- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480434043
感想・レビュー・書評
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森茉莉さん、本当に素晴らしい。好き嫌いがはっきり分かれる作家ではあるだろうが、好きな人は熱狂的に好きなのではないだろうか。
森茉莉のいた巴里は1920年代初め。マリー・ローランサンやシャネル、ヘミングウェイ、ピカソのいた巴里。その時19〜20歳くらい。土台はシベリア経由でヨーロッパから届く幼い頃の洋服で出来上がり、1920年代の巴里で完成されたお洒落。ちょっと並みの日本人では太刀打ちできないお洒落の感覚であって当然だろう。森茉莉にしか分からないお洒落。色の表現もとても素敵。独特の感覚に加えての色の表現力。
今回も編者あとがき、がまた素敵。そして、そして、黒柳徹子さんの解説。お2人が仲良しだったことは納得。なんと素敵なことだろうとクラクラする。解説の中での森茉莉のエピソードが自由で素敵過ぎました。なんでだかはわからないけど、森茉莉と黒柳徹子さんの組み合わせはとても私を幸福にします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
森茉莉氏のエッセイ集。
早川茉莉氏の編で2冊目。
テーマは「お洒落」でしょうか。
茉莉さんの生涯が大まかにつかめてきた。
パッパ・森鴎外氏に溺愛され、蝶よ花よと何不自由のないお嬢様として育った娘時代。
女学校を出てすぐに結婚して、その1年後から暮らした一年間の巴里時代。
多分ここまでが茉莉さんの「リアル贅沢」の時代だろう。
美的感覚はこの時代に見聞きしたことが揺るがぬ土台になっていると思う。
鴎外氏が他界すると、森家の没落が始まった。
戦後の暮らしの中で、高価な持ち物はすべてお米に変わってしまったようだ。
今、お金がなくても、かつて持っていた豊かなものはすべて心の中にしまってある、それは魂をとても贅沢にしている、それが茉莉さんの信条なのだろう。
他人の目に映る茉莉さんと、茉莉さん自身の「鏡」に映る姿は大いに違っていたらしい。
そして、かなりの毒舌。
巴里至上主義。
巴里は人も街も粋、日本の男は野暮、店員の接客は失礼極まりない。
一番嫌いなのは成金。
高級車や豪邸は持っていても、人間が本当の贅沢ではない。
茉莉さんの生き方の対極にある人たちなのだろう。
「お洒落」がテーマのこの本で何より素晴らしいのは、着物やドレス、服飾小物にいたる、生地の文様や色味、質感の描写。
ため息が出るほどの文章だが、なにせ私の「お育ち」では見たこともないような絢爛豪華なので、想像できないのが残念だ。
特に色彩感覚が素晴らしい。
たとえば今の用語で言う「さし色」をどうしても入れたければ、常識では考えられない組み合わせの小物(バッグや手袋)でも合わせてしまう、そういうファッションセンスの人で、あった。(読点の入れ方をまねしてみました)
ご自分の顔にとてつもなく自惚れている文章が何度も出てくるけれど、これも茉莉さんの心の中にある「贅沢」の一つだろう。
第一章 幼い日のお洒落
第二章 巴里のお洒落
第三章 指輪・ネックレス・香水・嗜好品
第四章 森茉莉流お洒落術
第五章 ファッション・ドッキリ観察
第六章 お洒落切り抜き帖
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この先、森鴎外という名前を目にしたり耳にしたりするたびに「お茉莉は上等、お茉莉は上等、目も上等、眉も上等…」というフレーズが浮かんできそうだ。
この状況を、この人物を、茉莉さんならどんな風にけなすだろう、と文章を考えてしまいそう。 -
初・森茉莉
不思議な人だな。 -
森茉莉の文章から、衣装にまつわるものを中心としたアンソロジー。
大きく分け、三つに分かれる。
第一は少女時代。
次に夫と赴いたパリでのこと。
最後は戦後のことだが、ここはちょっと衣装の話とも言い難い、少し雑駁な内容。
少女時代、父鴎外や母しげが誂えてくれた衣装たち。
それはベルリンから取り寄せる子供服であったり、三越で作らせた和服の晴れ着であったりする。
明治後期としては、かなりの贅沢な衣生活であったといえる。
描写から、どんな衣装なのか想像するのが楽しかった。
そのために、この一冊を読み終えるのに十日もかけてしまい、読み終わるのが惜しかったくらいだ。
特に「下絵」というエッセイは、文章としても絶品だと思う。
嫁ぐ茉莉のために、振袖の図案の下絵を描く鴎外。
鴎外とともにあれこれと準備をすすめるしげ。
華やかな雰囲気の中に、鴎外の死の兆しと森家の凋落の予感が漂う文章である。
パリでの文章では、パリの女性店員への絶賛が印象的だった。
サイズを測るにも、的確な動きの中にも客の体を大事に扱うのだそうだ。
それに比べ、日本の売り子はみな突慳貪だと憤慨していた。
茉莉がパリで行っていた店がどんな客筋の店だったのか気になるが、この時代はこんな風だったのか、と意外な感じがする。
まず、茉莉たちがパリで人種差別的な取り扱いを受けていなかったのに驚き、次に日本のサービスレベルって、この時代低かったの?と驚いたのだ。
宝石や香水など、大人の女性の持つもの―それは離婚後、戦時中と苦難の生活の中で失われてしまったものだが―への哀惜が描かれるのも心にしみる。
ここまで読んでいくと、古き良き時代の人としてしか彼女を認識できない。
ところが、戦後の記述を読んでいくと、三島由紀夫はともかく、研ナオコ、美輪明宏、タモリ…といった名前が並んでいく。
それを見て、同じ時代を少し共有していることに気づく。
大げさかもしれないが、かなり衝撃的だった。
もっとも、美輪明宏がまだ三十代で、その若さで五六町も歩けないという話が出てくると、現在のあのご高齢で活躍しているのが意外でしかたがない。 -
「理想的本箱」で紹介されていた。独特な美的感覚、想像力、洞察力、とてもチャーミング。
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森茉莉さんのファンになった!
自己肯定感が高くて、好き勝手言ってるところもあるけど、でも嫌な感じがしなくて…。
他の本も読んでみたくなった。 -
森茉莉の随筆は読むたびにいつも私の心(滅多に躍らない)にワルツを躍らせるし、その勢いで巴里など行ってみたくなるし、その足で貧乏ながら贅沢にお買い物なんてしたくなる
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2018.2.18
かわいらしいひと、というのがどのようなひとなのかわかる気がする わたしもおばあさんになったら質素な服にダイヤモンドが光っているような可愛いおばあさんになりたい -
森茉莉さんのエッセイが大好きだ。
こうして編集して文庫にしてくださることがありがたい。
どれもいいのだが、特に「下絵」「超特大の帽子と紅い薔薇」が印象に残っている。
後の方は、このエッセイというより、パリ時代のアヴァンチュールを思い出すエッセイすべてがいい。どんなにドキドキしたか、こちらにも伝わってくるし、うらやましくもなる。どんなに素敵な思い出となって、一生のうちに何度も思い返し、支えとなったかがわかる。
森茉莉さんのエッセイを読んでいると、父親とのエピソードもそうだが、極上の思い出は、それだけでその先の人生、十分生きていけるのではないかと思わせる。超極上、というべきか。たとえ、思い返すたびに美化されるのだとしても。
「初冬のヴィナス」には少し驚いた。清岡卓之の「手の変幻」のヴィーナス評ととても似ている。向こうは教科書に長年掲載されているが、森茉莉さんの方が私はいいと思う。 書かれたのも多分こちらの方が先だ。やはりすごい書き手なのだとエラそうに改めて感心した。 -
どんな日でもお金さえあれば、好きな洋服を買いに出かけたかった貧乏ファッションマニア森茉莉の目にも彩なるお洒落の宝石箱。
森茉莉さん第2弾。あぁ、食に関するエッセイもいいなと思ったけれど衣服も素敵。衣食住、と言うけれど感性ってこういうところに如実に表れるよね。そしてそれが生き方にもつながっていく。本物のお嬢様暮らしをした人って、貧乏生活はめちゃくちゃつらいんじゃないかと思ってたけど、人によるんだなと思わされました。つらいなりに自分の中で幸せなことや楽しみ方を見出す方法を森茉莉さんはご存知だったんでしょうね。こんな風に愛された記憶があること、幸せな思い出に包まれていること、それは彼女の人生を明るくしてくれた最大のものかもしれない。彼女の思わず笑ってしまう突っ込みもお気に入りのものへ対する賛辞も、大好き。