ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念 (ちくま学芸文庫 ヘ-3-7)
- 筑摩書房 (2001年10月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480086297
作品紹介・あらすじ
カント、後期ヘルダーリン、晩年期ゲーテという状況配置の中心に初期ロマン主義をとらえ、フリードリヒ・シュレーゲルとノヴァーリスの神秘的術語群からなる「ポエジー」言語の森に、ドイツ・ロマン主義の「芸術批評」概念がはらむ形而上学的思考の地図を描き出す。「主観‐客観」構造を排した「絶対的形式」は可能か?言語はいかにして「同一性」を実現あるいは回復しうるのか?-従来のロマン主義理解を根底から覆す『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』に、ヘルダーリン論、カント批判論ほかを加えて、初期ベンヤミンの思想世界を呈示するとともに、シュレーゲル「ゲーテの『マイスター』について」をも併録した、文庫版新訳。
感想・レビュー・書評
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「芸術」について深く体系的に考えるのに役立ちますたぶん。
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すっごい。
相変わらずベンヤミンの知的直感には惚れ惚れする。
批評は判定ではなく作品のなかに沈静し、個々を見極めたうえで普遍性へと消化していく。
反省こそが芸術批評であり、創作についてもそれは同様で、その構造ゆえに詩情は散文に接近していく。
主観と客観を厳密に区分けするフィヒテの自我ではなく、主観と客観の区別が廃されるシュレーゲルの魔術的認識論。
自我や個人的主観にこそ絶対を宿らせるのがドイツロマン派という認知だった自分からしたら、ベンヤミンはさらにその先、人間の認識の奥深くへと掘り進んでいく。まるで自己収斂していくように。
自己を制限すること。
絶対者を反省の媒質として措定する見方が素晴らしい。
芸術は形式となり、それは個人の超感覚的な域を出て、他者へと向かい、それが反射される。
これらの論考は芸術批評や芸術を対象としている、それゆえに論理や社会、思想の問題へと踏み込むのは過干渉になるから適用範囲を広げすぎないこと。