- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480815583
作品紹介・あらすじ
どうして目の前の日々が、ここまで政治とつながらないのか。沖縄に暮らす著者は、自らの声を聞き取ろうとする。『裸足で逃げる』から3年、初めてのエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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沖縄の海が好きだ。
「だったら、海をあげる」と言われて、
受け取ってみたら、あまりにも重かった。
本土に住む者にとってみれば、そんな本だ。
上間陽子さんの、美しく正しい言葉で綴られたエッセイ集。
同じ国のはずなのに、物理的な距離以上に精神的に歴然とした距離がある沖縄。その距離の正体は一体何なのか、戦後日本に生きる者たちは、この本を読んで考えるべきなんだろう。
でも生半可な本じゃない。
簡単にヒントはくれない。
だから、じっくりと、行間まで読んで、ひたすら考え続ける必要がある。
それは苦しいこと。
しかし、豊かな未来のためには必須の苦しみなのだと思う。 -
沖縄の人が抱える心、気持ち。自分とは違う他者がいて、まだ知らない、関わらない人がいて、それぞれの暮らし、思いがある。新たな見方を得ることができた。
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【感想】
読みながら沖縄の海のことを想像してみた。
沖縄の海は青く淡く澄み切っており、白い砂粒が太陽を反射して辺りに光をばらまく。東京の人々はその異国感に安らぎを覚え、都会の喧騒を忘れされてくれる楽園のようなイメージを抱く。
だが、そうした理解は一面的な見方でしかない。沖縄にどこか憧れを持って暮らす本土の人々は、現地の人々が接している問題に対して声を挙げず、ただの「リゾート地」として沖縄を無分別に消費しようとしている。
こうした「沖縄のイメージ」に待ったをかけ、今まさに現地で起こっている問題を、そこに住む人々の目線からありありと語ってくれるのが本書だ。
本書には大きく分けて3つのテーマが書かれている。
筆者の家庭を描いた日常の話、性風俗で働く女の子たちの物語、そして米軍基地のお話。
3つのうちの後ろ2つは、重く凄惨な物語が多い。実の父親にレイプされてPTSDとなり、家を出て施設に入りながら、遠くで暮らすためのお金を貯めるべく性風俗で働く七海さんの話や、辺野古基地建設の県民投票を認めさせるためのハンガーストライキを行う元山さんの話など、沖縄の人々が抱える負の側面に焦点を当て、当事者たちの生の声をそのまま紙面に綴っている。
2つのカテゴリに共通しているのは、「対話の必要性」を訴えていることである。父親からのレイプをただの家庭内不和と捉える母親や施設の職員、基地への反対意見を蔑ろにする市長など、力の強い者から弱い者への一方的な押し付けが本書のあちこちに描かれている。その傍若無人な態度に異を唱え、「私たちもここで生きて、ここで暮らしている」と主張するのだが、そうした言葉の多くは聞く耳を持たない人々には届かず、耳障りな主張の一つとして霧散していく。
そうしたお話の間にときおり、筆者の家族の話が挟まれる。一人娘の風花ちゃんだ。
風花ちゃんはまだ4歳であり、沖縄で起こっていることを知らない。本書での話も風花ちゃんの腕白さを描いた日常生活が多くとてもほほえましいのだが、そうした幸せなエピソードの中にも、未来が脅かされることへの不安感が見て取れる。
風花ちゃんが飲んでいる水道水は、米軍基地で使用される化学物質によって汚染されており、基地埋め立てのための土砂流入は海の生態系を壊していく。汚されていく沖縄から始まり、壊されていく沖縄で終わっていくこのエッセイは、そこに住む少年少女たちの未来を案じるメッセージに富んでいる。自分たちの生活は米軍基地とともにあり、同時に日本最悪と言われている貧困とともにある。彼女たちの未来はアメリカと日本政府の手に握られたままであり、その宙ぶらりんの中で何100年も苦しみながら生き続けて行かなければならないことを、遠く離れた場所で暮らす私たちは理解していない。沖縄の人にとって本土の人間は全員政府と同罪であり、「対話に耳を傾けなかった人間たち」なのである。
私はこのエッセイを読んで、どう行動すればよいのか、いまだに分からない。私も沖縄の情景を「消費してきた」側の人間だ。彼らの苦しみに耳を傾けず、自分の目の届かぬところで繰り広げられる諍いのような意識で、貧困問題や基地問題を聞き流してきた。
筆者は本書の最後でこう語る。
――私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。私は川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。
この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。
この本を読んだとしても、私たちの多くは沖縄に何もしてあげられないのかもしれない。ただ、こうして語り継がれてきた現状を口に出して、誰かに伝えることはできる。ひとりで海を抱えるのは無理でも、大勢の人と一緒なら抱えることができるかもしれない。
筆者は風花ちゃんに海を受け継いだ。ならば、この本を読んだ人々にも、同じように誰かに海を受け継いでいくことができるはずだ。
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【メモ】
恐怖で眼を見ひらく娘に、戦争があったのはほんとうにはるか遠く、これはむかしむかしのお話だと、私はいつか娘に言ってあげられるのだろうか。いまこうしているあいだにも、自然壕のなかでは水は休むことなく湧き出ていて、光る水面を飛ぶカワセミを一緒に見ようと娘を連れて、ここはとてもきれいな水のあるほとり、だから風花はなにも怖がることはないと、私はいつか娘に言ってあげることができるのだろうか。
和樹のインタビューの記録を、データのまま出してみようと思う。これは、沖縄で殴られながら大きくなった男の子が、恋人に援助交際をさせながら数千万円以上稼ぎだし、それをすべて使いはたし、その恋人に振られて東京に出て、何もかもを利用しながら新宿の喧騒のなかで今日も暮らしている、そういう記録だ。いつか加害のことを、そのひとの受けた被害の過去とともに書く方法をみつけることができたらいいと、私はそう思っている。
そうやって聞き取ったほとんどは、しばらくのあいだは書くことができないことだ。語られることのなかった記憶、動くことのない時間、言葉以前のうめき声や沈黙のなかで産まれた言葉は、受けとめる側にも時間がいる。逡巡と沈黙の時間をふたりでたどり、それから話はぽつんと終わる。そして最後は静かになる。
未成年のときに風俗業界で働きはじめた女の子たちへのインタビューの帰り道では、ときどき泣いた。三年前にはじめた、10代でママになった女の子たちへのインタビューの帰り道では、ときどき吐く。彼女たちがまだ10代の若い母親であることに、彼女たちに苦悩が不均等に分配されていることに、私はずっと怒っている。
まっすぐ前を向いたまま、七海はぼろぼろ涙を流す。
五年近く性暴力を受けながら、家族を守ろうと思って母親に一言も話さないで生きてきた娘を前にして、なぜ施設の職員たちは母親の意向を尊重するのだろう。自分の夫が自分の娘をレイプしてきたことを知らない母親には、自分の娘が精神科を受診しようとする理由がわからない。
細切れにしか眠れない娘の状態を知っても、ときどき身体が動かなくなる娘の姿を見ても、病気になるのは気持ちが弱いからだと七海のことを母親は責める。
結局七海は、PTSDの治療をあきらめた。
精神料行くのあきらめます。
なにもかも邪魔されますもんね。
あたしの支援なのかママの支援なのかわからない。
なにもかもママに報告するっていうのも意味がわからない。
疲れました(笑)。
年明け、七海は毎日貯金箱にいれていた500円玉を全部お札にかえた。出勤した日に貯めておいた一万円札と合わせると、貯金の総額は70万円になっていた。七海は自分の住んでいる施設の担当者にも施設長にも、誰にも自分のことを話さない。夏を迎えたころ、七海は施設を出ていった。七海は誰も信じていない。
富士五湖に土砂が入れられると言えば、吐き気をもよおすようなこの気持ちが伝わるのだろうか?湘南の海ならどうだろうか?
普天間の危険除去をうたう「最良の決定」の内実は、普天間直下の我が家から車で一時間とかからない、三七キロ先にある辺野古への基地新設である。それが三鷹と東京湾くらいの距離でしかないことを知ってもなお、これは沖縄にとって「最良の決定」だとみんなは思うのだろか?
私が沖縄出身だと話すと、沖縄っていいところですね、アムロちゃんって可愛いよね、沖縄大好きですなどと仲良くしてくれるひとは多かったが、ああ、こんなところで暮らしているひとに、軍隊と隣り合わせで暮らす沖縄の日々の苛立ちを伝えるのは難しいと思い、私は黙り込むようになった。
沖縄の怒りに癒され、自分の生活圏を見返すことなく言葉を発すること自体が、日本と沖縄の関係を表していると私は彼に言うべきだった。言わなかったから、その言葉は私のなかに沈んだ。その言葉は、いまも私のなかに残っている。
私は目を閉じる。それから、土砂が投入される前の、生き生きと生き物が宿るこっくりとした、あの青の海のことを考える。
ここは海だ。青い海だ。珊瑚礁のなかで、色とりどりの魚やカメが行き交う交差点、ひょっとしたらまだどこかに人魚も潜んでいる。
私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。私は川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。
この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。 -
12編のエッセイ集、優しい出始めのエッセイから始まるけれど早くも3章目から重く厳しく哀しい現実を読み手に伝えてくる。
未だ行ったことの無い沖縄だが何かにつけ本土の防波堤にされてきた沖縄。
これまでも今もこれからも多分変わる兆しが無い立ち位置へのもどかしさ辛さ嘆き、そして怒りが静かに確かに伝わってくる好著です♪
遠い他人事みたいな視点しか持たないわたし達を静かに、しかし強く揺さぶる作品で襟を正して読みました。版を重ねていることに納得し共感しています。 -
【日常に織り込まれた悲しみと叫び】
基地移設、若年女性の貧困……沖縄に深く根をおろす問題について書かれた本書。
沖縄に暮らす筆者の、日記をつづるような、友人に語りかけるような文章が印象的。
数年前に始めて沖縄に旅行し、ひめゆり平和祈念資料館を訪れた際、自分が漠然と想像していた沖縄戦のイメージがあまりにも薄っぺらくて、実態を伴っていないものだったかを知って、愕然としたことがあります。
私は女性で、それはいまの日本社会では「弱者」にカテゴライズされるけれど、本土に生まれ育っているという点においては、圧倒的に「強者」の立場にいるし、もっと言ってしまうと生まれながらに加害者なのだと思います。
ページをめくりながら、何度も目頭にわいてくる涙を抑えるために手をとめなくてはならず、その度に、これはなんの涙であるのか、考えることを迫られました。
登場する人物への感情移入なのか、問題解決の糸口すら見えないことへの苛立ちなのか……。
でも、安易にその涙に名前をつけることは許されないし、ずっと考え続けていく必要があることを、本書は伝えていると思います。 -
今朝、本屋大賞受賞インタビューについて触れられたツイートが流れてきて、その動画を見た。
受賞の連絡が来た、電話の相手の声の様子を、とても丁寧に、愛情を込めて言葉にする人だなというのが最初の印象だった。
そして、ゆっくりゆっくり語られる沖縄の話。
彼女の手には、家の鍵が、拳の外に突き出される形で、しっかりと握られていた。
この人の語り口を聞いて、読まなければならないと思って、今、感想を書いている。
アメリカ軍の基地があるという現実。また、共同体としての歴史や営み、若くして母になった女の子たちの生活。
それらが沖縄という地の現実として、怒りを孕みながら、描かれている。
さっき見た女性の様子からは、想像も出来ない感情が綴られていた。それは、彼女のものではあったが、彼女一人のものでもなかった。
彼女は、明日のコメント欄は荒れると思います。
と、言った。
私は、自分が遠く離れた地にいて、小さな共感だけを頼りに、何を言葉に出来るのだろうと、書いている今も、怯えている。
ただ、「海をあげる」の意味を。
自分よりも小さき者への、良き贈り物を。
大人になることの、自由と責任を。
ひとまず、それだけをしっかりと受け取って、感想を書くことにした。
一つだけ。
沖縄を憧れにすることで、誰かの悲しみを呼び起こすつもりではないのだけど……。
参列者が海へ入ってゆく、お葬式を見たいな、と素直に思った。 -
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沖縄をめぐる諸問題をやわらかい語り口でつづるエッセイ。
リゾートで遊びに行って知る沖縄、戦争教育で知る沖縄、それらの間にある日常の沖縄。
著者の本業は作家ではなく教育学の研究者だし、内容もノンフィクションなのだけれど、どこかお話の中の世界のような気もしてしまう文章。
いや、私に、沖縄をめぐる問題に向き合う勇気がないから、そう感じられるのだ。
沖縄の人が大きな声をあげないのを良いことに、真っ正面から向き合う勇気が、まだもてないのだ。
でも、どんなに小さな声でも、耳を傾けたい。
私も、著者に、「海をもらった」から。