引き裂かれた自己: 狂気の現象学 (ちくま学芸文庫 レ 7-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097699

感想・レビュー・書評

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  • 正気から狂気までの変遷を存在論的視点から紐解いた名著。28歳でこれを書いたのがすごい。

    一部二部はかなり哲学的な視点が盛り込まれてるから、医療知識がなくても全く問題ない。自己と世界が繋がらないという感覚がこれほど人間を狂気に追い込むのか。

    幼少期に受ける親からの愛がどれだけ大切かを感じる。

  • 星5つでは足りないくらい素晴らしい。

    本を読み慣れていない人、学術的な文章に慣れていない人には難しいだろうけれど。。自信のない人はネットで買う前に実物をパラパラ捲ってみたほうがよい。逆にこういうのが好きな人、理解できる人には名著と感じられるはず。

    「存在論的に不安定な人」
    これは統合失調症だけでなく、うつ病患者などにも当てはまるところが多く、その表現は的確で無駄がなく、また「存在論的に安定した人」との対比も非常にわかりやすい。読みながら何度も頷いてしまう。

    たとえば
    「存在論的に不安定な人は、自己を満足させることよりも、自己を保持することに精一杯なのだ。普通の生活環境が彼の安定性の低い敷居を脅かすのである。」
    「日常生活の普通の環境が永続的に脅迫となるのである。」
    「彼にとっては、自己とはただ溺れまいとしてつねに絶望的な営みをしている人間なのだ。」

    安定した人格をもつ者にとっては何でもないことが、不安定な人にとっては常に脅威となる。

    「われわれに要求されていることは何か?
    彼を理解すること?
    しかし、統合失調症患者の自己経験の核心は、依然として了解不能であるにちがいない。われわれが正気であり、彼が狂気であるかぎり、それは変わらないだろう。」

    統合失調症患者に限らず、あらゆる精神疾患患者の「狂気」に共通するのではないか。。

  • 「引き裂かれた自己」には、一方で「世界」との間に、他方で「自分自身」との間に二重の亀裂がある。その結果、他者「とともに」ある自己として生きることができず、世界の中でくつろぐ自己を実感することもできない。世界との亀裂、即ち他者との断絶は、「本当の自己」を守ろうとする絶望的なあがきと言ってよい。彼/彼女にとって他者とは自己の存在を脅かす恐ろしい存在なのだ。だがそれは同時に自己が自己であることを承認してくれる存在でもある。他者から孤立した自己は自己を自己として確証することができない。即ち他者からも自己からも切り離された存在、それが統合失調症である。

    比喩的に言えば、他者によってただの物に貶められる前に、先手を打って自分を一個の物体に変えようとする。殺される前に自殺すると言ってもいい。先に死んでおけば少なくとも殺される心配はない。だから統合失調症患者の身体感覚は極端に希薄で、自己の身体が他人のようによそよそしく感じられるという。レインの鋭い症例解釈にははっとさせられることが少なくない。本書が専門家だけでなく、多くの読者の共感を得たのもうなづける。レインは統合失調症を「病」と捉えるのではなく、彼/彼女が世界をどのように構成しているのかを現象学的に記述し、了解可能なものとして提示する。

    だが「病」の治療を目的とする精神医学界でレインの考えが広く支持されることはなかった。「正常者」の自己が内面化した規範に従って、謂わばパラノイアックに行為し続けることが近代社会の作動メカニズムであるならば、そしてフーコーが指摘したように、学校や病院がその一翼を担うものだとすれば、それも当然と言えば当然だ。「本当の自己」とはまさしく近代の産物であるとともに近代の条件である。今日その近代の問い直しが求められているとすれば、自己というものの相対化を伴わねばならないはずだ。そうした文脈でレインが読み直されることに意味もあるだろう。自己の同一性ではなく、その多数性を肯定してみせる現代思想もそうした試みの延長線上にある。

  • 難しかった。20代でこのようなことを考えていたというからこの人はスゴい。統合失調症を当時の人がどう考えていたのかがわかるが、つまりは理解しにくい病気なのであってそれは今も同じだが考え方はずいぶんと変わったのだなと思う。果たしてこれが患者さんにとって幸せなことなのか。

  • 1971年、せりか書房から刊行された単行本の文庫化……って、自分が生まれる前の邦訳だった。吃驚。
    流石にかなり古いので現在の精神医療の常識とはかなり異なる部分があるのだろうなぁ、と思いながら読了。前半はシロウトには取っつきづらいが、後半は興味深かった。

  •  統合失調症及びその前段階の統合失調気質について、実存的に、つまり無意識やリビドーなどの概念で一方的に論ずるのではなく、我々及び当事者が理解・追体験可能な現象として分析している点が優れている。ただし、異常な状態をそのまま受け入れるのではく、病理は病理としてはっきりと問題視する。
     レインは統合失調(精神分裂)の状態として特に、自己(自意識)と肉体の間の分裂を重視する。正常な人間は「(自己/肉体)⇄他者」であるが、統合失調気質では「自己⇄(肉体/世界)」であるという図式は、明快であり鮮烈である。
     他にも、「存在論的安定」と「存在論的不安定」の区別、存在論的不安定の形態である「呑み込み」「石化」「爆入」や、「肉化された自己」と「肉化されざる自己」、「偽自己-体系」、「対他アイデンティティ」と「対自アイデンティティ」など、精神病論に限らず他の実存的分析にも応用できそうな有益な概念が多い。

     「真の」自己を防衛するために、自己の中に閉じこもり、肉体と他人の世界を外なるものとして断念するというのが統合失調気質の特徴である。しかし、自己自身の他に誰からも「真の自己」を知られていない状態は結局心理的な懊悩や齟齬をきたす。
     このような過程は、精神障害者に限らず、内向的な人間や逸脱意識を持った人間なら多少なりとも身に覚えがあるのではないか。本書はアウトサイダー意識の分析の手引としても有用だろう。

     ところで、宗教的意識の本質的な要素の一つに、自己の二重性、つまり主たる霊なる自己と従たる肉なる自己という二元性があると私は思う。そして、この図式は統合失調気質の「自己⇄(肉体/世界)」の世界観と類似している。では、宗教的意識はなぜ自己の分断にも関わらず精神的に健全を保てるのだろうか、あるいは、むしろそのような意識への昇華こそ統合失調気質者の活路なのではないか。このような議論への地平も開かれているように思える。

  • ここに自分自身が「ある」。それはこの生身の肉体を伴う、確固とした実存の実感をもたらす……はずのものである。だが、その肝心の「実感」がありありと感じられないほど「自分・自己」が遠く感じられる。そんな病理について、きわめて微細にレインは分析を試みる。ぼく自身過去に自分がどこにいるのかわからなくなるほど頭でっかちに物事を考え、自意識の純度を上げようと試みたことがあるのでいきおい患者側の心理に感情移入してしまう。レインはそうした患者たちをなんとかして理解しようとする。その親身な態度に裏打ちされた分析はなお読ませる

  • 統合失調気質と統合失調症についての本。私は今は自閉症スペクトラムと診断されているけれど自分のことが書かれているようだった。恐らく私は過度に従順な子供だった。それを守るために他者や現実に適応しているかのような人格を作ろうとしては失敗した。或いはその仮の人格に呑み込まれてしまった。私とは誰か。貴方が決めてくれれば良いと思っていた。でもそれは常に挫折して私は密かに貴方を恨む。

  • 狂気と正気というように単に二分割するのではなく、統合失調症と正気の間に「統合失調気質」を据え、より精神心理学の世界の言葉ではなく、より現実を表した言葉で説明しようとする本。

  • 人間の内側にこそ『無限』がある。

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