- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492223963
作品紹介・あらすじ
「ポピュリズム」「ニヒリズム」に象徴される近代の危機を乗り越えられる思想はあるのか。
「グローバリズム」と対峙するアフターコロナの価値観とはなにか。
西洋近代の限界を縦横無尽に論じ、日本思想の可能性を探る。
「当代随一の思想家」による「近代論」の集大成であり、「知の巨人」が新境地を開拓する主著。
トランプに象徴されるポピュリズム現象。
しかしこれは今に始まったことではない。すでに1930年代のナチス台頭から始まっていたことだ。
その原動力となったのは「ニヒリズム」。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度である。
これが後にユダヤ人大虐殺の「ホロコースト」につながっていった。
現在、先進各国を覆い尽くしているのも、こうした「近代の病」であるニヒリズムである。
近代のこのような虚妄≒ニヒリズムを乗り越えることは可能なのか。
その可能性として日本思想、とりわけ西田幾多郎「無の思想」などに象徴される京都学派に再び光を当てつつ、西洋近代思想と比較分析。
その現代的価値を問い直す。
感想・レビュー・書評
-
本書では、近代の状況を、ニーチェによるニヒリズムを背景として、価値が相対化され、そのなかで(おそらく人間の特性として)他者への優越したいという志向だけがのこり暴走し、資本主義が過剰に働いているのだという。
神やプラトンのイデアなど、形而上の何かがあり、世界が何者かに制作されるモデルから出発すると、形而上の何かがないということが理解されたのちには、人間が主体として世界を制作(コントロール)するという考え方に自然に帰結するという。そうすると人間の特性として「力への意志」が真だとすれば暴走せざる得ない。
また、制作されるというモデルを採用すると制作者が居ないという事実から、無価値に至るため、ニヒリズムは当然の帰結(歴史の必然であり西洋はその歴史の必然を一番クリアに示しているという)。
なお、ハイデガーによれば、ニーチェによるニヒリズムに対する人の生き方である「権力の意志」は主体を絶対化させた「主体性の形而上学」であるという。
著者はこの状況について、西洋の思想がデカルトのわれ思う故に我ありという言葉に代表されるように「在る」を前提/起点に理性/論理から組み立てられていることに対して、日本特有?の哲学である「無」を起点とした哲学/思想がヒントになるのではないかという。
私の考えでは、身体性と意識を一体として、意識と世界自体も言った言い捉えること、また世界にその外を必要としない世界観が、納得感があると思う。
東洋思想では、梵我一如とか、一切衆生悉有仏性、無我と色即是空あたりの考え方に関係するのかもしれない。自然法爾は、それらからの(少し遠いが)帰結かな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【第2章まで】西洋近代が終焉し、民主主義が行き着く先を説いて、トランプ現象が必然であることを解く。
-
最高だった…⁉️