コンテンツ(文学、情報、アート)は、長らくそれを流通させる媒体として、マスメディアを必要としてきた。
一本化された情報源によるコンテンツの大量消費の時代は終焉し、細分化したキュレーター達がマスメディアの代替えとなる。
キュレーションは、無数のコンテンツの中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を取捨選択、フィルタリングし、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有する事。
マスメディアの地位はブランドとして保たれていたが、現代のキュレーターは、Twitterアカウントや、Bloggerになっている。そしてそれらはブランドではなく、過去の実績で評価される。
本では触れられていなかったが、この仕組は、茶の湯における「目利き」と同じだ。
とても明快な文体で理解しやすく、また、アートの世界を、コンテンツホルダーとキュレーターに分類するのは、とても納得できる。(現代の才能は、多くの場合、ネット上のキュレーターにより発掘されている)
おそららく本文の趣旨とは関係ないのだが、序章と第一章の二人のアーティストの話がとても感動的だ。
ジャンルやパターンを突破して、その先にある、より大きな流れ(音楽なら、それをジャズとかクラッシックではなく、「サウンド」と呼称する)と、鑑賞者を直結する。
音楽も、芸術も、そして写真も、ジャンルやカテゴリーになぜこだわるのかいつも分からなかった。それが文章として説明されている事に感動した。
素晴らしい考察だが、3章でフォースクエア等のライフログ系マーケティングの話が冗長で無駄と感じた。4章のキュレーションにつなげる前降りなんだろうけど、読者層として、そこを知らない層は当てはまらないと思うので、削ってもよかったと思う。
読書にも流れがあって、流れに乗っていると、タイミングのあった一冊にであるものだけど、この本はまさにそうだった。
- 感想投稿日 : 2019年1月17日
- 本棚登録日 : 2019年1月17日
みんなの感想をみる