キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書 887)
- 筑摩書房 (2011年2月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480065919
作品紹介・あらすじ
キュレーション【curation】とは、無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。― 本文より
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感想・レビュー・書評
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情報から拾い上げ意味を与えて共有する。
芸術の世界のキュレーターと同じ意味あい。その時代に適応する形があるのだろう。SNSでの共感する共有することにつながる。
ビオトープ
サブカルとはちょっと違う感覚はネット上のもの。マス(テレビ)の時代から、ネット時代へ。皆が求めた時代から個別の時代へ。所有する時代は終わった。マスが消失し無数のビオトープが生まれる。人から人へのつながり。
記号消費から機能消費へ。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
だいさんevernote:///view/4075866/s37/23786966-b0e7-40a6-9ca7-b178eaea7e25/2378...evernote:///view/4075866/s37/23786966-b0e7-40a6-9ca7-b178eaea7e25/23786966-b0e7-40a6-9ca7-b178eaea7e25/2014/09/23
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■どんな混沌にも必ず法則があり、その法則に基づいて情報は流れて行く。それを解き明かすのが本書の最終ゴールです。
■「情報を求める人が存在する場所」を本書では「ビオトープ」と呼ぶ。
■消費は「機能消費」「つながり消費」のどちらかになる(P.128)。
■コンテンツのアンビエント化とは、動画、音楽、書籍などがオープンに流動化し、いつでもどこでも手に入るかたちで漂う状態のこと。CDやダビングやらの箱や手間は消滅。消費を楽しくする知識•感覚も共有された空間が生まれる。コンテンツは流通形態だけでなく、在り方も180度変移。
■ネット空間はマスメディア広告のように完璧にコントロールされる世界ではないし、無理にしようとすれば炎上したり批判されたりするのは当然。そこが今だにわからない人が多すぎる。
■「認知」「興味」の場は、ライフログでもマスメディアでもなく、「Chech in」ではないか(P182)。◇「Check in」は「場所」「番組」「料理」「ブログのエントリ」「記事」など、情報を集めるためのブイをネットの海に差し込む行為→「●●に興味ある人が集る港に行く」感じ◇「人にChek in」とは「視座にCheck in」すること。「情報の真贋を見極めることは難しいが、信頼できる人はわかりやすく、その人の発言は信頼できる」ということ(P.206)。◇人にCheck inすることで自分ではでき得ない「ゆらぎ」が生まれるため、タコツボ化が防止できる。
■「アウトサイダー⇔インサイダー」の境界、そしてその境界を設定するキュレーションの方向性は、情報の海そのものにも適用される概念◇「自己の世界の意味的な境界」をセマンティックボーダー(清水氏)と呼ぶ。コレで人は外のノイズの海から、自分のルールにのっとっている情報だけを取り込む。これを代行するのがキュレーター。「これは今までアウトサイダーだったけど、この意味を与えればインサイダーだよ」と。◇セマンティックボーダーは、硬直しない。内側の論理によってではなく、外部の誰かによって作られるべきである◇フィードバックとフィードフォワードをまとめたホロニックループとセマンティックボーダーの組み換えがこの世界を生き抜いていく条件
■インターネットの役割は、「情報を流すこと」「人と人が繋がること」の2つ。検索は「情報に特化」した。SNSは「繋がりに特化」した。今、Facebook、twitterの肥大化により「つながり機能が情報流通と統合」しはじめている。
■生活圏や文化圏が四分五裂(価値観の微細化)していく社会でその国における普遍主義は崩壊し、一方でインターネットによってアンビエント化し、開放的になっていく文化もある◇プラットフォームがグローバルに統合され、コンテンツやキュレーター、それに影響を受けるフォロワーなどが無数の小規模モジュールとなって存在する生態系の誕生。ここでは自分の文化圏域に深く入り込むコンテンツに共感する人たちと世界中でつながる世界◇同じ国に住んでいる、でも異なる文化圏域の人より、異なる国の同じ文化圏域に属する人の方が近い世界◇コンテンツ発信にコストがかからないため、ボトルネック握る先進国・メディア・プロだけが情報を支配する構図は成立しにくい。それどころか、プラットフォーム上ではローカル情報の重要性が逆に増す可能性◇ポスト・グローバルの例。ゲルマンのシンプルなデザインが世界中で自国の民族性を体現しているように見えたこと。「魂に響くものなら、どんな文化とも共鳴し合える。本当のグローバルは画一化されて巨大化することではなく、人間の根源的な部分で会い通じることが出来るようになること」◇グローバル・プラットフォームで情報が流れるということは、多様性がそこに内包され、自立・共存・発展するローカル文化の集合体を生み出していくことになる◇プラットフォーム3定義。圧倒的な市場支配力を持つ。非常に使いやすいインタフェイス。プレーヤーの自由度の高さ◇多様性を許容するプラットフォームが確立していけば、文化は多様性を保ったまま、他の文化と融合して新たな文化を生み出すことも出来る。その世界で新たなまだ見ぬ文化は、キュレーションによって常に再発見され続けていく -
ノマドな生活をするための第5弾に選んだ本。
この本も直接ノマドとは関係ないのですが、
ネットの中でで起こっていることを
ちゃんと理解するために読んでみました。
ネットに大量にあふれ出た情報の洪水の中から
砂金を取り出すかのように必要な情報を編集する
「キュレーター」という人間の存在が今後は重宝される、
という趣旨の本です。
その一言を言うためだけに、
これまでの時代背景を深く考察しており、
個人的には「そこまで考察の必要あるの?」という感想ですが、
著者の突き詰めて考察する姿勢には感動です。
どこかの分野で情報の目利きとなるような
キュレーターになる必要があると強く感じた次第です。 -
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「大注目のITジャーナリスト」
へぇ~指針になる人を見つけるコトが出来るか、どうかが成長の鍵なのかな~、と、フと思ってしまいました。「大注目のITジャーナリスト」
へぇ~指針になる人を見つけるコトが出来るか、どうかが成長の鍵なのかな~、と、フと思ってしまいました。2012/04/11
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メディアの変遷。コンテンツビジネスからソーシャルメディアへの移行についての洞察が明瞭。いま読むべき良書。今を逃すとすぐに古くなるのが分かる。空間を越えて、広くなったように見えて狭くなる世界において、どのように必要な情報を提供すべきか。今の時代だからこそ、チャレンジ出来ることが分かる。ソーシャルネットワークが日本においてまだまだ未発達なことも同時に感じさせられる。再度読み直し、しっかりと落とし込みたい本。
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コンテンツ(文学、情報、アート)は、長らくそれを流通させる媒体として、マスメディアを必要としてきた。
一本化された情報源によるコンテンツの大量消費の時代は終焉し、細分化したキュレーター達がマスメディアの代替えとなる。
キュレーションは、無数のコンテンツの中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を取捨選択、フィルタリングし、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有する事。
マスメディアの地位はブランドとして保たれていたが、現代のキュレーターは、Twitterアカウントや、Bloggerになっている。そしてそれらはブランドではなく、過去の実績で評価される。
本では触れられていなかったが、この仕組は、茶の湯における「目利き」と同じだ。
とても明快な文体で理解しやすく、また、アートの世界を、コンテンツホルダーとキュレーターに分類するのは、とても納得できる。(現代の才能は、多くの場合、ネット上のキュレーターにより発掘されている)
おそららく本文の趣旨とは関係ないのだが、序章と第一章の二人のアーティストの話がとても感動的だ。
ジャンルやパターンを突破して、その先にある、より大きな流れ(音楽なら、それをジャズとかクラッシックではなく、「サウンド」と呼称する)と、鑑賞者を直結する。
音楽も、芸術も、そして写真も、ジャンルやカテゴリーになぜこだわるのかいつも分からなかった。それが文章として説明されている事に感動した。
素晴らしい考察だが、3章でフォースクエア等のライフログ系マーケティングの話が冗長で無駄と感じた。4章のキュレーションにつなげる前降りなんだろうけど、読者層として、そこを知らない層は当てはまらないと思うので、削ってもよかったと思う。
読書にも流れがあって、流れに乗っていると、タイミングのあった一冊にであるものだけど、この本はまさにそうだった。 -
2011年初版の本書。
2017年の「いいね!」現象を予言している? -
映画や新聞記事などのコンテンツに第三者が価値付けする大切さと、SNSがそこで果たす役割を、文化的背景も含めて解説した良作。流行りの「Twitterがよくわかる!」みたいな本とは一線を画す。コンテンツやWebに携わる人は読むべき。
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この本を呼んで、読んだ本のレビューを書いてみようかなと思えました。
自分のために蓄積した情報を、自分なりの視点で提示することが今までは少しおっくうだったけと、手を上げて「私はこう思う!」と、言える勇気が出ました。
経済学や社会学の世界では、ここに書かれていることは少し古いことなのかもしれないけど、普段、教育学系の本しか読まない私には十分新鮮でした。
本文内容も、文体も分かりやすし、子どもに話をするのに良い本だと思います。
対象に絶対的価値はなく、対象の価値は人によって虚焦点的に浮き上がるのだという難しい話も、すんなり頭に入りそう。