「悪所」の民俗誌 ――色町・芝居町のトポロジー (ちくま文庫 お-77-1)
- 筑摩書房 (2023年6月12日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480438867
作品紹介・あらすじ
都市の盛り場は、遊女や役者の呪力が宿る場所だった。「遊」「色」「悪」の視座から日本文化の深層をえぐり、「悪所」の磁場を解明する。解説 松尾恒一
感想・レビュー・書評
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沖浦和光『「悪所」の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー』ちくま文庫。
表紙の写真は扇情的であるのに対して、内容は日本文化の歴史にかなり深く斬り込んだノンフィクションであった。
著者は『悪所』の成立する条件として、賤と穢を挙げており、日本固有の被差別民の存在が鍵を握るようだ。
遊女、悪党、芸能者といった制外者が生活の場とした『悪所』。そこには遊、色、悪という、人びとを惹き付ける魅力がある。
本体価格900円
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悪所=遊廓や芸能興行をベースにした盛り場がどのように成立し、どのように捉えられてきたかを通史的に論じる本。
悪・遊・色・賤がキーワード。
遊女や役者は、賤民視される一方、中世以前においては性や芸をもって神性につながる一面も持つ存在だった。
しかしそれらも商業的側面を強めていくにつれ、社会に取り込まれていく。三都の悪所(島原、吉原、新町)は、いずれも公の権力によって設置し黙認された。さらに時代が下るにつれ、自然発生する盛り場も生まれる。遊郭と芸能興行が近く結びつき、独自の秩序が支配する場だった。時に公の秩序を逆転させる反権力の生まれる場でもあった。
全体は庶民の娯楽通史という印象だが、しばしば著者自身の個人的な経験や価値観が差しはさまれる。たとえば第1章では、少年時代に見聞きした戦前の釜ヶ崎、飛田、千日前や道頓堀等の大阪の盛り場の様子等が紹介される。それはそれで興味深い。
ただ、そういった感性や比喩が論理の建付けに割り込んでくる時は面食らう。たとえば色道について論じる第6章、突然生物学的な生命活動の話が挿まれる(p261~)。ヒトを含むサル目は明確な繁殖期が無いため性欲の昂揚と処理が生得的な問題になるとする。が、前半は事実でない(ヒトとチンパンジーが特殊)し、生殖でなくコミュニケーション目的の性交を行うボノボの例も浮かんでくる。単なる比喩と考えればつまらない揚げ足取りだが、わざわざ論拠然として出てくるために引っかかってしまう。
文学作品の一節等もたくさん紹介されていて、概観として分かりやすい一方、個々の文献の扱いについては、文学や歴史研究に比べ随分無造作な論じ方に見えることがある。
かといって緻密な方が面白い訳でもなし、筆数の少ない水墨画がちゃんと形をとらえることだってある。要は自分の中に、この種の本に接する時のプロトコルがまだ熟していないのだろう。