- Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560047675
作品紹介・あらすじ
ガラスの檻に囲われ、薄暗い灯りのしたで倦むことなく一切れの林檎を洗いつづける洗い熊…。冒頭まもなく描かれる神経症的なその動物のように、憑かれたようにみずからの過去を探しつづける男がいる。全米批評家協会賞受賞作品。
感想・レビュー・書評
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▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB00061600
「白と黒の記憶」中味でなく、装丁や大きさ、形、またパラパラとめくった感じだけで気に入る本があります。これも、その一冊です。気になる、といったほうが正確ですが。はじめ東京の洋書店で見かけたのですが、数ページおきに、一種異様な白黒の写真がはいっているのです。これは一人のユダヤ人(アウステルリッツ)が失われた記憶をとりもどす物語です。入りくんだ地下の迷路を手さぐりしてすすむような探求の旅となるでしょう。本を手にとり、数ページめくって下さい。メランコリックな雰囲気に心ひかれましたら、ひとり、読みはじめてみて下さい。
(推薦者:経済経営学類 神子 博昭先生)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ファルシュ」という言葉が印象に残る。「まやかし」あるいは「間違い」。例えば本書に登場する語り部アウステルリッツの人生は、その異様なほど読みにくい(が、切実さを以てこちらを引きつける)語りに乗せてその「ファルシュ」の内実を語る。が、単にユダヤ人の迫害の歴史を語ったことが紛れもない歴史上の「ファルシュ」だったというわけではないと私は読んだ。その語りの錯綜の中で記憶は混濁し、事実とも思い込みともつかない「ファルシュ」な、甘美さすら感じさせる世界へと変容するのだ。そうした記憶を生きる、プルースト的な決意の産物だ
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3.92/275
『建築史家アウステルリッツは、帝国主義の遺物である駅舎、裁判所、要塞、病院、監獄の建物に興味をひかれ、ヨーロッパ諸都市を巡っている。そして、彼の話の聞き手であり、本書の語り手である〈私〉にむかって、博識を開陳する。それは近代における暴力と権力の歴史とも重なり合っていく。
歴史との対峙は、まぎれもなくアウステルリッツ自身の身にも起こっていた。彼は自分でもしかとわからない理由から、どこにいても、だれといても心の安らぎを得られなかった。彼も実は、戦禍により幼くして名前と故郷と言語を喪失した存在なのだ。自らの過去を探す旅を続けるアウステルリッツ。建物や風景を目にした瞬間に、フラッシュバックのようによみがえる、封印され、忘却された記憶……それは個人と歴史の深みへと降りていく旅だった……。
多くの写真を挿み、小説とも、エッセイとも、旅行記とも、回想録ともつかない、独自の世界が創造される。欧米で最高の賛辞を受けた、新世紀の傑作長編。』(「Amazon」サイトより)
冒頭
『六〇年代の後半、なかばは研究の目的で、なかばは私自身判然とした理由のつかぬまま、イギリスからベルギーへの旅をくり返したことがある。一日か二日のときもあれば、数週間にわたることもあったが、いつのときも遠いはるかな異国へいざなわれていく心地になったそのベルギー旅行のうち、ある輝くような初夏の一日に私が訪れたのは、それまで名前しか知らなかったアントワープの街であった。』
原書名:『Austerlitz』
著者:W・G・ゼーバルト (W.G. Sebald)
訳者:鈴木 仁子
出版社 : 白水社
単行本 : 289ページ
受賞:全米批評家協会賞(2001年)
メモ:
死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」 -
静謐な小説だ。時制が滑るように移行し「とアウステルリッツは語った」で今に引き戻される。
アントワープ駅で出会ったアウステルリッツという青年の過去語り。現在とアウステルリッツの経験、沈澱した記憶、再びの訪問で浮かび上がる幻視。。記憶や幻視が幾重にも折り重なるなかでしだいにあきらかになる彼のの過去。幾度か語られるように時間や記憶は現在に折り重なってシームレスに繋がっているよう。アウシュビッツを消失点とした語りは、ふと、「夕凪の街 桜の国」を思い出す。そうだ、作中にもでてくるアラン・レネの映画を見ているようでもある。そういや、マリエンバードも舞台として登場するな。 -
本書には、おびただしい写真が掲載されている。この写真がゆっくりとゆっくりと意味を帯び始めるにつれ、語り手が知り合ったアウステルリッツという謎めいた人物の生い立ちが明るみになる。
私たち読者は、アウステルリッツの記憶とともに、
イギリス、ドイツ、チェコ、フランス(パリのオーステルリッツ駅とも響きあう)などを時空を超えて旅することになる。
そしてその中心に、ナチス、ヒトラー、収容所というブラックホールが底のない口をあけている。
アウステルリッツがみずからの出生の秘密を知るとき、そして、突如としてそれまで忘れて記憶がフラッシュバックしてくる瞬間など、他人事としては読めない。 -
こんな小説があったのか・・・
というか、これは小説なのか? -
震えるほどの素晴らしさ、否、震えるしかないほどの素晴らしさだった。歴史という忘却の渦に飲み込まれたひとつの人生、存在したかもしれない悲劇の人生をゼーバルトは繊細な文体とモノクロの写真によって丁寧に創造する。近過ぎも遠過ぎもない距離から確実に届けられる、ひとつの過去、記憶、そして歴史。それはとても孤独に思えるかもしれないが、不思議と心を穏やかにしてくれる。沈黙から生まれた声を静かに受け止めよう、それはか細き生、歴史から見放された生を丁寧に支えてくれる。色褪せない美しさが深い夜を包み込んでくれる、そんな傑作。
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この本を読むことは、記憶するという行為をなぞることだ。人間の知覚が物理的な意味で束だとしたら、この本の一文一文はそれを構成する糸である。糸を一つとるごとに、鮮やかに全体が蘇って行く感覚を味わうことができる。
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アントワープ中央駅の待合室で、私はアウステルリッツと知り合った。
彼がアウステルリッツと知り合う前のページには、メガネザルの目、梟の目、人間ふたりの目の写真が挿入されている。
この本には、このように、いたるところにモノクロの写真がある。
大きさもさまざまで、写真だけでなく、地図や、図面、記号、絵、書面なども挿入されている。
説明もなく、文章と何気なく繋がって、そのアバウトさが、文章との相乗作用で夢想的な遊戯性を誘う。
建築の造形解釈や描写は、流々と続き、それらが主題なのかと思い始めた頃に、不意にその導入部分は浮き上がり、
アウステルリッツは、実は、アウステルリッツでなかったという。
正しくは、アウステルリッツから、ダーヴィス・イライアスに、そして15歳の時またアウステルリッツに戻った。
アウステルリッツはプラハに生まれ、4歳の時、イギリスに移送されたユダヤ人で、ウェールズの小さな田舍町で、カルヴァン派の説教師とその妻を養い親として育った。
15歳の時に本当の名前が告げられ、50歳を過ぎてから、自分の消え去った過去を取り戻そうと旅を続ける。
悲劇的な歴史が過去にくっきりと陰影を残し、細密画的に描く風景や町や建築物の描写。
忘却の彼方に自分の人生を見出そうとする努力と失望と悲哀に共感を覚える。
作者のW・G・ゼーバルトは、1944年、ドイツ生まれ。
25歳からイギリスに定住し、大学で文学の教鞭をとり、多くの文学賞を受賞。
将来のノーベル文学賞候補とも目されたが、2001年、車を運転中に、卒中の発作を起こし、事故で死去。
ドイツ生まれ、イギリス移住の経歴は、この作品にも色濃く反映され、作品の形式としても写真などを多く用いた新しい形の散文の手法は成功していると思う。
アウステルリッツという珍しい人名は、ナポレオン一世が皇帝に即位した1年後、勝利をおさめたアウステルリッツの戦いが名高い。
作者のW・G・ゼーバルトは、Austerlitz が、Auschwitz を連想させることも示唆していると述べている。