- Amazon.co.jp ・本 (393ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488016555
作品紹介・あらすじ
ノーベル賞受賞作家マリオ・バルガス・リョサを驚嘆せしめたゴンクール賞最優秀新人賞受賞の傑作。金髪の野獣と呼ばれたナチのユダヤ人大量虐殺の責任者ハイドリヒと彼の暗殺者である二人の青年をノンフィクション的手法で描き読者を慄然させる傑作。
感想・レビュー・書評
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アウシュビッツや、ヒトラーや、ユダヤ人大虐殺
ホロコースト
こんなことがあった
恐ろしいことが起きた
ということは、
夜と霧もよんだし、他にも本や、
映画で切り取られた部分の知識はあったけど
ほとんど何もしなかったということに
気付かされた。
初め半分は、歴史背景や、人物、場所など
調べながら読んだ
ちょっと大変。
単なる物語なら、そこまでしなかったと思う
これは、正しいフィクションとでもいうか
僕という作者が、おそらくの範囲の域を出ない
部分があることを承知の上で、事実をもとに
書いているから自然にそうしたくなった。
こういう歴史の勉強の方が頭によく入るわー
そして、最後に行くにつれ
語ることが、語れなかった人のきもちを
伝えることが大事だと思わされる。
本当に歴史に疎かったけど
僕がたびたび登場し、現代と当時を行き来する
また、客観的に、また、感情的に
書かれても、全く違和感のない小説になっていて
素晴らしいと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
クライマックスの2章に至るまではしんどかったw
ただ、それだけに2章の爆発力がすごい。
それだけに読後に残る痛みがジワジワする。 -
文庫版が出たので読んでみた、表紙デザインも中身もとにかく良き!
ナチメンバーでたった一人暗殺に成功したハイドリヒ、その暗殺計画を描いた本書だが、歴史小説ではなくあくまでもローラン・ビネのこうであったのではないか、という視点からの描かれ方が面白い。ナチスとこの出来事に対する正確な理解のようなものを、ビネ自身が何度も繰り返し葛藤しながら求めていくその書き方も斬新で良かった。 -
実際に暗殺計画がどのように行われたのか、現代と当時を作者が橋渡しをするような読み物だなと思う。ハイドリヒを撃て!で史実については知っていたが、通りの名前、教会、ゲシュタポの本部などの場所が、現代的な目線で作者によって語られるために、場所をマップで調べながら読み進めた。WW2が終わったあと、冷戦下で東ドイツに抑圧され、プラハの春が弾圧され、冷戦の終わりを迎えて民主主義を勝ち取るチェコという国の歴史に、偉大さのようなものを感じざるを得ない。
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ハイドリヒ暗殺計画の顛末とは。
ナチスの蛮行(などと言えるほど生ぬるいものではない)がこれでもかと描かれていて戦慄した。ノンフィクションとも、歴史小説とも違うスタイルで書かれた独自性がある。単なる小説とも良い意味で違うような。
冷徹な筆致で淡々と描かれる第二次世界大戦の裏側、圧倒的濃度を持つ一冊である。 -
いつかチェコに行ってみたい。
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まったく知らなかった事件の数々を知ることができた。こんなことが起きていたのかと、ちゃんと知ることができたと感じた。
傑作だと思うしすごい作品だと思った。としか言えない。圧倒されてしまった。
ナチスの狂気が怖かった。
たまに日本をナチスに例える言論を見かけるが正気とは思えない。まったく次元が違う。引き合いに出すこと自体ナチスの被害に遭った人々に申し訳がなく思える。
恐ろしいとしか思えなかった。
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『あるテーマに深い関心を寄せると、何かにつけてそこに引き寄せられてしまうことがわかるのはとてもおもしろい』―『11』
こんな小説は読んだことがない。
ローラン・ビネの小説を読むのは二冊目。最初に読んだ「言語の七番目の機能」も風変わりな小説ではあったけれど、こちらは極端に言えば冴えない学者と古いタイプの刑事が相棒となって事件を解決するというシャーロック・ホームズ的推理小説と言ってもいい。実在する哲学の著名人が多数登場し構造主義と脱構造主義の対立やら大統領選をめぐる仏政界の左派と右派の駆け引きが絡んだ実際の出来事が巧く配置された虚実混沌とした世界が描き出されているとはいえ、小説の形式として変わったところはない。ところがこの「HHhH」(これが何を意味するかは中盤に明らかにされる)は、歴史上の事件を扱っているのだが、作家の言葉を信じる限り(なんていうのも小説読みとしては可笑しな言明だが)資料の空白を埋めるべく想像されがちなストーリーを排除した読みもの。だからといってドキュメンタリーでもない。描こうとしているのは実在の人物たちの、歴史の脚色を施されていない、物語である(再び、作家の言葉を信じる限り、ではあるけれど)。それをビネは「基礎小説(アンフラ・ロマン)」と呼ぶがその意味は定かではない。因みに、仏語の「アンフラ(infra)」は英語の「下(below)」に当たる。
「史実に基づく」というような注釈付きの映画や小説が陥りがちの、作家や脚本家や監督の思い入れたっぷりのドラマというのは多々あり、それらは通常歴史映画とか歴史小説などと呼ばれるけれど、実際は年表的な意味での「歴史」というより結局のところ解釈(あるいは創作と言ってもいいけれど)であって、事実かどうかは定かではない。もっとも、歴史上の出来事に限らず、万人が同じように認識する(出来る)事実なんてものがあるのか不明だけれども(そんなことを思う故に敢えて読みたくない作家もいたりするのだけれど)。ローラン・ビネも同じような考えをいわゆる「歴史もの」に関して抱いているらしく、この小説の序段では、そんなことをくどくどと語る。
『そういうわけで、僕はこの物語にいくらか様式的な体裁をつけることにする。そのほうがむしろ都合がいいのだ。というのも、これから語るエピソードによっては、あまりに資料を集めすぎたせいでどうしても自分の知識をひけらかしたくなる気持ちを抑える必要が出てくるものもあるから。この場合にかぎって言えば、ハイドリヒの生まれた町に関する僕の知識は、いまひとつ確実でない。ドイツにはハレという名の都市が二つあって、今、自分がどっちの町について語っているのか、わからないのだ。さしあたり、それにはこだわらないことにしよう。いずれわかるだろうから』―『13』
『史実があると都合がいいのは、リアルな効果を考慮しなくてもいいことだ。この時期の若きハイドリヒをそれらしく演出する必要がない。一九一九年から一九二二年まではハレ(正しくはハレ=アン=デア=ザーレ、ちゃんと確かめた)の両親の家で暮らしている』―『20』
そう、この小説では作者がひっきりなしに語りかけてくるのだけれど、それは時にこの作品を書く動機に関してであったり、作品自体の進捗についてであったり、同じ事件を扱った他の作品についての批評であったり、文学に関してであったり、映画やその演者に関してであったりする。なおかつ、作家の「現在地点」とも呼ぶべき立場は小説の進捗によって変化する(あるいは変化しているように見せかける様式を採用している)ので、余計にややこしい。つまり、読者を単純に歴史物語の世界に放り込んだりしないのだ(ナイーヴに額面通り受け取るなら、その態度は好感が持てるものだ)。そのくせ、歴史の授業を聞かされているような、映画批評を聞かされているような、はたまた語られるべき物語を小気味良く聞かされているような中途半端な立ち位置を強要されているにもかかわらず、読むものは歴史の世界に知らず知らずのうちにのめり込んでしまう。断章形式で綴られているのも、これが制作過程のメモの集まりであるかのような錯覚を醸し出しつつ、歴史上の出来事を余計なストーリー仕立てにしてしまうことを巧みに回避する様式として効果的。
語られる事件は、第三帝国支配下のチェコ・スロバキアにおけるナチの親衛隊大将にして保護領総督(ボヘミア・モラヴィア総督)、そして「最終解決」の立案者であり実行責任者でもあったラインハルト・ハイドリヒの暗殺計画。その実行者ヨゼフ・ガブチーク(WiKiだとガプチーク)とヤン・クビシュの物語を書きたいのだと作家は言う。けれどより頁を多く費やすのは殺されたハイドリヒの人物像についての方(題名からして、それは明らか)。非道の人物ではあるけれど、ビネの口調はごく普通の有能な一人の人間を描くように努めているかに思える。事件の性質を考えれば、暗殺計画の実行者を英雄扱いし、殺された者を悪者とする視点で文章を綴りたくなる(と作家もその誘惑について認める)だろうけれど、細部に拘っているという告白にもある通り、細かな史実を裁定しながら書き進めるというスタイルでカモフラージュしながら、人間性というものについての洞察に読者を導いているようでもある。残された公式文章や記録されている言葉なども効果的に引用し、様々な関係者の視点から描写されたハイドリヒは立体的な人物像として浮かび上がる。それでいて妙な感情移入は起こらない。もちろん、暗殺計画を立案実行する側の人物たちも同じように描かれていくのだが、どうしてもハイドリヒの印象が強くなる。
あるいはこの作品の根源には、ビネ自身がスロヴァキアで過ごした時に味わった言葉にしかねる思いを晶出させる意思のようなものがあるのだと理解してみることもできるだろう。しかし、この小説の特徴を語れば語るほど、実は小説家が意図していたかも知れないことから遠ざかってしまうような気分も味わう。なのでこれ以上語らないことにするけれど、この本を読むことの最大の特徴は、気付かぬ内に随分と色々な事柄について考えさせられている自分に気付かされることだと思う。ローラン・ビネは未訳の本の刊行が待たれる作家の一人だ。 -
小説ともノンフィクションともつかない不思議な作品。ナチの高官暗殺計画についての記録と、膨大な資料にあたりながらそれを執筆する作者の日記のような部分が入れ替わり出てくる。過去のことを読んでいたのに、すぐに現在に引き戻されて、どちらにも入り込めないように思っていたけれど、いつの間にか引き込まれて、作者と一緒にパラシュート部隊員たちの足取りを追いかけている気持ちに、さらには現場に一緒にいるような気持ちになっていた。この感覚はエンデの『はてしない物語』に少し似ている気がする。