- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480893130
作品紹介・あらすじ
「おやっさん、おやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ〜!」キリスト教2000年の歴史が、いま果てなきやくざ抗争史として蘇る!「あいつら、言うてみりゃ人の罪でメシ食うとるんで」エンタメで学べる画期的キリスト教史入門!
感想・レビュー・書評
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傑作『完全教祖マニュアル』以来、“宗教学エンタテインメント”ともいうべき独自の領域を切り拓いてきたライターの最新著作。
あたりまえの話だが、キリスト教史はキリスト教徒以外が学んでもさして面白いものではない。しかし、教養として大枠くらいは押さえておきたいところだ。
2000年のキリスト教史を、なんと『仁義なき戦い』のパロディ形式で綴った本書は、そのためにうってつけの1冊といえる。
『仁義なき戦い』シリーズが好きで、名セリフ・名場面を暗記するほど観倒しているような人(→私)にとっては、じつに面白い本に仕上がっている。
なにしろ、登場人物がみなドスのきいた広島弁で会話するのだからたまらない(著者は広島出身)。キリストの言葉が、菅原文太の声音で脳内再生される(笑)。
《「ほんじゃがのう、わしゃ言うとくわい。こんなは今夜、鶏が二度啼く前に三度わしを否むじゃろう……」(これはキリストのセリフ)
「ユダ、おどれがチンコロしおったんか!」
「あのボンクラども、言うに事欠いて、イエスはまだ生きとる言いよるんです」
「自分で仕返しするな、ヤハウェ大親分の仕返しに任せえいうて、パウロ兄さんも言うちょろうがい。おどれら、それに耐えれん言うんじゃったら、キリスト組の代紋外せえや」(これはルターのセリフ)》
……などというセリフが飛びかうのである。
敬虔なるクリスチャンの方から見れば罰当たりな本だろうが、門外漢の私には楽しめた。筋骨隆々のヤクザの背中にキリストの磔刑図がイレズミされたカバーイラスト(田亀源五郎)からして、もうサイコー。
架神恭介作品の中では、「物語形式の宗教入門」という意味で『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』と同系列の著作ということになる。
あの作品では小説仕立てがほとんど意味を成していなかったが、今回は『仁義なき戦い』というしっかりとした元ネタがあるせいか、物語形式が奏功している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
強引過ぎるヤクザ用語への置き変えで、「煉獄」は「網走のようなところ」と説明されちゃうし、文中は広島弁の罵倒の応酬も加わってとにかく変! 筆者自信言っているが、宗教教義独特の真面目で小難しいくせにどうでもディテールの調整作業を語り口痛快さで、宗教語りのウザさを意識せずに読めて楽しい。作者のキリスト教を語りのなかでは過度な理想主義、性善説は採用されず、登場人物の行動原理は現実的な問題意識、利己的な判断に溢れている。作者の描くパウロやルターの豪胆で手前勝手な俗物ぶりには心奪われる。キリスト教を純潔とか慈愛とか掲げてて胡散臭いと感じている人は読むと良いかも。あとキリスト教のエヴァンジェリストは一読すべきだ。ただ枚数がたりないのかかなり駆け足なのが難点。
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宗教
歴史 -
ナザレのイエスのくだりから宗教革命までの歴史を描いた小説。
ただし、登場人物は全員広島弁のやくざ。おいおい、と思いながらも読み出すとどういうわけか納得。(キリスト教にもやくざにも精通してない私が言うのもなんですが。。)
かなり?アレンジされた史実を面白く読ませてくれました。広島弁のかけあいは読んでいてテンポが良く、なんだか気持ち良かったです(笑 -
これは小説だ、と架神氏は言っている。仁義なき戦いが美能幸三の手記を元にした小説だったように聖書やキリスト教史を下書きにした小説だと。だから所々史実にはない描写が出てくるが概ね章ごとに解説で何をベースにしたかどこが創作かを書いてある。小説ならば解説は不要、史実と違うという批判はここまでやるなら受け入れてもよかろうに。
ヤハウェ大親分といえばユダヤ組、キリスト組、イスラム組を生んだ伝説の大親分である。まあやくざに取っては神様といってしまって言いだろう。そのままやがな。ユダヤ組の分家、ナザレ組の一家がイエス兄貴の活躍で勃興し、その死後もそれぞれの時代にどうやって拡大していったかという大河小説だ。完結するのかこれ?それにしても教会をやくざに見立てるとは物騒で悪魔の詩よりも危なそうな、書いた本人が抗争に巻き込まれても知らんぞわしゃ。
最後の晩餐イエス兄貴は言う。「お前らに言うとくけどの、今一緒にメシ食っとるお前らの中にの、わしのことをチンコロするやつがおるけえのう」
ゴルゴダの丘で叫ぶ。「おやっさん・・・おやっさん・・・なんでワシを見捨てたんじゃあ!」
目からウロコが落ちた使徒パウロはイエスの兄貴が生き返って直々に声をかけてくれたと信じている。「わしゃのう!生前のイエス親分のことなんざ、知ろうとも思わんのじゃ!」
時は下り、ヤハウェ大親分とイエス親分は同格かそれともイエス親分が一枚落ちるのかが論争になり、第四回十字軍ではイスラム組との出入りのために集まったはずが人が集まらなかったがため船を出す金が集まらず、小遣い稼ぎにヴェネツィアからハンガリーに寝返ったクロアチアのザラを攻略し次いで東ローマ帝国の跡目争いに助っ人として呼び込まれコンスタンチノープルを陥落し蹂躙しつくし引き上げた。これはいかにやくざとは言えまさに仁義なき戦いだ。
やくざ改革で有名なルターも農奴解放の訴えを退ける。「おどりゃ、主人から奴隷を略奪する気か!奴隷じゃ言うて何の問題があるんじゃ。聖書に出てくる予言者なんかも奴隷を持っとったろうが!パウロ兄さんも『奴隷は死ぬまで奴隷しちょれ』言うちょる。どいつもこいつも平等じゃ言うて、そぎゃあなことがほんまにできるわけなかろうがい!」
映画化したら監督はたけしだなこりゃ。 -
『完全教祖マニュアル』に続く、架神恭介先生の宗教入門書。
宗教というと、判りづらくて取っ付きにくい(というか取っ付くと色々面倒臭そう)というあたりから、敬遠されがちなテーマですが、架神先生の著作は、宗教の概念をよーく噛み砕いて実に「俗っぽく」紹介してくれる。読み終わるとあら不思議、「理解不能かつ神聖不可侵」だと思っていた宗教ってのもまた、利害絡んだ人の営みのひとつと理解でき、忌避感が消え去っているのだから面白い。
しかしこのキリスト教に関して言えば、俗っぽくまとめても、下手なカルト教団よりも「信者怖え」という感想しか出てきませんなwある意味それが作者の意図した所なのかもしれませんが。
キリスト教徒を「やくざ」と見立てることにより、宗教上のイベントが実に血肉の通った「物語」として理解できるようになる、というのが本著の面白いところ。
しかし、序盤のイエス存命時はそのメソッドが実に有効に活きてくるものの、中盤から「国」が絡んでくると、少々そのメソッドから外れて、単に「歴史説明を広島弁で行っているだけ」としか解釈できず、飲み込みづらい部分もあったり。例えば「国」を「県警」か何かに見立てることができれば、また「やくざ」の見立ても活きてきたのかなぁと思うところもありました。もしかしたら、国の中枢にやくざが絡んでいるという『忍殺』のニンジャ的世界観を醸し出そうとしているのかもしれませんが。やはり本作については「やくざ用語」での見立てを貫いて欲しかったなーというのがありました。 -
イエスの改革、パウロの布教、ローマ帝国、叙任権闘争、第4回十字軍、ルターの改革、こうした歴史をやくざの抗争史として叙述する、興味深い本。会話文は当然広島弁。
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新年3冊目は、今、世界で問題の宗教について。
って事で、架神 恭介の「仁義なきキリスト教史」
キリストをヤクザに見立ててのキリスト教史と、呉弁×広島弁×備後弁の摩訶不思議な方言のお勉強も出来る聖書にも匹敵する本じゃな!
割と本格的なキリスト教史なんで、キリスト教の人や歴史の好きな人には分かり易いんかな?
わしゃ中盤から内容が頭に入らんく成った…。
ただ広島弁のセリフだけが楽しゅうてw
是非、仁義なき戦いを観て広島弁とヤクザ用語を予習して読むと面白さ倍増じゃなw
しかし、宗教は安らぎを求めるもんじゃないんかな、今も昔も争い事ばかりじゃ。
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キリスト教をヤクザ的な考えで描いている内容。
広島弁での会話のため、キリスト教の話なのに、菅原文太さんが頭に浮かんだ。今までキリスト教をよく知らなかったが、ヤクザ的な組織としてみると、わかりやすく?理解できたような気が。
話の内容としては普通にキリスト教の歴史なので、それはそれでおもしろかった。 -
聖書を面白おかしくしたものかと思っていたのですが、歴史を面白おかしくしたものです。
最初は田舎の任侠といったキリスト教が、都会に漕ぎ出し大きくなり、やがて世界を揺るがす抗争になるといったストーリーでした。
興味深いのはパウロとヤコブの関係でしょうか。脚色だと知りつつも、「いかにもそのスジ」的な演出が好きです。