- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569578132
作品紹介・あらすじ
日本人に長く愛読されてきた不朽の古典『論語』。しかしいくら繰り返し読んでも、それを体認し、自らの生活、自らの心に生かさなければ、何の意味もなさない。本書は、東洋学の泰斗が、『論語』の真髄を人生に活かすための方途をわかりやすく説き明かす。活学としての『論語』の味読法を詳説する「論語読みの論語知らず」を始め、「中庸章句」「論語の人間像」「日本と儒教」の4篇の講話を収録。
感想・レビュー・書評
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論語を講釈ではなく、生きた学問である「活学」として捉えた書
論語読みの論語知らずとは、人を中傷するための言葉ではなく、自分自身に向けて学問をちゃんと身につけていないことだと指摘をしています。
安岡正篤という方は、儒学古典の人かとおもっていましたが、欧米からも仏教からも引用があり、現代人という印象を受けました。
3部にわかれていて、論語の概要、中庸の概要、論語の人物像になっています。
得てして、知らず知らずの論語の言葉をなんとなく知っているというものが結構でてきます。
気になったのは、以下です。
・人間というものは自分ではわかったような心算でも、なかなか本当の事がわからぬものである。
・利によって行へば怨多し:利を追うばかりでは人の恨みを買う。利の本は義、義がなければ、いくら儲かっても長続きしないのである。
・行いに敏ならんと欲す:頭で考えるだけではだめで、実行に移すこと。敏とは、頭をフルに使うこととある。
・未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん:生とものを知らないのに、死を知ってどうするのか。もっと自分の生そのものに徹せよ。
・巧言令色:口先がうまくて如何にも表面はよいが、中身がない
・人の己を知らざるを患へず、己、人を知らざるを患ふ:人が自分を知ってくれないということはどうでもいい。そもそも、自分が人を知らないことが問題である。
・中庸とは真ん中ということではない。「中」とは相対するものから次第に統一的なものに進歩していく働きのこと、「庸」とは、絶えず更新してゆく。続くという意味。「中庸」とは、すべての人が如何に変わらずに相待って和やかに、調和を保って、進歩向上していくことをあらわしている。
・六中観
忙中、閑有り
苦中、楽有り
死中、活有り
壺中、天有り 壺の中にもう一つの世界、別天地があるとこと
意中、人有り 心の中に人がある
腹中、書有り 腹の中に本をもっている
・君子多能を恥づ 器用貧乏とのこと、あれこれやることなしに、何か一つのことに打ち込んだほうがいい
・誠実、質朴といった内実が、外貌のあや、かざりに勝れば、粗野になり、負ければ、礼にはかなっても、誠実に欠ける。両者がうまく調和してこそうまくいく。
・知;賢人とは似たりよったりだが、愚:馬鹿にはそうそうなれぬもの。知より愚のほうがはるかに難しい。
・君子とは、2つの意味がある。一つは民衆に対して指導的立場にある人、今一つはその立場にふさわしい人格・教養を持った人。この二つをもっていることが君子である。
・あたかも愚物のごとし。孔子の優秀な弟子、顔回も曾子も、一見はいはいと愚者に見えるが実はそうではない。しかし、退いた後の行動をみれば大いに啓発するものがある。見た目で判断をしてはいけない。
目次
「論語に学ぶ」によせて 田中忠治
論語読みの論語知らず
其の一 本当に読みたい人のために
其の二 活学としての論語
中庸章句
一 序論 変わらざる進歩向上の原理
二 本論 人生に活かす中庸
論語の人間像
一 時代背景
二 此の時代の人物の種々相
三 孔子の人と為り
四 救い難き人物
五 この世の難しさ
六 斉の名宰相・晏子
七 子産と寗武子(ねいぶし)
八 周公旦と蘧伯玉(きょはくぎょく)
九 孔門十哲
日本と儒教
日本民族には創造力がないか
ISBN:9784569578132
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:304ページ
定価:619円(本体)
発売日:2002年10月03日詳細をみるコメント1件をすべて表示-
Fiftyさん利の本は義、義がなければ、いくら儲かっても長続きしないのである。>その通りだなぁと思いました(^^)汗 気を付けよっと、、、利の本は義、義がなければ、いくら儲かっても長続きしないのである。>その通りだなぁと思いました(^^)汗 気を付けよっと、、、2023/01/17
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日本でも有名な安岡正篤の書。儒教並びにその周辺知識に大変精通されており、自身の言葉で解釈を表現されている。(ただし、孔子の一言ひとことを相当ポジティブに解釈されているため、そこは読む側も理解が必要かもしれません)
いきなり論語を読むよりも、本書のような噛み砕かれた内容を最初に読んだ方が理解も捗り、納得しながら読み進めることができると思います。
読みながら、社会生活で自身が遭遇したことがある問題であったり、困った人でいたりがあると思いますが、それらに対しての対処の糸口も見つかるかもしれません。 -
つくづく論語は読んでも読んでも本当に理解したとは言えない、一生かかって読んでも理解しきれないものだという事が良くわかった。もちろんだから読み続けようと、さらに決意を増した。論語に出てくる人物、例えば周公旦など孔子が理想とした指導者で論語にも何度も出てくるが、そういった人物の背景まで知って論語を読まなければ本当の理解は得られない。これはよく言われていることだが同じ内容の質問でも、孔子は弟子によって違う答え方をしている。弟子の一人一人の性格、人生まで知ってより深く論語の言葉は理解できる。
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本書は、論語の解説書ではなく、「論語読みの論語しらず」、「中庸章句(中庸の改題とそれを人生に生かす方法)」、「論語の人間象(論語に出てくる人物や、時代背景についての解説)」、「日本と儒教」からなるエッセイ集である。全体としては、論語を中心としているが、他の中国古典からの引用も多いので、このレビューも論語からの出典を選ぶ必要はないだろう。ということで、この本の印象に残る言葉は、史記の列伝からの引用である「利は知をして昏(くら)からしむ」である。利とは目先のものであり、これのみに注力するとアホになるという戒めである。確かに、我が社でも、毎年2月になると「利益、PL」と数字のつじつま合わせに東奔西走する。また、たまたま利益が出ている事業部門のトップがエグゼクティブに駆け上がる。こんなことしているから、世界に冠たる我が社の技術的競争力は目を覆いたくなるほどの惨状である。真に重要なものは何か、真摯に考えれば考えるほど、この言葉は二千年のときを経て、なお新しい。 李登輝氏による「<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094057927/ichiromarin09-22/ref=nosim" target="_blank">「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは </a>とあわせてお読みいただきたい。
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論語は、訳者によって印象が違う。安岡氏の論語は骨太。人間力を感じさせる。
ちなみに評者は、古本屋で「論語50円」で売っていたので衝動買い。白文で全く読めず、側にあった論語の訳書(1500円)をそのまま購入。セット商法にまんまとやられて悔しくなった記憶がある。 -
第一章は論語を読んでから読むべき。
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古い語り口に拒否反応が出て断念。
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これを読んでもまだまだ論語を理解しきれていないだろう。w
何ども読んでみようと思います。 -
仁についてよく考え、そして仁に基づく行動を心がけたい。