養老孟司入門 ――脳・からだ・ヒトを解剖する (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480073747

作品紹介・あらすじ

「脳」「からだ」「壁」……ヒトが生きることの本質を問い続けてきた知の巨人の思索の宇宙を、東大解剖学教室の愛弟子が解剖する。一冊でわかる養老孟司の全て。

感想・レビュー・書評

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  • 『養老先生がその中の一ページを開く。内臓を取り去った解剖体が描かれている。「布施くん、ここにハエが止まっているだろう」養老先生は、その解剖体の男の、足にかけられた布の部分を指す。たしかに、左足の付け根あたりにハエが一匹、描かれている。「どうして、ここにハエがいると思う。考えてみなさい」それが養老先生のアドバイス法だ。あとは、自分が答えを出すしかない』―『序章 ― 一九八五年』

    養老孟司の著作は少なからず読んできたので、本書で布施英利が整理分析する養老哲学について違和感はない。平易な言葉で、かつ、論理的に、養老孟司が数多くの著作で記してきた少し急いたような論理展開について解きほぐす作業は、著者と分析の対象者の学問上の師弟関係もあってか、言外の意図を違(たが)うことなく汲み取り、導き出された答えは正鵠を射ているように思う。それでも何か脳の中で軋むような雑音がするのが聞こえる。

    本書の中でも触れられているように、養老孟司の思想の根底には仏教的な思想が流れているように思う。しかもそれは自身の信仰に基づくものではなく、その思想の成り立ちそのものが「脳と身体」の関係性、ひいては「自意識と社会」の関係性を的確に捉えていると結論した結果の指向だ。都市化とは「脳化」であると看破し、脳が嫌う自然=身体(思い通りにならないもの)との折り合いが悪くなることの救済として、洋の東西を問わず信仰が存在するのは必然とも説く養老は、古い中欧の教会に見られる伽藍の構造や採光の様式や焚香の習慣と仏教の定型との共通性を指摘しつつも、敢えてその二つを分け、一神教に与しない。その仏教的な視点によく似た二元論な思考についても本書では丁寧に語られる。

    そこで、ふと、妙なことを思いつく。本書が養老孟司の哲学を知るための良書であることは確かなのだが、これはどこかで養老孟司の考えについての「福音書」的な定式化となっていないか、と。

    ものすごく単純に言えば、ブッダの目指したものは自我からの解脱であり「悟り」の境地に至るということ。根本においては、脳の言うことだけを信じるのを止め、環境からの身体的入力情報(=感覚)に敏感になれ、ということとも捉えられる。一方、一神教が求めるのは唯一絶対神への信仰であり、それは取りも直さず、脳の言うこと=言葉を全面的に信じるということに違いない。信じ易くするために秘跡などの証拠を示し、本書の言葉に従うなら「強制了解」の様式を取って三段論法的に信じさせるのが福音書だ。

    だが、養老孟司の哲学はそのような「判り易さ」を必要とするものなのか、という雑念が湧いてくる。もちろん本書が解きほぐしたような知の巨人の思考の要素分解とその理解は重要と認識しつつも、般若心経が語る世界観である「色」と「空」の同義性のような感覚を持ちながら師の語る言葉を受け止めた方がいいのではないか、とも思うのだ。絡み合ったものは絡み合ったままに受け止めるべきなのではないか、と。

    イエスの弟子であったマタイらが記した福音書は、イエスの言行録という意味合いよりも、その言葉自体がギリシア語のユーアンゲリオン(=エヴァンゲリオン)、すなわち「良い知らせ」を意味するように、布教のための書である。これに対して、仏教においてもブッダの法話などを弟子たちが集め仏典が編集されたと考えられているようだが、仏典はその境地に至る準備として世界を理解するための基礎、知恵を集めたものとの意味合いが強い。守るべき律も、その行い自体の意味を問うことが重要なのではなく、蒙を啓く―今まで見えていなかったもの、すなわち自意識が邪魔(無視)をして見え(聞こえ、感じ)ていなかったものを知覚する―ための型を示したものに過ぎない。ならば養老孟司の書も心を無にして読むことが肝要ではないだろうか、などと考えて見たりする。もちろん、著者が目指したものは養老教を広めるための福音の言葉ではなく、養老孟司の言葉の仏典的整理であるとは思うけれども。

    「解ったようで判らない、分からないようで解った気になる」
    自分の頭で考えるとはその繰り返しに他ならないと思う。

  • 養老孟司の代表作7冊の内容を紹介し、養老がその生涯を通してどのような問題を考えつづけてきたのかということをまとめた本です。

    著者は東京藝術大学の大学院生だったときに、特別研究生として東京大学解剖学教室の養老のもとで学ぶことになります。本書では、そのころの養老にかんする回想も織り交ぜつつ、彼の思索の展開が語られています。

    ただし、こうした著者の経歴からわかるように、本書は哲学や思想の観点から養老の議論の解説をおこなったものではありません。養老の著作から多くの文章が引用されており、いわば養老自身に語らせる養老孟司入門というべき内容になっています。五音と七音の短い文で養老の思想を要約する試みがなされているものの、著者自身の養老解釈が前面に提示されることはありません。とはいうものの、わたくし自身はこれまで養老の著作を読んでいると、しばしば具体的なエピソードに翻弄されてしまい、なかなかその真意をつかむことがむずかしいように感じることがあったので、本書のように彼の思想を簡潔にまとめられたものを読むことで、頭の整理ができたように感じています。

    著者は、養老がしばしば「塀の上を歩け」と語っていたと述べています。塀の内側に入ればインサイダーとして閉じてしまい、だからといって塀の外側に落ちたらアウトサイダーに終わってしまいます。養老はこれまで、脳の一元論へとますます突き進んでいくかのように思える現代の社会状況をシニカルにながめつつ、自然と身体に目を向けることのたいせつさを語っていたという印象をもっていたのですが、現代社会を否定し自然に回帰することが養老の本意ではなく、危うい綱わたりのような思索をつづけてきたことに、あらためて気づかされたように思います。

  • ●唯脳論1989
    現代とは要するに脳の時代である。
    お金に似たものは既に人の脳の中にあり、お金とはそれを外在化したものだと言う。
    ●バカの壁2003
    言ってみれば、この本は私にとっての1種の実験なのです。それは本の作り方、文書の書き方に関する実験なのだ。
    結局我々は自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。
    ●遺言2017
    デジタルと不死。デジタルパターンとは永久に変わらないコピー。なんとコンピューターの中にはすでに不死が実現されている。

  • 深いお考えのある養老先生の代表作について、少し理解が進んだ気がします

  • f.2023/3/4
    p.2021/4/1

  •  著者は東京藝術大学美術学部芸術学科美術解剖学研究室准教授.著者紹介によると解剖学者・美術批評家.


     東京藝術大学大学院美術研究科博士課程(美術解剖学専攻)修了後,東京大学医学部助手(解剖学)として養老孟司氏の下で研究生活を送った.

     養老孟司の書下ろし本を中心に,養老孟司の思想を読み解いていく.取り上げられた本は

    『形を読む』
    『唯脳論』
    『解剖学教室へようこそ』
    『考えるヒト』
    『バカの壁』
    『無思想の発見』
    『遺言。』

    の7冊.

     養老さんの本はだいぶ読んできたと思うのだが,私の既読は後半の3冊のみ.私は初期養老を無視してきたようだ.図書館で借りて読んでみよう.

     著者による解題は,『遺言。』についてのものが歯切れがよい.『遺言。』自体が比較的にわかりやすい内容だからだろうか.


    2021.08

  • 養老孟司氏の本は何冊か読んできた。
    どの本も目から鱗が落ちるような発見がある。時評にしても面白い。そして、深い。「こういう見方ができる養老先生の脳みそはどうなっているんだろう」といつも疑問に思っていた。そして、万分の一でもいいからその見方を身につけたかった。養老先生は東大名誉教授で解剖学の権威である。学問を究めた人である。その人に、著書を読むだけで近づくなんてことはできないと知りながら、それでも近づきたかった。
    本書『養老孟司入門』は読みたいが読みたくない本であった。まず、養老先生に弟子がいたことを本書で知った。それとは知らずに布施英利氏の本を買っていた。養老先生に私淑してきた私の養老孟司観を壊されるような気がして読みたくなかったのだ。
    しかし、本書を紐解いた。私の養老孟司観と大きく異なる点はなかった。安心した。私の養老孟司観がよりクリアになった気がする。
    読み終えて、最も印象に残ったのが冒頭のエピソードである。養老先生は布施を図書館に連れて行き、17世紀オランダの解剖書を見せる。「ここに一匹のハエが描かれている。その意味を考えてごらん」
    養老孟司の指導は気付かせる教育だった。気付けるかどうかが重要である。気付く力を養うには、気付くまで考えるしかない。養老先生はそのことを知っていたような気がする。

  • 東2法経図・6F開架:B1/7/1556/K

  • 僕の脳に最も大きく影響を与えたのは森毅だ。その次が養老孟司。学生のころから読みだしている。30年以上になる。養老先生の本は主だったところは読んできたと思っていたが、初期の書下ろし「形を読む」が抜けていたようだ。文庫になったようなので、読んでみよう。本書では、著者の布施さんが養老先生のところにどのように弟子入りしたのかから始まり、養老先生の書下ろしを中心とした作品の解説がなされている。おもしろいのは養老先生との間のエピソードだ。本を読みながらトイレで用を足す姿が目に浮かぶ。最後の対談(?)も魅力的だ。養老先生の脳の中がかいま見えるような気がする。しばらく出る本出る本読んでいたが、一時、もう卒業かなあと思って読んでいない時期があった。そして、NHKの「人間ってナンだ?」の最終回だったと思うが、養老先生が話されているのを聴いた。そのとき、倫理についての話だったか、養老先生はまだまだ進化していると思えた。まだまだ追いかけないといけないと思えた。そういう意味では、最近の対談「AIの壁」は実におもしろかった。

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著者プロフィール

解剖学者・美術批評家

「2021年 『養老孟司入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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