのような相互関係にあるのかというメタ理論とが、明確に区別されることなく結びつけられていました。そのために、こうしたヘーゲルの哲学理論の中核にある「絶対精神」を批判する試みは、メタ理論の部分でヘーゲル哲学を補強する結果に陥ってしまうことになります。著者は、こうしたヘーゲルの弁証法的理論の呪縛を逃れようとする、ベンヤミン、アドルノ、デリダの試みを紹介しています。
さらに著者は、ベンヤミンの『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』以降再評価されているドイツ・ロマン主義の「アイロニー」の戦略を紹介します。シュレーゲル兄弟やノヴァーリスは、文学的な創作活動をおこなう「主体」はみずからの「意図」を完全に把握することは不可能であるという立場から、主体の意図が作品の展開の中でズレてゆくことや、主体としての「私」の中にエクリチュールを介して他者の意図が入り込んでくることに着目しました。彼らは、そうした意図を超えたところで働く詩的想像力を、「超越論的ポエジー」もしくは「ロマン主義的ポエジー」と呼びます。そしてそれは、つねに「生成」の途上にあって「完結」することがないと考えられています。「批評」とは、まさに作品の「批評」という当の営みを通じて、詩的想像力の「生成」に加担する営みのことにほかなりません。著者は、こうしたドイツ・ロマン主義の「批評」概念に見られる、みずからの思想が事後の反省によって新たに捉えなおされる可能性に対して開かれているという意味での「アイロニー」のスタンスを見なおし、その可能性について語っています。 -
【選書者コメント】右派だろうが左派だろうが、わかりやすい奴は信用できない。
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予想外に(?)骨太な西洋哲学史でした。
現代思想をデカルトからかたりおこすのはよくありますが、(西欧の)二項対立的思考法のルーツをプラトン主義(!)にまでさかのぼる見かたというのは、私にとっては発見でした。
それでも抜群によみやすい。
いま同時に読んでいるほかの本とひびきあう部分もあって、愉悦につつまれる読書体験でありました。 -
政治的な二項対立の焦点になっている問題に、アイロニカルな批評を試みれば、私のようにロクでもない目に遭うので、人に嫌われたくなければアイロニストになるな
批評家というのかいろいろな考えを巡らせているのだということはわかりましたが、難しくて、なかなか理解には至りません。 -
「二項対立」の概念の起源とそれを克服しようとした思想家と考え方を解説。分かりやすい喩えと明快な言い回し。哲学の重要問題の一つの「主客問題」と同等になるのだと。解決策の一つである「アイロニー」の説明。そして著者が論壇で苛立ち巻き添えを食ったエピソードを紹介。
第一章の状況については自分も常々感じていたことだったので、読んでいてそのとおりと同感してしまった。
ベンヤミンの意図やロマン主義批評の話はスリリングだった。新書でも実に楽しめた本。 -
前半と後半の難易度の差が激しいが後半の哲学の流れを追った説明は大変参考になる。
2ちゃんやブログの反応を気にした言い訳は蛇足。