心はどこにあるのか (ちくま学芸文庫 テ 12-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097538

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  • 「話せないかも知れないが、考えてはいるはずだ。」人間以外の動物の行動を見た時に、我々はごく自然にこのようなことを思う。しかし、著者はこの考えにアンチテーゼを投げかける。
    そもそも、全ての生物は行動の選択をする際に何か考えているのだろうか。バクテリアは?人参は?カッコウは?コウモリは?犬は?・・・。生物の進化の過程を紐解きつつ議論を進め、言語を持つか否かを一つの境界とする仮説を提示する。
    では、人間以外の生物は心を持ち得ないのか?身近なペットなどを見ても、俄には腑に落ちない。いや、腑に落ちない感覚になるのは、子供が岩や星を自然と擬人化するように、身近な生物を擬人化しているのに過ぎないのだろうか・・。心のありようについて一石を投じる著作。



  • ちくま学芸文庫
    デネット 心はどこにあるのか

    哲学者が「心とは何か」「人間と他の動物の違いは何か」を 探求した本。心を 人間と他の動物の違いとして、思考実験を展開している


    心は、主体、内省的な意識、主観的観点、言葉との関係性から捉え、心に基づく人間の合理的行動と 自然選択による動物の行動を区別している


    人間と他の動物との差異は、遺伝子的に優れた設計を持ち、愚かな行動が排除されるフィルターを持ち、言葉をはじめとする心の道具を使うこと


    人間は原始的に心を持っていたのではなく、進化の過程を通じて 心を手に入れたという驚きの前提条件から始まる


    「心の仕事は、未来を築くこと〜心とは 予感するものであり、期待を生成するもの」


    「心のすることは情報処理である〜心は身体の制御システムで、決められた任務を果たすために、制御に関する情報を集め、それを選別して貯えて、加工または処理する」


    「心の進化論〜内部志向性から近接志向性へ移行し、さらに遠隔的志向性へ進化する〜進化により 身体のまわりから入手する情報を受ける膨大な数の専門化した主体を生み出す」


    「人間は脳が大きいから知性が高いわけではない。人間が高い知性をもっているのは、自分の認知作業を可能なかぎり環境そのものに委ねてしまう習慣があるためである〜外界につくった一連の周辺装置に心を代行させるのである」


    「人間は記憶を助ける精巧な連想システムを構築することができる〜脳を巨大な能力のネットワークに変えることで自分の持つ資源に磨きをかける」

    「人間を除く動物は痛みは感じられても、苦しむことができない」

    「人間以外の動物には、人間と同じ内省的な意識を持っているものは今のところいない」















































  • 近代の心身問題の解説書。初心者にもわかりやすく説明されている。

  • 現代の認知科学と進化論を組み合わせることによって、人間の意識を解明しようとする「心の哲学」の第一人者ダニエル・デネットの入門書。
    ポピュラーサイエンスとは違う哲学書らしく、そのほとんどは疑問を提示することによっておわる。

    デネットは人間の心の機能について、「言葉」の重要性を強調している。「言葉」によって私たち人間は「概念」と「記号」操作が可能になったと考えている。

    彼の言う「意識」とは人間の高次意識を指しているようだ。
    ダマシオが示した原自己(プロトセルフ)のような、もっと一次的な認知システム、自己システムを考慮していないように思える。

    機能主義的、システマチックに人間の認知を捉えているようだ。
    →私としてはもっとミクロなレベルでの神経的、生理的現象から自己を考えていかない限り、壁にぶち当たるのではないかと思えた。

    あくまで哲学的に現代の科学からわかることを整理しなおし、正しい疑問を提示することは価値のあることと言えるだろう。

    脳科学を一通り読んで思ったことは、位相間の差異がかなり激しいということ。
    シナプスや神経伝達物質などの生理学的ミクロレベルの話から
    解剖学的、部位的な中間レベルの話
    人間を一生物として捉えなおすことによる進化生物学的なマクロなレベル
    これらの位相間の差異を意識しそれらの合流ポイントを探すことが必要なのかもしれない

    どの時代においても哲学は、少なからず科学の知見を考慮に入れてきた。
    その時代の科学的知見を完全にスルーしてなされた哲学はないといってもいいだろう。哲学の課題として「現代」の科学とどのような態度で向き合うかという問題は避けて通れないと思われる。

    その時代の知の総合芸術として哲学はある。
    哲学とは現時点である知をどのように整理し、そのうえでいかに生きていくかの問いを発することだ。

    どんな人も紛れもない現代を生きていかなくてはならないのだから、その時代のエピステーメーに対する態度を決め、善く生きるためにも科学や技術について学んでいかなくてはならないのだろう。

  •  
    ── デネット/土屋 俊・訳《心はどこにあるのか 20161006 ちくま学芸文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480097538
     
     Dennett III, Daniel Clement  19420328 America /哲学、認知科学
     真鍋 厚 Manabe, Atsushi 評論 19791123 …… /
     
     真鍋 厚《コロナ否認の深層心理を探る 20201227 東洋経済オンライン》
    http://a.msn.com/01/ja-jp/BB1cfYa5?ocid=st(写真:nito100/iStock)
     
    “コロナは茶番”侮る人の大量発生を防げない訳
     コロナを否認する3タイプは危機を増大させる
     
    …… 日本の社会が先行きの見えない不安に覆われている。驚くような
    事件や事象が次々と巻き起こる一方で、確かなものはますますわからな
    くなりつつある。わたしたちは間違いなく心休まらない「不安の時代」
    に生きている。しかもそれは、いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を
    抱えている。そんな混迷の時代の深層に迫る連載第3回。
     
     コロナ否認主義の影響力が大きくなっている
     コロナ禍になってから新型ウイルスの存在を頭ごなしに否定する言説
    をさまざまなところで目にするようになった。この現象は世界的なもの
    で、ソーシャルメディアの影響力もさることながら、反自粛デモなどの
    先鋭化につながっている。さきごろ日本でも「コロナはただの風邪」と
    主張し、日本医師会館に居座った政治団体の党首が、建造物侵入容疑で
    逮捕されたばかりだ。
     
     欧米では、このような考え方をすでにコロナ否認主義(COVID-19 deni
    alism)と呼び、似非科学や陰謀論などを盲信して公衆衛生上の危機を助
    長するとみて警戒を強めている。ツイッターやフェイスブックが、コロ
    ナワクチンの安全性などに関する誤った情報を削除する方針を示したの
    は、その影響力が無視できないほど大きなものになっているからにほか
    ならない。
     
     筆者は、コロナ否認を以下の3つに類型化している。
     
    ・マッチョ型コロナ否認
     
     コロナはただの風邪。免疫力を上げれば問題ない。高齢者や身体が弱
    い者が死ぬのは寿命であり、自然の摂理。
     
    ・不安逃避型コロナ否認
     
     コロナはフェイク。新型ウイルスは現実には存在しない。仕組まれた
    騒動の裏で国際的な悪事が行なれている。
     
    ・スピリチュアル型コロナ否認
     
     コロナの出現は神や宇宙の意志によるもの。心の持ちようでウイルス
    は無害化できる。霊的進化の可能性も示唆。
     
     順番にその特徴と背景を解説していくが、これらは明確に区分けできる
    場合もあれば、複数の型が絡み合っている場合もある。いずれにせよ一
    足飛びに否認主義へと傾いてしまいがちになるのは、無症状または軽症
    者の多さや、身近に感染者がいないという直接情報の不足に加えて、社
    会・経済活動の抑制が限界に達し、「普段通りの生活」への欲求が高まっ
    ていることや、(現代人にとって)過去に例のない感染症のパンデミック
    (世界的な大流行)であり、心理的に安心できる物語を切実に求めている
    ことなどが主な動機として考えられる。
     
     マッチョ型コロナ否認は、「コロナはただの風邪」というフレーズの
    通り、国家やマスコミが不必要に恐怖をあおっているだけで、従来の風
    邪と同じく自粛もマスクもしなくて良いとする潮流だ。免疫力を上げれ
    ば問題ないと捉えるので、医療へのアクセスは軽視されがちで、反対に
    民間療法には好意的である。高齢者や基礎疾患を持つ者が死ぬのは、極
    言すればその人の寿命であり、自然の摂理とみなす。
     
     そもそも否認とは、防衛機制の一種である。恐ろしい出来事や不安な
    事実をありのままに受け入れることが困難であるがゆえの心の働きだ。
    「コロナはただの風邪」と言い切ってしまえば何も心配することがなく、
    コロナ禍がすべて茶番として処理できてしまう。世界は依然として自分
    にとって制御可能な安全な場所だという信念を強化することができる。
    とりわけ保守的な価値観を持つ人にとっては馴染みがある作法といえる。
     
     スウェーデンの心理学者であるキルスティ・ユルハの「気候変動否認」
    に関する研究が参考になる。政治的に保守的な人々の間で気候変動の否
    定が一般的な傾向であるというこれまでの研究を踏まえ、ユルハは政治
    的イデオロギーなどとの関連を詳しく調べた。
     
     その結果、気候変動否定は、政治的志向、権威主義的態度、現状維持
    の支持と相関があることが明確になった。また、タフマインドな性格(
    共感性が低く、優位性が高い)、閉ざされた心(経験に対する開放性が低
    い)、男性の性別とも相関があることがわかった(The psychology
    behind climate change denial/Uppsala University)。
     
     大局的な変化を過小評価して自尊感情を守る
     このような否認の特性からは、端的にウイルスに怖じ気づく臆病者は
    誤っており、脅威に動じない勇敢な者が正しいといったステレオタイプ
    の思考が読み取れる。大局的な変化を過小評価することで自尊感情を守
    るのである。
     
     マッチョ型コロナ否認は、不安逃避型コロナ否認と親和性が高い。マッ
    チョ型にとって、実のところただの風邪とするか、フェイクとするかは
    さほど重要な問題ではない。起点にあるのは「大したことは起こってい
    ない」という正常性バイアスであり、最終的には人類史という時間軸で
    被害を相対化しようとするからだ。そういう意味で日本においては欧米
    に比べてかなり低い人口当たりの死者割合や、その有力な因子を指す
    ファクターXはむしろ裏目に出ている。
     
     不安逃避型コロナ否認は、コロナは真っ赤なうそであり、新型ウイル
    ス自体が捏造されたもので、現実には存在しないと力説する。コロナワ
    クチンはマイクロチップを埋め込む方便で、人々を監視し奴隷化しよう
    としている、5G(第5世代移動通信システム)の電波がすべての原因であ
    る云々。陰謀論とは、いわば正常性バイアスを豪華に飾り立てる魅力的
    な物語なのである。「大したことが起こっていない」が真であれば、危
    機は作り出されたものと考えるのが合理的だ。数十億人もの人々がまん
    まと騙されているというわけである。
     
     そもそも病原体に対する否認主義は、新型コロナウイルスが初めてで
    はない。かつては「エイズ(HIV感染症)は存在しない」と声高に唱えた
    グループがいたからだ。社会心理学者のセス・C・カリッチマンは、
    『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(野中香
    方子訳、化学同人)で、いかに多くの人々が誤った知識の犠牲になった
    かを歴史的に追及しているが、他方で「宗教が世界に意味を持たせるよ
    うに、陰謀説は説明しにくいことを説明する」とその魔力を見抜いた。
    名指しできる〝主犯〟が明らかになれば、不愉快な複雑性と向き合わず
    に済む。
     
     不安逃避型コロナ否認にとって、主犯は世界政府や秘密結社などだが、
    スピリチュアル型コロナ否認にとっての主犯は神や宇宙である。どちら
    もコロナ禍は何者かが意図的に作り出したものと捉える。とはいえ、ス
    ピリチュアル型は災い転じて福となす系統であり、自己愛を満たすため
    の聖なるお告げに変身を遂げる。
     
     人類を霊的進化に導く「宇宙の計画」とする声も
     専門家やメディアが発信する情報でパニックに陥っているとコロナは
    人に牙を剥き、逆に愛と真心で迎え入れると無害化されると論じるイン
    フルエンサーがいる。しかも、次元上昇や霊的進化といった精神の成長
    をほのめかしているのが特徴だ。例えばチャネラーで有名なウィリアム
    ・レーネンは、コロナは人類を霊的進化に導くための「宇宙の計画」だ
    と断言している(ウィリアム・レーネン『アフターコロナと宇宙の計画』
    伊藤仁彦訳、ヒカルランド)。
     
     これらは、あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そう
    とする進化心理学の理論をなぞるものだ。
     
     認知科学者のダニエル・C・デネットは、それを「志向的な構え」と
    名付けている。
     
     デネットは、「志向的な構えとは、(人間、動物、人工物を問わず)
    ある対象の行動について、その実体を『信念』や『欲求』を『考慮』し
    て、主体的に『活動』を『選択』する合理的な活動主体と見なして解釈
    するという方策である」と説明する。つまり「志向的な構えとは、わた
    したち人間がおたがいに対して持っている態度や観点であり、したがっ
    て、これを人間以外の他のものに当てはめるということ」なのだ。
     
     わたしたちは長い進化の過程で、他者の心に対する関心を強め、内省
    的思考を身に付けた結果として、自然の事物に心や魂があるとするアニ
    ミズムへと発展した。これが現在も、わたしたちが世界を認識する際に
    も無意識に用いているというわけである。
     
     かつて自然界の舞台裏に神々や妖精、トロール(小鬼)などの「主体」
    を幻視することがアニミズム的感受性であったとすれば、自然がコミュ
    ニケーション不可能な物理的対象となった結果として、昔ながらの思考
    の癖や構え自体は残存してしまうことから、わたしたちはその慣れ親し
    んだ感受性にならって社会の内部、あるいは世界の外側に「主体」を幻
    視しているだけかもしれない。つまり、古代において神々や妖精の仕業
    としていたものを、現代では秘密結社や宇宙意志の仕業へとアップデー
    トしただけともいえる。
     
     確かにどこかに首謀者がいて、その目的を知ることができることは、
    わたしたちの滅入った気分を落ち着かせるのに役立つだろう(ウイルス
    とコミュニケーションが取れるという立場はその最先端である)。刺激
    的な物語とネットコミュニティーは、その信念に特別な意味を与えてく
    れる。しかし、実態としてエイズ否認主義の結末と同様に、コロナ禍に
    対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒
    を担いでしまう。
     
     コロナは存在しないと信じていたインスタグラマーの死
     100万人超のフォロワーを抱えていた人気インスタグラマーの死はあ
    まりにも象徴的だ。コロナによる合併症で亡くなったその30代の男性は、
    感染が判明するまでコロナは存在しないという陰謀論を信じていたこと
    を悔いていた。
     
     わたしたちが犯人探しに興じやすいのは決して奇妙な傾向ではない。
    進化の過程を辿ればまったく正常な反応ともいえる。けれども、それは
    今や自然災害などといった偶然の産物には不向きだ。概して極端な方向
    へと舵を切りやすい。それは結局のところ、感染症対策を徹底しつつ経
    済活動を行うという綱渡りに石を投げる行為を招く。
     
     行動変容に従わない者の厳罰化といった規制強化を要求し自粛警察を
    買って出る極端さ、特定のワクチンの欠陥からあらゆるワクチンの有効
    性を否定する反ワクチンへと傾倒する極端さ、その両極からできるだけ
    距離を置いたほどほどのリアリズムこそが重要である。わたしたちが避
    けなければならないのは、清涼剤に似た極端さへの誘惑なのだ。
     
    (20201227)
     

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著者プロフィール

Daniel C. Dennett
1942年生まれ。1965年、オックスフォード大学より哲学博士号取得。現在、タフツ大学名誉特任教授・同大学認知科学研究センター所長。現代英語圏を代表する哲学者の一人。著書も多く、近著としてIntuition Pumps and Other Tools for Thinking, 2013(『思考の技法――直観ポンプと77の思考術』)、From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds, 2017(『心の進化を解明する――バクテリアからバッハへ』)などがある。

「2020年 『自由の余地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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