地図で読む戦争の時代

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  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560081181

感想・レビュー・書評

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  • 本の雑誌で、「名指揮者が楽譜を読むように、地図も読み手によって見えるものが全然違う」と名言をおっしゃっていた今尾さんの本。地図の読み方がすごいのはもちろんだが、そのベースに、権力の地勢にとらわれずに土地上の人々の暮らしにもとづくものの見方が信頼できて、安心できる。自分が地図好きだったらもっと楽しめただろうな。

  • 特に目新しい(へーとかほーとか)思った内容はなかった。
    内容の重複が多かったため、雑誌連載の書籍化と思って初出を確かめたら、出版社HPに連載されたものだった。要注意

  • 戦争(主にアジア太平洋戦争)にまつわる地図上の変化や痕跡を多数紹介.空襲の跡,鉄道路線の変化,植民地,戦時改描,軍事施設跡の利用状況など.深く掘り下げたものではないけどガイドとして有用

  • 今でこそ本屋さんに行けば(行かなくともネットで)簡単に地図を購入することができます、少し大きな書店に行けば、精巧な地図も手に入れることは難しくないことでしょう。

    しかし今から60年ほど前の戦時中は、最大の国家機密であったと当時に、地図には敵を欺くための改竄までされていたそうです。

    この本は、戦争前後の地図を見ることによって、それらが戦争によってどのような影響を受けたのかを解説しています。地図好きの私にとってはとても興味の持てる本でした。

    以下は気になったポイントです。

    ・一日平均の乗客数が約350万人という世界一の新宿駅も、昭和7年(1932)に大東京として広大な郡部が編入されるまで、その所在地は東京府豊多摩郡淀橋町であった、それ以前に市内だったのは現在の新宿三丁目付近まで(p23)

    ・鉄道省は昭和になってから小回りのきく気動車を導入して専用駅を新設したが、石油禁輸後(1940)は気動車をとめて、駅も廃止した、電車の駅も利用者の少ない駅、間隔の狭い駅は廃止となった(p36、58)

    ・勝鬨橋の命名は、明治38年1月、日露戦争で旅順が陥落したのを記念してである、現在の町名が「勝どき」となっているのは、昭和40年当時に「とき=鬨」が当用漢字に指定されていなかったから(p63)

    ・満鉄付属地は、主要駅の周囲に指定されたエリアであり、内務省の若い官僚たちは、日本国内でなかなか進捗しない都市計画への夢をそこで思う存分に実現させた(p98)

    ・昭和4年ころのインドは、多くの港湾都市が、イギリス以外にも、フランス、ポルトガル、オランダ、デンマークによって植民地支配されていた、返還されたのは1950~60年代(p113)

    ・魚釣島は1884年ころから日本の羽毛採取業者が住み着いたが、島の大噴火により小笠原の鳥島のように島民全滅という悲劇を被っている(p119)

    ・ドイツ領だった東プロイセンの南半分はポーランドに与えて、北半分はソ連領としたので、ドイツ騎士団以来の歴史あるケーニヒスベルク町はソ連のロシア共和国の飛び地として編入、1946年にはカリーニングランドとして名前をも変えさせられた(p132)

    ・地図は基本的には軍事極秘(秘<極秘<軍事極秘<軍事機密)であったが、紛失した場合の厳罰のため、戦場の混乱の中で紛失した場合を考慮して「戦地に限り極秘」と秘密のランクを一つ落としていた(p151)

    ・日光と言えば観光都市が有名であるが、かつては山中の一大鉱山都市であった(p178)

    ・太平洋戦争の敗色が濃くなってくると、非常時を理由に全国各地の私鉄が買収された、南部鉄道もセメント製造にかかわる重要路線とのことで、国が買収し今に至っている(p183)

    ・新政府は水戸藩邸を接収して、明治11年に東京砲兵工廠を置いている、当時は、海軍造兵廠、横須賀海軍工廠、大阪砲兵工廠とともに四台工廠として、帝都の大武器製造工場として陸軍装備を充実させた(p199)

    ・後楽園球場のよこには競輪場もあったが、美濃部知事がギャンブル全廃を宣言して、1972年を最後にレースは中止、東京ドームは競輪場跡(p200)

    ・昭和40年に開園した多自然型遊園地「こどもの国」は、戦前には東京陸軍兵器補給廠で(弾薬庫)であった(p208)

    ・船橋にあった送信所の活躍により、1923年におきた関東大震災で、大きな被害を受けた関東地方の状況を世界中に発信することができた(p218)

    ・近衛師団司令部の建物は今も残されて、国立近代美術館の工芸館として往時の姿を保っている(p228)

    ・山手線は日本最古の私鉄とされる日本鉄道が明治18年に開業した品川~赤羽の路線をルーツとする、上野と新橋は市街地が広がっていたので渋谷や新宿(山の手)を経由して上信越地方の産物(生糸)を横浜へ運んでいた(p245)

    ・新橋から品川を経て赤羽まで、蒸気機関車が1日数往復するローカル線、開通初年度にできた途中駅は、目黒、渋谷、新宿、目白、板橋のみ、環状運転となるのは大正14年(1925)であった(p245)

    ・明治31年(1898)には、横浜駅を経由しない列車が走り始めた、新橋発神戸行の急行列車は、品川をでると次は程ヶ谷(現・保土ヶ谷)に停車した(p250)

    2011/7/24作成

  • (要チラ見!)

  • 文章がスッと頭に入ってこなかった。地図も歴史も興味がある分野なのに。

  • 視点がいい。地図がカラーだったらもっといいのに。

  • 著者は、鉄道を中心に地図を解説した著作を数多くだされている。あとがきにも“一介の地図愛好家”と書かれているが、その歴史観の根底には、しっかりしたものが流れている様に感じた。
    本書の多くも鉄道が取り上げられているが、戦争との関係では重要なインフラであり、地図を語る上では避けられないだろう。そこから庶民の生活も読み取れる。
    地図と歴史をお好きな方には、肩のこらない良書だと思います。

  • 例えば西新宿の異様なビル群だったりとか、再開発地域だったりとか、昔ここは何だったのか?ということが割と気になるので、かなり興味深く読みました。
    第二次世界大戦後、ドイツで戦争未亡人たちが手作業で瓦礫処理をした結果、山ができた、みたいなびっくりするような話が満載です。

  • 本屋さんで偶然見つけた本。この著者の他の本も読みたいな。面白かった。一枚の地図からこれだけ多くのことが読み取れるんだということが単純に面白く、その方面の才能に乏しい自分としては、こういう見方ができる著者のような方を尊敬してしまう。
    残念なのは、作中の地図がモノクロでなので、慣れない私には見にくかったこと。カラーだったらもっと良かったのに。制作費の都合があるから仕方ないと思うけど。

    戦時中に改描された地図がたくさん載っていますが、知らなかったらこれ、本物と偽者の見分けつかないよね…。間違った情報を信じて後世の人が判断を下すとしたら、改描の罪は大きい。私たちは地図についてもリテラシーを身につけなくてはいけないと思いました。

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著者プロフィール

今尾 恵介(いまお・けいすけ):1959年横浜市生まれ。地図研究家、エッセイスト、フリーライター。中学生の頃から国土地理院の地形図に親しみ、時刻表を愛読する。音楽出版社勤務を経てフリーライターとして独立、イラストマップ作成や地図・鉄道関連の著作に携わってきた。著書に『日本の地名おもしろ探訪記』『日本地図のたのしみ』『ふしぎ地名巡り』(以上ちくま文庫)、『地名の楽しみ』(ちくまプリマー新書)ほか著書多数。

「2023年 『ふらり珍地名の旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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