- Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532193256
感想・レビュー・書評
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『#モンゴルが世界史を覆す』
ほぼ日書評 Day363
西洋史観(のフレームワーク)によって「東洋史」を捉えるアプローチへの批判ないし否定の象徴として、遊牧民=モンゴルを起点に世界史を相対化して見ようという試み。
複数年にわたる論文、エッセイ、講演を収録した構成のため、一冊を通じて透過的な主題があるわけではないが、なるほど、へぇー!等と、興味深く読んだ章も多い。
チンギスハン以後、複数回に渡り西征がなされるが、モンゴルvsイスラムが、徐々にモンゴルを支えるムスリム(イスラム)官僚、さらに元々のモンゴル圏始めアジア東方へもイスラムが広まるという結果を産んだ。世界最大人口を擁するイスラム国家インドネシアは、その流れの中で生まれたもの。幾つか例示しておく。
バグダードの名前の由来は、ペルシア語でバグ(神)がダード(与えし)土地の意味と。現代におけるイランとイラクの関係に結びつけると興味深い(レニングラードとかスターリングラードとかいう名称を使い続けているようなものという比喩は、行き過ぎだろうか?)。
マルコポーロ、実は一時期忘れさられ、100年ほど経って再発見されたため、『東方見聞録』の底本も多くのバリエーションがあり、一部は「オーパーツ」的な記述を含むもの…最悪、マルコポーロという「個人」の実在も疑われるレベルとのこと。
遡ってもせいぜい江戸後期までの和製漢語たる「帝国」と、真の始皇帝に端を発する「皇帝」という、2000年の隔たりのある二つの語が、今ではない混ぜになって用いられる不思議。皇帝がいるから帝国であるわけではない。逆に、ハーンや、カリフ、シャーン等については、版図の広さには関わらず「皇帝」には数えられない。代表がオスマン・トルコ。
歴史上の「帝国」は、実際には唯一無二の存在ではなく、二つないしは三つの勢力圏のバランスを保つための緩やかな連合体であったケースが多い。帝国と称されることは少ないが、米ソもその一例である。
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モンゴル時代史の入門書で啓蒙書。
まぁ要するに「人口に膾炙したモンゴルのイメージは実態と全然違うよ」ということがわかる本。
東洋史を専攻した人間としてある程度は知っていたけど、知らないことももちろんあるわけで。
たとえばモンゴル軍は「戦わない軍隊」であったこと。
血をできるだけ流さず、相手を吸収していくのが基本戦略だったらしい。しかもまともに戦えばしばしば敗れたとか。そりゃ意外だ。
欲を言えば、そのへんの史料の引用がほしい。
それから、後世のユーラシア諸国家に脈々と受け継がれるチンギス・ハンのイメージとか。
新たな知識が手に入る本ではある。ちょっと物足りなさはあるけど。
ただ難点は、著者がいろいろなところで書いた文章の寄せ集めであること。だから同じ内容が同じような表現で書かれている部分が散見される。
思わず初出一覧を見て「これがこいつの種本か」などと勘ぐってしまう。
個人的には、第4章「人類史における『帝国』」は要らんかなぁと。
入れるとしても、もっと「モンゴル」にスポットを当てて纏められたんじゃないかな。
どうでもいいけど、
「『帝国』とは地上唯一の支配者を表す『帝』と古代中国の都市国家を表す『国』は語義矛盾したありえない組み合わせ」
ってのはただの難癖のような気が…
その後で
「『国』という字は原義を離れて使われるようになっていた」
からしょうがない、とは言うものの。
まぁ「『帝国』史」を述べる上で必要なのか。
更にどうでもいいけど、表現。
著者はモンゴル時代に編纂された史書『集史』を「史上初の世界史」として高く評価してるわけだけど、その修飾が凄い。
それがこれ。
「ペルシア語でしるされた真の意味での人類史上で最初の世界史にしてモンゴル帝国の『正史』でもあるといっていい『集史』」
長!何この修飾部!
そのとおりなんだろうけど長いよ。
他にも妙に1文が長かったり、ちと読みづらい箇所もチラホラ…
極めつけにどうでもいいのは「すべからく」。
杉山先生、「全て」の意味で使ってるような…?
どことなくまとまりのない本書だけど、第6章「見えない歴史を探して」はおもしろいコラム。
東洋史研究者たちの度し難い本書い病を書く「男子のホンカイ」なんてのはなかなか楽しい。