- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560048825
感想・レビュー・書評
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正義について深く考えさせられた作品、昔読んでいたのでそのうちまた読みたい。
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フランスは、エピクロスの園が傑出。何故もっと読まれないのか不思議。
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は、フランス革命の嵐が吹き荒れんとしているパリ。
エヴァリスト・ガムランという青年が旧教会堂で無能議員の除名を要請する請願書に署名をするという場面からこの物語ははじまる。
シャルロット・コルデーに暗殺されたマラーを描き、ギロチンにかけられるために馬車に揺られるマリー・アントワネットの横顏をデッサンし、ナポレオンの宮廷画家になったダヴィッドの弟子という想定のこの青年は、狭いアパートで売れない絵を描きつつ、同居の母親とパンにも事欠く日々を送っていた。
そんな彼がある日、陪審員に選ばれる。
次次と送られてくる革命の犠牲者たちを正義の名のもとにギロチンにかける評決を下す一員に加わり、ジャコバン派の粛清と共に自らもギロチンの露と消えてゆく。
王統派、あるいはフランス革命を担った革命家たち、またはその派閥、時代の史実としての革命史とは描く観点の異なりをみせる本書は、パリを中心としてフランスに巻起こった革命を、平凡な一青年とその青年に関った人々、または隣人を通して描く長編小説である。
ルイ16世が処刑され、マラーが暗殺され、マリー・アントワネットが処刑されたのが1793年。
テルミドールクーデター、ロペルピエール、サン・ジュストの処刑が1794年。
主人公のガムランの処刑も同年であるだろうから、1793年、94年を描いたものといえる。
ノーベル賞作家である著者のアナトール・フランスは、1844年生れ。
1844年というと、革命は終結し、ナポレオンも死し、ふたたび王政の時代だが、依然として人々の暮らしは苦しく、凶作も手伝って、王政は崩壊しナポレオンの甥の三世が即位し、帝政治国を行おうとする時代に向かっていく時である。
フランス革命を知るには必須の書物といえる『フランス革命史』を描いたミシュレは、アナトールよりも前の革命終焉近くの1798年に生れている。
この二冊を読み合わすことは非常に有意義なことだと思うが、革命を経てもなお、濁流のうねりに翻弄されていくフランスという国の歴史はあまりにも深い。
また、『神々は渇く』や『フランス革命史』とは全く違う視点の著書で、特記したいと思うのが、
『ルイ16世幽囚記』とオリヴィエ・ブランの『150通の最後の手紙』
『ルイ16世幽囚記』には、タンブル塔で幽閉生活を送る国王の世話を自ら志願した従僕クレリーの日記と、処刑直前までの最後の司祭となったエジウォルト・ド・フィルモン神父の手記、ルイ16世とマリー・アントワネットの四人の子供のうち、唯一生き残った彼らの第一子であり王女のマリー=テレーズの回想録が収められており、これだけを読むと、無能ではあるが、悪人ではない王を殺す必要があったのだろうかという思いが芽生える。
マリー・アントワネットへのフランス国民の憎しみは想像を超えるものであり、歴代の王と違って、王妃がすべてだったルイ16世が、もし、マリー・アントワネットではなく、他の王妃を貰っていたなら処刑は免れたのであろうか?
本当は、このハプスブルクとの政略結婚で、偉大なるマリー・テレーズ女帝は、マリー・アントワネットのすぐ上の姉を嫁がせるつもりだった。しかし、アントワネットが生まれ、ルイと年齡がより釣り合うので女児の末子の彼女が王妃に選ばれた。
どちらにしても、これだけフランス国民に蔑まれ、憎まれたマリー・アントワネットのハプスブルク家から革命後独裁政権を握ったナポレオンは、子供のできないジョセフィーヌを離縁し、ハプスブルクから后妃を迎えている。
『150通の最後の手紙』は、歴史家のオリヴィエ・ブランが、国立古文書館の整理箱、フーキエ=タンヴィルの文書の受寄物の中に発見した、断頭台に送られる人々がその数時間前、あるいは数分前に家族や親しい人たちに宛てて書いた手紙をまとめたものである。
フーキエという男は、悪名高き革命裁判所検察官であり、マリー・アントワネット、ダントン、ロラン夫人、シャルロット・コルデーなどをギロチンに送った。
そのフーキエも処刑台送りになるのだが、コンシェルジュリーで執行を控えた人々が書いた手紙や遺書は裁判所が差押え、フーキエの元に残ったままになっていたらしい。
日本でいうところの『きけ わだつみのこえ』と似た死を直前にした人間の哀切がひしひしと伝わってくる。
マリー・アントワネットやフーキエ自身の手紙も含まれて構成されているこの本はフランス革命に触れていく上で重要な役割を担う一冊だと思う。
パリを歩きつつ、フランス革命とは何であったのか考えたことがあった。
コンコルド広場は雨に濡れ、200年を経た今では断頭台で流された血の色も跡形もなく、ただ、天に近づくように高いオベリスクが凛と立っているだけだ。