- Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488629144
感想・レビュー・書評
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御大、老いてますます盛んなりといった感じ。
純粋培養した人間なんてどこかに嫌悪の対象を見つけるだろうと思っているのだが、この作品はまさにそんな結末を突きつける。
ただ、running wildの原題に比べるとセンスのない邦題にがっかり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初バラード。
さほど長い話ではないしあっさり読めてしまったが、内容は濃い。クレジットを見ると80年代の作品で、よく言われる『バラードの先見性』とはこういうことなのかと納得。
犯人とトリック(?)に驚きが無かったのがやや残念だった。
幾つか気になるあらすじのものがあったので、次はその辺からチョイスしてみよう。 -
英国のSF作家J・G・バラード(1930-2009)による所謂ディストピア小説、1988年作。原題は『Running Wild』。
ディストピアとは、大量殺人が起きた小説内の gated community ではなく、そうした gated community が増殖し続けながら、内からも外からも暴動の一つでも起きることなく猶も整然と安定しているかの如き現実世界の在りようのほうだ。
「全体的にみれば正気で健全な生活の中で、狂気だけが唯一の自由だったのだ」
その"正気さ"も"健全さ"も全て、大量投入されたスペクタクルによって糊塗された即物的な野蛮の上に於いて初めて可能になる、「社会」を挙げての壮大な虚偽である。そして現代では、膨大なスペクタクルに埋め尽くされることによって、狂気への感性すらが予め囲い込まれ簒奪されているのである。狂気への自由が予め圧殺されているのである。
そしてこの情況の極限に於いてこそ、「社会」の側が狂気と呼ぶ当のものが間歇的に出現するが、それ自体がもはや見世物として囲い込まれてしまう出口無しの支配秩序が世界を埋め立ててしまっている。これこそが、現代のディストピアではないか。
ディストピアは既に深化してしまった。その意味でこの小説は、もはや牧歌的ですらある。近年に書かれた作品であるがゆえにこそ、contemporal な速度で古びてしまった感がある。
小説自体としても差して面白いとは思えなかった。カヴァーに書かれた概略を読めば話の展開も予想できてしまうし、文体も徒に説明的だ。 -
時々思うけど、バラードって手塚治虫と同じ目線を持っているのでしょうか?
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20年以上振りにJ・G・バラードさんを読みましたが、本作は私には合いませんでした。犯人からのメッセージもなく、犯人へのメッセージもなく、想像した動機に対する良き社会人からの反論もない。だから何という感じのまま終わってしまい、命を取り扱っておいて、そりゃないんじゃないかいと思いましたです。
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他の方のレビューをご覧いただいてもわかるように、本書はフーダニットではない。実のところ、へっぽこミステリ読みにもかかわらず、本を開く以前に犯人がわかってしまった(「こうだったらいいな」と期待していたとおりだった)。
薄い上、活字も大きめでどんどん読める。私は朝の通勤の1時間あまりで読了した。
だからといって、本書の価値はいささかも損なわれるものではない。
まずは皆さん指摘されているように、本書が1988年に書かれていることだ。四半世紀前にこの先見性は、驚異の一言。
犯人像や動機は、今ならば凡百の作家でも思いつきうるのかもしれない。しかし犯人の「その後」の姿は、今読んでも十二分に新しいのではなかろうか。
被害者・加害者のどちらに肩入れする(「感情移入」という語は作者に拒絶されている気がする)かによって、本書は大きく印象を変えるように思う。
いずれにせよ、この不条理をただ愉しむのが本書の、あえて言うなら「正しい」読みかたではないだろうか。
何より、このとびきり面白い小説を素直に愉しまないなんて、もったいないというものだ。
2011/9/15読了 -
犯人について最初っからネタはふってるし、動機についても捜査途中であらかた見当がついてしまうし、多分謎解きにウェイトを置いているのではないんだろう。報告書の形式であることもあって、相変わらず身も蓋もない文体は読みやすく、最後の事件の再現はスピード感と迫力がある。良く書けた小品という感が否めない…なんて偉そうにまとめかけたところで、発行年が88年ということに気付いて愕然とする。設定もテーマも、四半世紀も前の作品とは思えない!
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事件の真相って何? 動機ってそれとどう関係するんだろう、とかちょっと本筋とは違うことをあれこれ考えちゃったりして、何かが刺激される小品。
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閉鎖的な超高級住宅街で32人の大人全員が殺害され、13人の子供が誘拐される。迷宮入りしかけたこの事件に、精神分析医グレヴィルを招聘されるのだが……。
ミステリとしてみた場合、犯人はバレバレだけれども、そんなことはどうでもいい。大事なのはWhoじゃなくてWhy。作中にもある「やさしさという独裁」という言葉や、”原因”と殺人という”結果”との凄まじいギャップや不条理感が興味深い。
事件の再現シーンの手に汗握る緊迫感も見事。同時にどこかで爽快感すら感じていることに戦慄させられる。
それにしても20年以上前にコレを書いたってのは凄いね。