聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

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  • Amazon.co.jp ・本 (632ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784484111117

感想・レビュー・書評

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  • 資料ID: W0164909
    分類記号: 193.09||J12
    配架場所: 本館1F電動書架A

    聖書とは、なにか。著書は、現代ニューヨークで聖書の教えを実践して生活をしました。笑いを誘う場面もありますが、信仰というものを考えさせられる本です。(M)

  • やっと読み終わった。主にアメリカ人と話してると、ノンフィクションが好きなのが分かると、「何がいい?」って聞かれるんだけど、当面はこれでしのげそう。イスラム圏の配慮もまあまああるし、悪くはないと思う。アメリカの宗教構造が思ったより複雑なことがよくわかったのも意外な成果。

  • ≪県立図書館≫
    P374、P570~Last
    途中で飽きた。
    わかったことは、いくつもある。
    思いのほか、キリスト教も面倒くさい宗教なんだな、と。
    意味不明なキマリとか、そりゃ無理でしょというキマリもいっぱいなんだな、と。
    自由の国の宗教、というイメージが強かったけれど、そうでもないのだな。

    不可知論者、というよりは、消極的無神論者である私。
    聖書の教えを忠実に守ることに、どれほどの意味があるのか
    半分以上読んだ後も、疑問が残る。
    よりよく生きること、幸せに生きることが宗教の目的ではないのだろうか。
    信じることによって、強く生きることができる。
    それも、行き過ぎると客観性を欠くのだろうけれど。
    食べて生きていくことに精一杯で、字も読めず、それほど考える訓練もなされていない人たちに宗教を広めていくためには、規則や見た目といった、わかりやすい制度が必要だったんだろうな。
    と、私は思った。

  • これも、体験もの。
    『ぼくはお金を使わずに生きることにした』
    に続いて、似たような傾向のものを手に取ってみたり。
    最近は、こういうちょっと極端な体験型ルポがはやっているのだろうか?
    現代版のロビンソン・クルーソーが増えるのは
    個人的にも面白いし、頼もしい。

    さて、これも『ぼくは…』にたがわず面白かった。
    タイトル通り、聖書の掟に従って一年間生きる、というそこだけ抜き出すと
    めっちゃファンダメンタリストな感じがするが、さにあらず。

    ちなみに著者はユダヤ教なので、ここで言う聖書とは専ら旧約聖書(著者が言うところのヘブライ語聖書)のことだ。
    新約の掟についての体験は後半の四カ月ほど。

    600ページ以上ある本なので、手にとって読み始めるまでには非常にハードルが高いと思うけど、決して読んで損はしない。
    考えさせられること大。
    クリスチャンが言うのだから、間違いない。

    p.317
    「パイ生地にラードを使っているかどうかわかる?」
    「使っていないと思いますが、確認します」
    「ありがとう。ラードはだめなんだ」
    「アレルギーですか」
    「いや、レビ記にあるから」
     そこで会話がぷつんと切れる。

    p.381
     聖書を自己啓発の書としてみるのはやめるようにといわれた。たしかに、そういう見方をすることが多い。宗教はいかにより多くの喜びをぼくに与えてくれるのか。ぼくの人生をより意義深いものにしてくれるのか。いかにぼくの子育てに役立ち、息子が将来、横領やゆすりたかりをしないように導いてくれるのか。
     でも、宗教はそれ以上のもの。神に仕えることだ。

    p.416
     けれど、イスラエルは危険もはらんでいる。ぼくたちの中に眠っているファンダメンタリストが目を覚ます恐れがある。だれもが内に秘めているグル・ギルが表に出てきて、独善的な面が増す。ニューアーク空港でタクシーに乗ってすぐ、それを実感した。携帯電話で声高に話している歩行者を見て思った。どうせひとの悪口か自慢話だろう。うう、やだ。ぼくはああいう連中とは違う。聖書に従って生きている。あんな不信心なやつらよりずっとまし……。
     そう、わかっている。こんな風に考えるのは全然聖書的じゃない。

  • 新聞の書評欄から興味を持って。不可知論者なNYに住む著者が、一年間【聖書の教え】を忠実に守って生活した記録。普通にどん引くと思うものも素晴らしく思えていく結果とか「何故?!」と思わず何度か突っ込みいれてしまいました。神を感じるとかも「トランス状態…?」と思う自分には到底理解不能の世界です。でもひとつ思ったことは「聖書が記さなければそんなこともしないの?」空気読む日本人には普通にしていることを、聖書で法にし、それによって守るって…え?となりました。あ、でも文章は面白いです。忍耐強い奥さんがホント素晴らしい。

  • 前作で百科事典を読破したNY 在住ライターが、今度は「聖書の教え通りに生活する事」に挑戦する話。

    よくここまでやるよなあ、と思う。個人的には筆者の隣人の話が興味深かった。

  • 読みきれず。再読。

  •  文藝春秋でみつけて、この本を購入。

     A・Jは、世俗的なユダヤ教徒で、奥さんと一人の子持ち。ジャーナリストで本をだすネタとして、旧約新約聖書の教えてをまもって生活して、その日記で一冊の本を書いた。

     聖書のどっかにひげを切ってはいけないとかいてあるらしく、その顔がひげに覆われていく写真が一こまずつのっている。

     それだけでもおかしい。しかし著者はしごくまじめに悩みながら旧約、新約聖書のきまりをまもろうと努める。

     でも、だんだん著者が敬虔な思想の持ち主にかわっていくプロセスがみえておもしろい。また、著者が納得していく聖書の言葉は、よんでいて自分も納得できる。

    ①コヘレトの言葉の第六章第二節「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのか教えてくれるものは、太陽の下にはいない。」(p412)

    ②個人主義をやみくもに崇拝するのはやめて、むかしに戻るべきかもしれない。いいことじゃないかな。なんだかんだいって徹底的な個人主義の時代は終わりに近づいている。(p391)

    ③神意は測りがたく、望んでも無駄。善い人間にも悪いことは起こる。愚か者も賢者も、聖人も罪人も人は皆死ぬ。ぼくたににできるのはせいぜい神に与えられた恵み、食べ物、飲み物、誠実に働く喜びを大切にすることぐらい。(p217)

     だんだん、普通の世俗的なユダヤ人が聖書的になっていきます。

     キリスト教国であるアメリカでこういう本がうれるというのは、やはり、戒律への疑問とか、宗教への回帰とかいろいろな要素があるのかと思う。

     あまりにも厚い本で手でもって読みにくいのが玉に瑕だが、表紙をながめるだけでも楽しい本。

  • もっと書かれてることそのままにやってるのかと思いきや、意外と丁寧に意図を考えて実践していた。でも何かに感謝する気持ちって晴れやかな心持になると思う

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