死体展覧会 (エクス・リブリス)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090534

作品紹介・あらすじ

現代アラブ文学の新鋭が放つ鮮烈な短篇集
 アラビア語版がヨルダンで直ちに発禁処分を受け、ペンギン社から刊行された英訳版がPEN翻訳文学賞を受賞した、イラク出身の鬼才による14の短篇集。
 「死体展覧会」:人を殺し、その死体をいかに芸術的に展示するかを追求する謎の集団。その幹部である「彼」は、新入りエージェントの「私」に心得を説く。「我々は狂信的なイスラーム集団ではないし、非道な政府の手先でもない」。そして「彼」は、〝陳腐な人道的感情〟に感染したあるエージェントの末路を語りだす……。
 「アラビアン・ナイフ」:僕たちは「ナイフの術」で結びついた仲間だ。4人は目の前のナイフを忽然と消すことができ、ただひとり僕の妻だけが消えたナイフを取り戻すことができる。ナイフはこの国を覆う残虐さの象徴なのか? 謎はいっこうに解けぬまま月日は流れ、ある日、消息不明になっていた仲間の最期を知る男が訪ねてくる……。
 独特の奇想が悪夢のように展開し、どれも忘れがたい幕切れを迎える。イラク戦争をめぐる文学において、米国の作家とはまったく異質な感性が登場したと高く評価され、20以上の言語に翻訳されている。作家は1973年バグダッド生まれ、現在はフィンランド在住。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、ハサン・ブラーシムはバグダッド生まれ。少年時代をクルド人地域で過ごし、バグダッドで映像作家となるが、政府の圧力を受けて出国。フィンランドに渡って、のちに市民権を得ている。映像作品を制作する傍ら、アラビア語で創作を続ける。
    本書に収められた小説はもともとはアラビア語で刊行されたものだが、英訳のアンソロジーを底本としている。暴力的であることから、アラビア語圏では発禁処分となっている、ある種、曰くつきの作品群である。

    14編の短編は、いずれも、現実と空想が交錯する不思議な味わいである。ときにファンタジックではあるが、それは心躍るものでも安らげるものでもない。
    表題作の「死体展覧会」では、人を殺し、その死体を「芸術的に」展示する謎の集団が描き出される。損壊され、侮辱された死体の残酷さ。けれどもその不条理は、実際に作者が目にしたものではなかったか。
    「グリーンゾーンのウサギ」では、望まざるままに、要人暗殺のために待機することになった若者が主人公である。落ち着かぬ日々の中、彼は1匹のウサギをかわいがり、わずかな癒しを得る。いよいよ任務遂行となったとき、ウサギと彼の仲間に訪れる残酷な運命に胸をえぐられる。
    「クロスワード」は、クロスワードパズル作家が、警官の亡霊に取り憑かれる話。体に宿った亡霊を追い出すことはできず、パズル作家は亡霊との小競り合いに消耗していく。絶えず非業の死を遂げた他者の声が頭の中で響く描写は、あるいは作者自身の体験か。
    いずれも、暴力の只中にあり、そしてその現場を見つめる、見開かれた目をまざまざと感じさせる。だが、抑圧と絶望の中で、それでも人は夢を見るのだ。

    物語としては荒削りな面もあり、決して読者に親切とはいえない。
    唐突な終わり方をする、救いのないものも多い。
    だが、この物語群は、暴力を描いてはいるが、肯定しているわけではない。好むと好まざるとにかかわらず、それが作者が生きた「日常」であったのだ。そのことへの深い怒りと悲しみが奥深くにあるように感じられる。
    訳者はあとがきで、訳出作業を「ブラーシムとともに悪夢を出たり入ったりする」ようだったと述べる。翻訳という作業がある種、作者と読者を仲介する、霊媒のようなものだとするならば、それはときに、喉元に刃を突き付けられるような恐ろしさを伴うものであったことだろう。訳者のその苦しい日々を慰めたのは、家族との何気ない日常であったという。
    作者や作中の登場人物たちにも、せめてそうした存在がいたのであればよいのだが。

    個人的には1作挙げるなら、「アラビアン・ナイフ」だろうか。
    主人公と3人の仲間は、見つめるだけで目の前のナイフを消すことができた。主人公の妻だけが、消えたナイフを取り戻すことができるのだ。肉切りナイフ。オスマン時代にまで遡る由緒あるナイフ。柄がサメの形の小さなナイフ。さまざまなナイフが消えてゆく。それはジン(魔物)の仕業なのか。ナイフはどこへ行くのか。解き明かすことのできぬまま、日々は過ぎる。
    暴力的だが抒情的な味わいのある1編である。

    千と一つの夜を越え、千と一つの月を送り、千と一つの年を過ごして、私たちはいつか、ナイフを消すように、争いのない世を手に入れることができるのだろうか。

    アラビア語を少し齧ったときに、「こんにちは」にあたる挨拶が存外深い意味を持つことに感銘を受けた。
    السلام عليكم. (アッサラーム・アレイクム) あなたの上に平安を。
    この乾いた作品群を詠んだ後では、本当に、すべての人の上に、平安が訪れる日が来ればよいのに、と思う。
    あるいはそう思うことも、紛争の地で生きることを知らない身の、底の浅い感傷に過ぎぬのかも知れないけれど。

  • 個人的に中東を舞台にした作品がアツいので、つい手を伸ばしてしまう。

    アツすぎた。

    解説では「非常」と「非情」が見えるとある。
    でも、どの話にも流れるのは罵声と悪臭で、これは本当に非日常性をピックアップしたものなんだろうか、と問いたくなる。
    「カルロス・フエンテスの悪夢」という話では、サリーム・アブドゥルフサインという名前から、カルロス・フエンテスという名前に替えて、オランダに保護申請をする。
    カルロスはオランダという国に相応しい自己となるべく研鑽に励み、市民権と妻を得る。
    だが、彼はサリームとして悪夢にうなされるようになってゆく。

    それが長い目で見ると非日常の一コマであったとしても、傷ついたことからは逃げられない。
    そしてその傷に、どんどん近付こうとするこの作品は、確かに狂気をはらんでいるな、と思う。

    以下、ネタバレ含むので注意。

    「グリーンゾーンのウサギ」では、友人サルサールと飼っていたウサギを軸に話が進む。
    最後、さあそれでは標的の暗殺をするために、と車に乗って出かけるのだが、主人公が車から離れたタイミングで全て爆発する。
    「イラク人キリスト」や「自由広場の狂人」の最後では、自爆ベルトによるエンディング。
    ……とまあ、そこここに暴力装置が転がっている。

    「アラビアン・ナイフ」や「穴」のような分かりやすいSF?作品は、少ないが、落ち着ける。
    「アラビアン・ナイフ」に出てくる女性スアードが、素敵。

    様々な形で世界の一角を露わにしてくれる、そんな物語って、月並みな言葉だがすごいなと感じざるを得ない。
    「Iraq + 100」というアンソロジーが紹介されている。読みたい!

  • イラクはこんな状況なのか、だったのか、暴力が当たり前の世界と今自分のいるところとのあまりの違いに驚く。精神的なものか、そうでないのか、区別がつかないぐらいの世界観で、この世界の向こう側みたいなところは村上春樹にちょっと似てるかも。

  • 混乱のイラク出身作家の作品なだけあって、暴力と死の描写に容赦がないです。
    しかし、死と汚泥の中に幻想的な詩情があり不思議な感じ。
    基本一人称で進むのに、作中劇や時間の跳びがあるので、そこが読みにくかったです。

  • 暴力と死が当たり前にある現実、日常、という世界観。未知の世界を垣間見せてくれた。

  • 難しくて読みにくかった。ストーリーも???っていうのが多くて、意図されたシュールなのか、常識が違いすぎて伝わってこないのかは謎。
    ーーーーーーーーーーーーー
    この世界では抜け目なく生きなきゃダメだ。今日死ぬか30年後に死ぬかなんてどうだっていい。大事なのは今日だ。

    誰かが、それは神に禁じられている、とか、そんなこと間違ってる、とか言ってきたら、そいつのケツを蹴り飛ばしてやれ。その神は出鱈目もいいところだからな。それは連中の神であって、お前の神じゃない。お前の神とはお前自身だ。
    その名の下に飢え死にしても苦しんでも構わないという信者や泣き虫がいなければ、神なんか存在しない。お前はこの世界でどうやって神になるかを学ばなきゃならない。そうすればみんな、お前の糞を飲み込みながらケツを舐めてくれる。

  • イラク出身、2004年からフィンランド在住の映像作家、作家。小説の作風はイラクの暴力を生のまま剥き出しに示す。のため、アラビア語圏ではなかなか発表されなかった。暴力シーンを緩和した版もヨルダンではすぐ発禁。イタリアの出版社からアラビア語訳が2015年に出る。
    一方、様々な歴史的・文化的背景を持つ移民たちを、まとめて「ムスリム」と呼んでしまうヨーロッパ側の反応にも批判的エッセーを書いている。
    彼の第1短編集「自由広場の狂人」、第2短編集「イラク人キリスト」からの14編セレクトして編集したアメリカ版短編集の英語版からの訳が本書。藤井氏の着目点である「英語で書く非英米系作家」ではない(ブラーシムはアラビア語で書く)

    今日はそんな中から最後と最初「カルロス・フェンテスの悪夢」と「死体展覧会」。自分がこれを手に取ったきっかけの「カルロス・フェンテスの悪夢」は、作家フェンテスとは全く関係のない、イラク人の清掃人がオランダに亡命するに至って変えた名前。サリーム・アブドゥルフサイン改めカルロス・フェンテスは、オランダ語を覚え、オランダ人女性と結婚し、市民権を得る。悲惨な母国を忘れ、受け入れ国の国民に成り切ること、それが彼の目的だった。が、そうしているうちに彼は悪夢を見、奇矯な行動を繰り返すことになり、悪夢の中で転落死してしまう。
    「死体展覧会」は「芸術的」に人を殺し、その死体を市街に展示するという謎の集団。こういうのがイラクにいるのか、フィクションとしてもそれを提示する意味はあるのか、ちょっと自分の中で疑問の一つ。ひょっとしたらこれはイラクから投影した先進資本主義社会の姿なのかも。
     この世界では、アイスクリームを舐める映画女優が何十という写真や記事になり、飢餓に苦しむ遥か彼方の村までに届く。悲鳴と踊りのこの石臼こそが世界なのだ。
    (p10〜11)
    (2018 11/25)

    ブラーシムの静なる構図
    昨夜(というか今日未明)と今日、「死体展覧会」から読んだ短編
    「コンパスと人殺し」「グリーンゾーンのウサギ」「軍の機関紙」「クロスワード」「穴」「自由広場の狂人」「あの不吉な微笑」
    (読んだ順番は異なる)
    どれもやはり暴力に溢れた短編(イラクに限らず、作家が今暮らすフィンランドなどでも)なのだが、今まで読んできたものより、幻想的なSF的な要素も増えてきた。バクダットの戦乱の最中落ちた穴にアッバース朝の老人が住んでいたとか(「穴」)、雑誌社へのテロ攻撃時に駆けつけて焼死した警察官の声が助かった男の腹に住む(「クロスワード」)とか、なぜか知らぬが微笑が顔に貼り付いて動かせない(「あの不吉な微笑」)とか。
    一方「コンパスと人殺し」みたいに、殺伐とした殺しと暴力がただ描かれているような作品でも、ペシャワールでのテロで殺されたアッザーム師のコンパスが作品の筋とは一見無関係に、しかし対峙されて置かれているのが構図的に意味深い。
     これは人生をあざける笑顔なのだ、理由もなくこの子供を作り出しておいて、これまた理由もなく力ずくで奪い去っていく人生をせせら笑っているのだ、と穏やかに説明できるのか?
    (p176 「あの不吉な微笑」)
     あなたが賢明にして全知全能であり、荘厳な御方であるとは承知しておりますが、あなたもかつて、軍の機関紙にお勤めだったことがおありでは? そして、なぜあなたは、ご自分でお作りになった登場人物たちのために焼却炉を必要とされるのですか?
    (p50〜51 「軍の機関紙」)
    なんか、気になる文章二つ引っ張ってきたら、どちらも似たような痛切な問いかけの文章になった。とにかく書かれている表面の筋から、構図や印象の力で落ちていく深いところへと。
    あと5編、続けて今日中に読み終えるのはやめておく。
    (2018 12/02)

    えっと、日曜に残りのうち2編、火曜日に2編、木曜日に1編で読み終わり。12/06読み終わり。返却したあとここに書いてないの気づいたので、感想メモは空白…

  • ファンタジー・・・なんだよな・・・???
    海外文学特有の現実と非現実の狭間みたいのが・・・怖かったな・・・

  • 最後の一行で全てがひっくり返るという経験を久しぶりにした。特に「死体展覧会」には驚かされた。人生が変わるような本として雑誌に紹介されていたけれど、まさにその通りだと思う。どの短編に出てくる登場人物にも、それまでの人生があるのが当たり前のように描かれていて、一気に世界の中へ引き込まれていく。最後の一行でひっくり返されたり途中で予想していたのとは全く違う方向へ行ったり、自由自在、変幻自在。すごく面白かった。そして、中東の当たり前が私にとっての当たり前とは違うことも知った。色々な面で大変勉強になる本だった。

  • あまりにも悪夢、地獄な光景が繰り広げられるので、
    完全なファンタジーのような気になってしまうのだけど、
    一方で、この上ない現実感も漂う。
    そういう情勢の地域なのだなと苦しく思う反面、
    他人事ではなく普遍的な問題として迫ってくる一文が紛れていたりする。

    慣れない人名や固有名詞が読みづらかったので、
    少し勉強して再読したい。

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著者プロフィール

1973年バグダッド生まれ。映像作家としてキャリアを積むが、政府からの圧力を感じ2000年にイラクを出国、2004年にフィンランドにたどり着く。2009年に短編集『自由広場の狂人』がイギリスで出版され(PENが主催する翻訳文学賞を受賞)、2014年には第二短編集『イラク人キリスト』が〈インディペンデント〉紙の外国文学賞を受賞している。一方でアラビア語版の出版はかなり遅れ、イギリスではアラブ文学を代表する作家として高い評価を獲得しながら、アラビア語では出版されない幻の作家という状態がしばらく続いた。

「2017年 『死体展覧会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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