キャプテン・クック: 科学的太平洋探検 (大航海者の世界 6)

制作 : ジョン バロウ 
  • 原書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (355ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784562023059

作品紹介・あらすじ

スペースシャトル『エンデヴァー』の名に見られるように、18世紀のクックの航海の記憶はいまもなお生きつづけている。太平洋の島々の発見、数々の困難とその克服、原住民との交流など、その3回にわたる探検航海を、クック自身の航海日誌をもとに生き生きと再現する。

感想・レビュー・書評

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  • (2015.02.02読了)(2015.01.21借入)
    副題「科学的太平洋探検」
    この本を読むきっかけは、展覧会です。1月16日に、東京・渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で「キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展」を見ました。
    ――――――――――――――――――――――――――
    キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展
    主催:読売新聞社
    会場:Bunkamuraザ・ミュージアム
    会期:2014/12/23(火)-2015/3/1(日)
    入館料:一般1,300円
    『バンクス花譜集』は、ジョゼフ・バンクスがジェームズ・クックの第一回太平洋航海に同行して収集した植物標本と、現地で画家に描かせたドローイングをもとに制作された全743枚からなる豪華植物図譜である。
    ―――――――――――――――――――――――――――
    会場には、植物画とキャプテン・クックの収集した民俗資料が展示してありました。
    キャプテン・クックの名前は聞いたことがあり、南太平洋の島々を探検して歩いた人という知識ぐらいしかありません。
    いつごろのどこの人か、というのも知りません。1900年代の初めごろのフランスの人かな、というところでした。
    会場で沢山の植物画を見て、単なる冒険家ではないなという印象をうけました。クックのことをもっと知ろうと思って、近くの図書館の蔵書を検索して、この本を借りてきました。
    イギリスの人でした。生まれは、1728年ですので、300年近く前の人です。
    第1回の探検航海は、1768年から1771年までの3年間です。目的は、「金星の太陽面通過観測のための南太平洋遠征」です。科学的な目的で行われた国家事業でした。
    植物チームも参加していたので、展覧会での展示は、植物チームの成果ということになります。金星の太陽面通過の観測は、タヒチ島あたりで行っていますが、そのほか、タヒチ周辺の島々、ニュージーランド、オーストラリア、をめぐってジャワ島、南アフリカの喜望峰を経由して帰ってきています。
    3年にわたる航海ですので、途中で食料や水を補給しなければなりません。南太平洋の島々にすむ人たちと交流や交渉をしながらということになりますが、言葉や習慣が違うので、ときには衝突が起きたりもします。銃や大砲でおどかしたり、ビーズや釘などの珍しいものをあげたり、交換したりで必要なものを調達しています。
    島の名前や土地の名前などは、現在使われているものとは違うようなので、ちょっとわかりにくいところがあります。また、上陸した各地に、自分たちがいつここにやって来たのかという記録を残しています。現在住んでいる人たちのことは気にせずに、自分たち、イギリスの権利を主張するためのもののようです。当時の列強諸国の慣習なのでしょうから、イギリスだけを責めるわけにはいかないのでしょうけど。
    探検航海は、3度にわたって行われていますが、三度目の航海で、ハワイ島で現地人とのトラブルの際に、クックは殺されています。1779年でした。
    南太平洋の住民のいくつかのところでは、食人の風習があったようです。いくつかの目撃談が、記録されています。
    クック自身も遺体をバラバラに切断されて、部族の首長たちに分けられたようです。食べるためかどうかは不明です。何らかの霊力にあやかりたいためのようです。
    この本は、クックの航海記を編集したものですので、ポイントはしっかり含まれていると思います。
    ダーウィンのビーグル号による探検航海は、1831年ですので、クックの死亡後50年ほどです。イギリスは、次々と地球探検のための調査団を送り出しているんですね。
    クックの航海に使われた船の名前を見るとエンデヴァー号、ディスカヴァリー号というどこかで聞いたようなのがあります。アメリカのスペースシャトルにつけられていますね。

    【目次】
    凡例
    第1章 第一回発見航海
    第2章 第二回発見航海
    第3章 第三回発見航海
    訳者あとがき  植松みどり
    解説  増田義郎
    年表

    ジェイムズ・クック 略歴
    1728年、イギリス・ヨークシャーに生まれる
    1752年、貿易船フレンドシップ号の船長となる
    1762年、バッツと結婚
    1768年、金星の太陽面通過観測のための南太平洋遠征の司令官に任命される
    7月30日、エンデヴァー号の艦長として、出港(第1回発見航海出発)
    1771年7月12日、帰還(第1回発見航海終了)
    1772年7月13日、南半球の未知の大陸を発見するため、レゾリューション号の艦長として、アドヴェンチャー号とともに、出港(第2回発見航海出発)
    1775年7月29日、帰還(第2回発見航海終了)
    1776年7月14日、太平洋と大西洋を結ぶ北方航路を発見するため、レゾリューション号の艦長として、ディスカヴァリー号とともに出港(第3回発見航海出発)
    1779年2月14日、クック、オハイイ島住民により殺される(51歳)
    1780年10月4日、帰還(第3回発見航海終了)

    ●バタヴィア(70頁)
    一日一回、あるいはもっと頻繁に川で沐浴を行うのは、男女共通の一般的習慣であった。健康増進のためばかりではなく、炎熱の気候のもとで清潔を保つ手段でもある。
    ●壊血病対策(169頁)
    多量の麦芽を備え、それで甘い麦芽汁をつくり、壊血病の兆候を示したものには、医者と相談のもとに、毎日一定量与えた。これは用い方により、当時としては最優秀の壊血病特効薬であった。
    (2015年2月3日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    スペースシャトル『エンデヴァー』の名に見られるように、18世紀のクックの航海の記憶はいまもなお生きつづけている。太平洋の島々の発見、数々の困難とその克服、原住民との交流など、その3回にわたる探検航海を、クック自身の航海日誌をもとに生き生きと再現する。

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