- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480074607
作品紹介・あらすじ
遊び心、わび、デザイン性、文字との融合、多様性の競演……世界の周辺文化のトップランナーである日本美術の唯一無二性を、豊富な図版とともに解析する一冊。
感想・レビュー・書評
-
「西洋」と「中国」というファインアートを極めた土地の『周辺』にある国、日本のアートについて書かれた一冊だ。
よく日本は文化の終着点で、辺境であるがために源流では滅びた文化が残っている不思議な場所、みたいな話を聞くけれど、本作でもそういう「流れ込んだ文化の吹き溜まり」的な場所で、どう文化やアートが花開いたか、ということを論じている。
貴人がファインアートを楽しんだ西洋や中国と異なり、日本では庶民が楽しむ素朴なアート(浮世絵、判じ物、陸奥の仏像など)が独自に発展した、というのが著者の論だ。
本筋とは少し異なるけれど、面白い、と思ったのは、精緻な唐物ではなく侘びを見出した利休と、大量生産品ではなく手仕事の民藝を見出した柳宗悦が、それぞれ美しいと評価したのが高麗・朝鮮の品であった、という共通点に言及しているところ。確かにそうだ。
ふたりはそれぞれの視点で完全な美ではない美しさを見出したわけだけれど、見出された側の高麗・朝鮮は決して不完全な美を目指したわけではなく、むしろ中国の精緻で完全なファインアートを目指していたが技術的にかなわず、結果的に素朴さや歪さを残すことになってしまい、そこを逆に利休や柳は愛でた、というのが、なんとも面白い。美ってなんなんだろう。
全体通して、まったく新しい観点、新しい説、みたいなものは感じなかったのだけれど、だからだろうか、ところどころで自身の論を卑下したり「これについては専門家ではないから」的な予防線を張るようなところが何か所かあって、自信がないのかな、と思えてしまうのが残念だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
提示した主張に関する日本美術の多彩さや独特さを実例でもって紹介するのは良いが、「海外ではそれほど広まっていない」のは本当なのだろうか?新書なので仕方ない面もあるが駆け足で説得力に欠ける。
-
美術と言っても文化が違えばいろいろな形がある。著者は西欧や中国の美術について、権力者による威圧的な造形が中心であるのに対して、日本は遊び心にあふれ見るものを楽しませる造形と見ている。
「庶民ファーストなアート」として日本美術を捉える著者は、例として江戸時代の宗教美術を挙げている。
絵馬は、絵画の庶民化においてとくに重要と見ている。江戸時代の中期以降になると大絵馬の奉納は全国で盛んになった。小さな寺社の絵馬は、浮世絵師として成功しなかった者や、素人絵師が描いた大絵馬が多い。
見るものに爪あとを残す地獄絵もそうだ。近世後期になると派手な色彩を使ったドラスチックなものが主流になった。著者は江戸時代後期に描かれた長徳寺の六道絵を例に上げている。
日本美術を一味違った視点で見るとまた興味深い。 -
江戸時代までの日本の様々な造形表現には、現在のグローバリズムのファインアートとは違った価値基準があったという。なるほど。
-
東2法経図・6F開架:B1/7/1633/K