文章読本さん江 (ちくま文庫 さ 13-4)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480424037

感想・レビュー・書評

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  • 数ある文章読本を的確な分析と鋭い視点で分析。もう文章読本は読まなくていいと思った。

  •  面白かったねぇ。
     今度から「面白い文芸評論なあい?」と聞かれたら『文章読本さん江』にしよう。そうしよう。

     「文章読本」から連なる文章指南のジャンルを考察した上、日本の作文教育、明治時代からの国語教育の変遷まで含めて網羅検証した一大評論。評論、本当はここまでやらにゃあいかんのです。ここまで綿密に、シビアに、面白きこともなきジャンルを面白く。記号論なんか絡まなくてもここまで面白く出来る! やーいやーい! と私怨のようなものも混じりつつ。

     読めば面白いし、仕掛けに障るので特に書くこともないが、最終的に提示される結論は、実は江戸時代から続く日本人は誰しも持っていた感覚ではなかったかしらんと思った。
     あんがいと古風な結論に落ち着いた。

  • 文体・表記に歴史あり。
    もし「かッた体」とか「棒引きかなづかい」が採用されてたら…コワ。
    旧かな支持派の主張④は、むーん。そうかも。

  • 「文章読本」なる分野の本を読んだ事が無かった(読もうという気がない)ため、いまいち面白さが分からなかった。

  • 初めて読んだ評論家の本。文章読本をいくつか読んだことある人ならあるあると呟いてしまう。著名、無名な文章の書き方本にツッコミを入れまくりで悪口芸に笑ってしまうし、ああそのとおりだわと感じ入るところもあった。跋扈する文章読本がなぜこんなに出版されたかを、作文教育の歴史をひもといて原因を論じていく。笑いと知的好奇心をくすぐりまくる楽しい読み物だった。引用例で、カーツ佐藤の名前を見るとは思わなかった。 *この本は第一回小林秀雄賞をとったのだそうだ。ああ、何らかの賞もらわないとおかしいわこの本。

  • 何かもう、文章指南書を読めなくなっちゃうじゃんか。

  • 自分向けの読書メモ。
    ネタバレと思ったこと。
    文章読本って?
    谷崎潤一郎文章読本からはじまる、文章の書き方本。
    はじめは文豪と呼ばれるような人気小説家達が、満を持して書き、
    現代に近づくにつれ新聞記者やジャーナリストなども書く指南本。
    谷崎潤一郎氏の「芸術的文章と実用的文章には違いはない」「話すように書け」論に
    いやいや、違うぞと三島由紀夫などが反対したり賛成したり、こんなのはどうだと言ってみたり。
    なんで「さん江」?
    出版社などから企画を持ち込まれた著者達は、「ついに俺にもきたか」とはじめたり
    「文豪達に肩を並べるなんて」と辟易しながらもまんざらでもなかったり。
    誰に置いても、先にたつ本を読んで同じ意見に対してはよくわかってらっしゃると満足しつつも、
    違う意見があれば「ええ〜いこっちによこしなさい」と文章読本で筆を持つ。
    そんなおめでたい人たちを皮肉って、
    パチンコ屋さんオープンの「祝開店○○○○さん江」の花輪からこのタイトルに。
    各文章読本をメッタ切り
    著者の誰もが印刷される文章の世界の人たちで、
    印刷向け文章が一般人の日常で書く非印刷向け文章の上に立つとどうも考えている節がある。
    現代文にとどまらず古文、漢文からも引用して名文とはこういうもんだ論を掲げているが、
    名文の定義とはなんぞやを語らずよくぞまあ。
    と揚げ足・・・いや、批判・・・分析しています。
    現代語のルーツを追う!
    噂によると4桁にものぼるという文章読本の多くを、読んで分析しているだけにとどまらず、
    江戸時代からの開国、戦後と日本が大きく変化する時期の日本の作文教育の分析にいたる。
    昔の日本の文章は現代人には滅多に書けない候文。
    書き言葉と話し言葉は分かれていました。
    世の転換期にそれらを一致するように変化していきます。
    外国語は話し言葉と書き言葉が一致している。
    書き言葉を使うためにわざわざ学習し直すのにはコストがかかるし、近代化の妨げになるから一致させようと。
    もちろん反対する保守派もいましたが、少し時間が経つとそちらが主流となりました。
    子供は大人のミニチュア版だという考え方があったので、子供でも難しい文章を書いていました。
    例えばお酒に酔って粗相をした詫び状を書いてみたり。
    もちろんお酒を飲んだ訳ではなく、手本を使って大人になる準備として書く練習をしていました。
    「それってどうなんだ。もっと自由に書くべきなんじゃないか」
    「いやいや自由に書かせすぎて文章がうまくなってない。大人がしかるべきテーマを与えるべきじゃないか」
    とかとか作文教育と現代文の変遷をしることができます。
    感じたこと
    こういうのを知ると、正しい日本語ってそもそもなんなんだと。
    しかも、どれもここ十数年の最近のことじゃないか。
    学校教育としては自由に作文をしたり、詩を書かされたりした。
    実際に社会に出たら「この時はこう書き出しなさい」とか「手紙のマナーはこうだ」とか自由はない。
    自由がないということは悪とかそういうことではなく、
    しっかりとTPOにあわせた文章教育もしてほしかった。
    本の結論
    多数の文章読本を分析し、時代をさかのぼりつつ最終的には
    TPOにあわせて書くものだ。人に指図されるものではないというもの。
    当たり前と言えば当たり前。
    じゃあこれまでわいわいやってた文章読本とはなんだったのか。
    この本はそういう落ちをつける本だったのかなw
    TPOにあわせてということなので、
    これまで通り冠婚葬祭にあわせた文章の書き方指南本は必要とされるのでしょう。
    僕の結論
    当初はこの本読んで文章がうまくなれたらと思っていた。
    ですが「そんなの気にすんな」と受け取ってしまいました。
    果たしてこのエントリーは自分に向けた文章なのか、人に向けた文章なのか
    特に考えずに書いてしまいました。
    ほな!

  • 斉藤美奈子文庫への解説は、極端に二つに分かれる。つまらないものと、面白いものとに。

    『紅一点論』の姫野カオルコさん、『モダンガール論』の浅井良夫さん、『あほらし屋の鐘が鳴る』のアライユキコさん、『麗しき男性誌』の亀和田武さんの解説は面白い。
    一方、『妊娠小説』の金井景子さん、『読者は踊る』の米原万里さん、『文壇アイドル論』の松浦理英子さん、『趣味は読書。』の麻野一哉さん+飯田和敏さん+米光一成さんの解説はつまらない。
    4:4でちょうど半々ですね。

    面白い解説は、斉藤美奈子という特異な評論家がどのような文明に属しているか、よく示してくれています。
    姫野さんはこの本が娯楽読物であるということに自覚的で、短気なマニアには「怒るというたのしみもある」と余裕を見せる。
    大学時代の恩師浅井さんは、斉藤さんが執筆のテーマを見つけるまでの事情を回想していて、これが興味津々。
    アライさんは女性誌編集の現場を詳述して、この評論の意義をたたえる。本文が上部構造なら解説は下部構造ってか。
    そして亀和田さんは「斉藤美奈子はオヤジである」という驚天動地の新説(しかしいわれてみるとなんで今まで気づかなかったのが不思議なくらいの卓説)を披露する。

    つまらない解説は……ただはしゃいでいるだけなんですよね。距離がうまくとれてないというか。
    不思議なんですが、こういうのは筆力があるかどうかとはあまり関係ない。松浦さんなんて、あの本のミステリ的仕掛けに全然ふれていないので驚いたことがあります。

    さて九冊目の文庫本はというと、これがつまらない。解説は単行本が出た当時の書評(それも好意的なもの)を集めただけ。たしか、いかなる時にも斉藤美奈子への批判を忘れない小谷野敦さんがネチネチした嫌味を書いていたはずだけど、あれは入っていない。もし入れてたら、懐が深い!と感心したんだけどな。

    斉藤さんはbk1のインタビューで、「文章読本の教えにとらわれて苦しんでいる人に、とらわれなくていいんだよと言いたい」というようなことを言っていて(正確な引用ではありません)、それを読んだとき私は愕然としました。
    斉藤さん、いまどきそんな読者が本当にいると思ってんの? と。
    まあいるにはいるんだろうけど、天然記念物だろうし(あるいは、私の認識不足かもしれませんが)。
    私は丸谷読本が好きだけど、それは「ああ、丸谷さんこういう文章が好きなんだなあ~」と楽しむために読んだんで、模範にしようなんて毛頭考えてませんでした。
    橋本治が80年代に言うのには意義があったと思うけど、教養主義が徹底的に崩壊したこの御時世に、いまさらそんなこと言われてもねえ。
    たかだか死体を切り刻んだだけなのに、「おれは殺人を犯したぞー!」と一人で盛り上っているような恥ずかしさを、私は感じたんだけどな。

    2007年12月13日記

    2007年12月19日の追記:
    ちょっと言いすぎたかな、やっぱりネットは自意識を肥大させるからよくない、と一旦反省したんですが、『読者は踊る』を読み返したら、私の口の悪さなんて斉藤さんの足元にも及ばないことが確認できたので(笑)、このままでいいか、と考え直しました。

    2011年9月16日の追記:
    小谷野敦さんの「ネチネチした嫌味」は『能は死ぬほど退屈だ』におさめられています。

  • [図書館]
    読了:2010/12/7

    p. 222 あー、小学校の時読んだ「赤い鳥」に対する違和感がすばっと言い表されていた。
    「子どもは子どもらしくあれ」

    p.263 出たー!読書感想文。この虚偽に満ちた世界。

    p.335 「文章読本の書き手は、おおむね高学歴で、書くのにひいで、それを生かした職業につくことができ、しかもその道で一定の成功をおさめた人たちである。つまりごく恵まれた鼻もちならない上流階級の婆さんみたいな人たちだ。そう思えば、有名デザイナーの衣装(文章)を「名文」と称してありがたがるのも、下々の衣装(文章)を「駄文」「悪文」と呼んで平気で小馬鹿にできるのも、主張が少々保守的なのも、小言が鼻につくのも、階級的な性癖として許してやるべきだろう。持てる者である彼らには、持たざる者の衣装(文章)が礼を逸して見える。文章の世界を下から上へ昇ってきた彼らには、「横の多様性」より「縦の序列」が気になるのだ。」

    p. 347 ケータイ小説の引用と解説の仕方が…あぁ笑った笑ったw

  • 今こうやって当たり前のように感想を入力してる、こういう文章の形式にも時代の積み重ねがあったのだなあと見せてくれた本。文章読本の類はほとんど読んだことがないけれども楽しめた。

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著者プロフィール

1956年新潟市生まれ。文芸評論家。1994年『妊娠小説』(筑摩書房)でデビュー。2002年『文章読本さん江』(筑摩書房)で小林秀雄賞。他の著書に『紅一点論』『趣味は読書。』『モダンガール論』『本の本』『学校が教えないほんとうの政治の話』『日本の同時代小説』『中古典のすすめ』等多数。

「2020年 『忖度しません』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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