- Amazon.co.jp ・本 (470ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480080943
作品紹介・あらすじ
辺境に生まれて、ヨーロッパ文化のもう一つの源流となったケルト的想像力の軌跡を、豊富な資料に基づいて辿る。
感想・レビュー・書評
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一体なぜ、アイルランドではキリスト教と古代文化「ケルト」が、幸せな結婚をむかえることができたのだろう。
元々「ケルト文化」という概念は、近代アイルランドの民族運動に依る物が大きい。
彼らは長年のイギリス支配・抑圧に抗しようとしたとき、アイルランド、スコットランド、ウェールズに痕跡が残る共通の古文化についてのある学説に飛びついた。
すなわち、鉄器時代に中央ヨーロッパで栄えたルシュタット文化の担い手であり、古代ローマにおいて「ガリア」と呼ばれた民族が、ゲルマン人やローマ人に追われて紀元前7世紀頃からブリテン諸島に移住し,今度は紀元後にイングランドに侵入したアングロ・サクソン人に追われて、アイルランド、スコットランド、ウェールズなどに移住した…というものである。
彼らはこれについて「ケルト人」という用語をあて、己のアイデンティティを賦活させたのだった。
それが最近のDNA研究により、実は「大陸のケルト」と「島のケルト」が血縁的に非常に遠いことが判明し、「ケルト」というカテゴリがかなりのゆらぎを見せる事態となっている。
しかし、じゃあアイルランドのケルトとは、すべて幻なのだろうか?
なだらかに起伏が続くアイルランドの緑の丘には、渦巻きや組紐の文様を刻んだ無数の石の遺跡が、苔生して相変わらず風に吹かれ、霧雨を浴びている。
それらの遺跡は古代の土着文化によるものをのぞけば、多くはキリスト教化後に建てられた修道院などの跡である。
面白いことに、アイルランドにおいてはキリスト教は、土着文化を異教・邪教として排斥しなかった。初期キリスト教は地元のドルイド僧たちと敵対することなく手を結び、アイルランドは友好的にキリスト教を受け入れていった。各地に修道院を中心とする教化拠点が設けられ、後世に「ケルト十字」と称されるようになる独自の円環十字架が各所に立てられた。
そして、そこには必ず、土着文化より受け継いだ渦巻・組紐文様の装飾が刻まれたのである。
それら文様は、キリスト教化後にむしろさらに豊かとなり華やかに花開いていったことが、鶴岡真弓先生たちの研究によるこの「ケルト・装飾的思考」に書いてある。読めば、そのめくるめく豊かな味わいを知るようになるだろう。本書が書かれたのはDNA研究による「ケルト」再考以前であるが、組紐のように絡まるキリスト教と古文化の様子を装飾研究の場からひも解いた本書の光は、まったく減ずるものではないと思う。
さてアイルランドの修道院の広がりはやがて、本国を出てスコットランドや北部イングランド、果てはオランダやドイツに至るまでを教化していくことになる。
9世紀にアイルランドの初期キリスト教系修道院はアイルランドへのヴァイキングの襲来により荒廃し、ベネディクト派修道院の隆盛により歴史の闇に消えたが、カソリック信仰そのものはアイルランドの人々の中で脈々と受け継がれていった。
その後、アイルランドのカソリックは新興プロテスタントとの対立を深め、国内でのプロテスタント虐殺に端を発してイングランド議会軍(清教徒)指揮官のクロムウェルによる大虐殺および征服、植民地化を許し、そこから長年続く深い血みどろの怨恨が生まれていくことになる。
そのようなところに、「ケルト」という語は生まれたのだ。
自分たちの住まう傍らに、いつもありつづけた石くれの紋様は、実は遥か昔、ゲルマンが支配する以前のヨーロッパ文化の源流につながっていた、という発見。当時はケルトの「血」を証明するような生物的研究はもちろん、正統な古文書など何も存在しなかったが、古文化と幸せな結婚をしたキリスト教がはぐくみ続け、生かし続けた紋様が、彼らには何よりの証拠として映ったのだった。
さて最新の研究では、ヨーロッパ大陸とアイルランド、スコットランド、ウェールズとの血縁はなかったものの、島の部族文化が大陸の文化に強く影響を受け近縁化したのだろう、という説が有力となっている。
つまり、ケルト民族という血の縛りから、ケルト文化という広がりに、括り方が移ったのである。
それでいいんじゃないか。
イギリスが今、EUからの離脱を巡って揺れている。もしEUからイギリスから離脱したら、アイルランドと北アイルランドは、それまで同じEU圏内として国としての体裁は保ちつつ自由な行き来が可能となっていたのが、アイルランド、イギリスとして再び分断される。北アイルランド内の独立派がテロを再開する局面を想像するのは非常にたやすい。ただ、ここで「ケルト」の概念がもう持ち出されることはないと思う。イギリスの抑圧からの解放運動、というくびきを脱し、「ケルト」はより大らかな文化概念として羽ばたいていくだろう。
それが、大陸より島に伝播し、はぐくまれ、キリスト教化してなお花開き、脈々と編まれ続けたあの装飾文様が望む、何よりの事だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちくま学芸文庫
鶴岡真弓 「ケルト装飾的思考」
ケルト装飾美術論。ケルトの文様に装飾的思考を見いだした本。ケルト写本の最高傑作「 ケルズの書 」は見てみたい
福音書の写本だけあって、文字と意識の文様化が見られる。漢字の起源みたい。渦巻文様は、中心点なく螺旋状に動きまわり、不安をかき立てる。キリスト教のヌミノーゼ?
ケルトに内在する装飾的思考がアール・ヌーヴォーにつながっているという論考がある。ケルト装飾と 縄文土器の文様の関係性を検証した本があったら読んでみたい
ケルトのエグザイル精神(定点に留まらず、自らを故国から追放する精神)というのは興味深い。キリスト教が世界宗教化したのは こういう精神なのだろうか?
ユングがジョイスの文体を「呼吸を奪うような〜耐えられぬまで充実した空しさを、いとも残酷に表現する」と評した言葉は、ケルト写本の「装飾的思考」を言い当てている
ケルト文様の表現は、装飾の自立すなわち〜自動詞としての装飾を表明している
装飾とは常に反ロゴス的な世界にあって、人に悪夢を見せ続ける負の定理〜ケルトも装飾が人間の妄執に親しいものである
ケルトにとっての世界像は、文様の運動や結合によってのみ現れる。彼らにとって、世界や自然の諸要素は文様によってのみ認識される。これを世界文様と名付ける